副社長の甘い罠 〜これって本当に「偽装婚約」なのでしょうか?〜
そんな倉田さんが、ホテル近くで交通事故に遭った。しかも車でぶつかってきたのは、帰宅途中のフロントの社員だった。
訃報を聞いたとき、みんな泣いていた。もちろん私も、その日は泣きながら清掃していた。
そんな時だ、あの人の話を聞いたのは。
その日も32階の清掃を終え、ゲストが歩く廊下では泣くわけにはいかない……と急いでバックヤードに戻ろうとした時だった。中から誰かの声が聞こえてきた。
(あれは、水嶋マネージャー? なんでこんな所に…それに、何か怒ってる?)
入ってはいけないような気がして、ドアの前で聞き耳を立てた。
「……俺は確かに、いなくなったら良いとは言った。それはあいつが出世に邪魔だったからだ。だからと言って、事故を起こせだの、ましてや殺せだのとは一言も言っとらんぞ。どうしてくれるんだ?」
(……これは、倉田支配人ことか? 水嶋マネージャーが関係しているのか…?!)
ドクンドクンと脈打つ音が、耳の真横から聞こえてきそうだった。
あまりにも動揺して、とにかくどこか空いている客室に隠れなければ、と急いでいた。その拍子にガタンッと清掃用具を足元に落としてしまった。
バックヤードの扉から水嶋マネージャーが顔を出し、硬直してしまう。
「おい、ずっとここにいたのか?」
「いえ、今清掃が終わって戻った所です」
ずっと心臓がバクバクしていた。水嶋マネージャーの、ねっとりとまとわり付くような視線が怖い。まるで私の発言が本当かどうか、品定めしているようだ。