私の推しは私の推し

4.ライブに行くようになったきっかけ

 俺がアイドルに興味を持ったのは、弟のうっかり行動にあった。
 それは3年前、まだ弟が大学生の頃の話――。

 
「兄貴。アイドルとか興味ない?」
「なんだ突然」
「俺さ、この日バイトあるの忘れててチケット買っちゃったんだわ。適切な手続きをすれば他の人でもいいらしいから、代理をお願いしたい」

 スマートフォンの画面をトントンと叩きながら弟は俺の様子を伺う。

「……は?」

 あまりにも唐突であまりにも真剣な眼差しに、俺は咄嗟に、凄むかのような声を漏らしてしまった。
 弟は機嫌を損ねてしまったと勘違いしたのだろう。その場で土下座を始め、今にも泣きそうな顔で言う。
 
「お願い! 席を空けるわけにはいかないし、現地限定のグッズとかあるし……。俺が金出すから! あと、気になる子いたら俺の金でグッズ買って良いし!」

 大きな声をあげ、頭を床に擦り付ける弟。
 ここが家で良かったと思うほどの勢いに圧倒され、俺は「わかったからもうやめろ」と弟の肩を持ち無理矢理体を起こした。
 弟は「兄貴ぃ〜!!」と抱きつき鼻水を啜る。

「やめろやめろ。鼻かんで落ち着け」

 テーブルに常備している箱ティッシュを渡し、距離を取る。服に鼻水がついていないか確認をしてから弟の様子を確認する。
 ずびずびと鼻を鳴らしながらテッシュを取り出し勢いよく鼻をかむ。どんだけ溢れてんだとツッコミの代わりにゴミ箱を差し出す。
 「ありがとう」と言いながらかんでは捨て、かんでは捨てを繰り返す。
 鼻水が落ち着いたところで涙を拭き、深呼吸。

「この子! 俺、この子推しなの!」
「……へ、へえ」

 落ち着いたかと思ったら弟はスマートフォンの画面を見せ、自分の推しを指す。
 弟が指差した人の隣には、自分が助けた子だったため、無意識にそちらに視線が集中してしまう。
 まさか弟の推しがいるグループに入っているとは思いもしないだろう。

「兄貴は誰がいい?」
「……俺は、この子が可愛いと思う」
「あ、やっぱり? 兄貴はそっちだと思ってたんだよね」

 安堵と同時に俺がアイドルに興味を持ってくれたことが嬉しいらしく、CDやブロマイドなどいろいろと貸してくれた。
 

 まだ弟に教えてもらった時、知名度は低く、別のアイドルグループの前座として少し出る程度だったり、路上の隅っこでひっそりと活動していたりとこぢんまりとしていた。

 やっと会場を貸し切っての初のライブというのに、弟はバイトで行けず。
 バイトを休めば良いのではないかと提案したが、その日は元々人が少なく休めないらしい。
 代わってもらうのも難しいためどうにもならないのだと真面目な弟は嘆いていた。

 当日は弟の作った地図や買い物リストを持たされ、会場に向かった。
 丁寧に作られていたこともあり、道に迷うことなく到着した。早めに到着したこともあり、人はまだ少なく物販に人集りもない。
 席に着く前に買ってしまおうとそちらに足を運び指定されたものを次々カゴに入れていく。

 ピタリと手を止め、マコのアクリルスタンドを凝視してしまう。……買うか?
 売れ行きは弟の購入が大半もあってココロが1番減っている。その次はユラ。マコが1番減っていないのは目視でもわかる。
 1つ手を伸ばしカゴに入れた後、弟の言葉を思い出す。

『どうせ買うのなら3つは買っとけ。使用用、観賞用、保存用だ』

 そんなに買う必要があるか? と思う反面、汚れや劣化によってダメになった場合でも、まだ綺麗なものがあるという安心感は欲しいかもしれない。
 アクリルスタンド3つをカゴに入れ会計を済ませる。

「……買ってしまった」

 買う予定はなかった。だが、売れていないのは可哀想という気持ちと、いつでも手元で拝めるという高揚感。それらに抗えなかった。

 会場の隅で1人放心していたところ、館内放送で我に返る。
 指定された席へと足早で向かい座り、歌って踊る彼女達を目に焼き付ける。
 キラキラと輝くアイドル達を見て、あまりの迫力にあまりの一体感に身体が震えた。
 
 映画でも舞台でも、会場まで行かなくともネット配信があったり、少しすればテレビやDVD、ブルーレイなどで観られる世の中。
 行くまでが億劫と考えていた俺は、今までの行いがどれだけ愚かなのか思い知った。


「会場、スカスカでしたな……。ま、今後に期待」
 
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、隣で語らう人の声で醒める。

「僕たちが良さを広めなければなぁ!」

 ウキウキの声で大量の荷物を手に席を立つ。
 その男はユラ推しなのだろう。少し変わったアニマルTシャツを着ている。確か以前のライブの時に売られていたと聞く。
 
 その姿を見て、これがファンの姿か……と尊敬の眼差しをむけてしまう。
 その視線に気付いたのか、男はこちらを見た。

「……そういえば、貴方は初めての参戦ですか?」
「あ、俺!? 俺は弟の代理です」
「弟さんの。……もしかして"ココロらぶのコロ"さんの?」
「すみません。弟のアカウントの名前は知らなくて……。でも確かうちに遊びに来た人が弟をコロと呼んでいたような」
「やはり!! バイトで泣く泣くお兄さんに代理を頼んだと聞いておりました。僕、ネットでコロさんと友達させていただいてます"おでこ"です」

「見たらわかると思いますが、推しはユラちゃんです」とシャツや紙袋を見せてドヤ顔をした。

「ちなみにですが、僕はユラちゃんにおでこがチャーミングと言われた故、名前をおでこにしたのです〜」

 嬉々として語り始めるおでこさんに、これ絶対長い奴。と弟の語りと重ね、少し口元を歪めてしまったのは許されたい。

 

「ただいま」
「おかえり! どうだった?」
「すごかった。あれは現地に行かないとわからない体験だな」
「そうでしょう、そうでしょうとも!」

 俺の声を聞きバタバタと駆け寄り、無駄のない動きで俺から荷物を受け取る。
 何故か得意げに話す弟の話に、長くなると察した俺は咄嗟に割り込む。

「おでこさんに会ったぞ」
「おでこさん! 1つもイベント落としたことないって言ってたけどマジで流石すぎるなぁ〜! あ、SNSにDM来てる! 兄貴は疲れてるだろうから明日感想聞かせてね!」

 そう嵐のように去っていった弟。
 少しして通話を始めたようで、悔しいと言いつつもとても楽しそうに話している。たぶん相手はおでこさんだろう。
 テンションの高い弟の声を聞きながら俺は、自室でアクリルスタンドを震える手で開封するのだった。

 1つは机に置いて、2つはビニールに入れたまま引き出しにしまう。

「……使用用と観賞用って何が違うんだ?」

 キーホルダーならカバンとかに付けるから使用用……観賞用は部屋に飾るからか? と考え、後から2つで良かったのかもしれない……と弟の金を無駄に使ってしまったのでは無いかと鈍器で殴られたような感覚に陥る。

「明日お金出そう」

 流石に申し訳ないと思いレシートを探すが、すでに渡していることを思い出し頭を抱える。

「…………皆、可愛かったな」

 現実逃避する以外、逃げる術が思いつかなかった。

 こうして俺は弟と一緒にライブに行くようになったのだった。
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