副社長の甘い罠 〜これって本当に「偽装婚約」なのでしょうか?〜
「ここで君に会えたのも、きっと運命なのかもしれない。私は最近癌が見つかって、この先あまり長くない。体が動くうちに、どうしても思い出のホテル・ザ・クラウンに来たいと思ったんだ。
倉田支配人の事故について知ったことも、本当はもう墓場まで持って行こうと思った。でも、君には話しておきたい。これから君にする話は辛いことかもしれないが、最後に……聞いてくれないかい?」
「事故のこと、ですか? ……はい、父のことであれば、お聞きしたいです」
青木様が何を伝えようとしているのか、正直怖いという気持ちも嘘ではない。でも、これはちゃんと聞かないといけないような気がした。
そして、青木様は17年前のことを話し始めた。
***
当時、私は32階の客室清掃を担当していた。
「ふぅ、今日も満室で凄いな。さすが天下のホテル・ザ・クラウンだ」
55歳で前の会社を早期退職して、パートの清掃メイドとして忙しく働いていた。
慣れない体力仕事でなかなか早く清掃はできなかったが、それでも倉田支配人はやる気を買ってくれていた。
支配人とは客室課のオフィスで会うと、こんな風に声をかけてくれた。
「あ、支配人。お疲れ様です」
「青木さん、お疲れ様です。そういえば、この間足立様のお部屋を対応してくれてましたよね? とても綺麗で良かったとおっしゃってましたよ。いつも丁寧な清掃、ありがとうございます」
メイドなんて何人もいるのに、一人ひとりのことを把握していた。そしてモチベーションを上げるのもとても上手かった。
誰もが「倉田さんがいるなら、頑張ろう」と思っていた。