オレノペット
安心と優しさ





 世間は夏休みに入り、街を歩く際の暑さが体力を消耗させる。

 そんな7月下旬。


 杉崎さんのおうちにお世話になって、2ヶ月ほど。


 給料日を迎えた。


 その前に出ていたボーナスの半分(もう半分は杉崎さんに返す分)と合わせれば、安い所ならアパートをなんとか借りる事が出来るかもしれない。


 住むところ…探さないとダメだよね。


 仕事をしている手を思わず止めてしまったら、横に来て伝票を打っていた先輩が「どうしたの?」と心配そうに私を見る。
 それに、慌てて笑顔を返し、再びパソコンに目を向けた。



 杉崎さんと出会う前は、彼氏がいたとは言え、一人暮らしだった。気楽ではあったけれど、寂しかったり心細かったり…それなりにどこか気を張る所はあった。けれど、杉崎さんのおうちにお世話になってからは……何となく、守られてる感じが常にあって。

 ま、まあ…その…大人の事情は色々とあるけど。
 結局、週に何度かは杉崎さんの腕の中で眠りに落ちてる。


 再びはあっと出てしまった溜息に再び先輩が怪訝そうな顔。慌てて咳払いをして誤魔化した。


 探さないと…だよね、おうち。


 『沙奈…おはよ。』


 ベッドの中、私を腕に閉じ込めたまま、眠そうな目をしてくふふと笑う杉崎さんが脳裏を過ぎる。


 あそこから出て行ったら、もう二度とあんな朝は迎えないんだよね…。




 ……なんて、そんな私の心配は、全く無用だった。


 「…全滅じゃん。」


 会社が休みの月末の日曜日、杉崎さんに『出かけてきます』とだけ断って出かけた不動産屋さん巡り。


 けれど、どこへ行っても、名前と身元保証書を示すと、『借金の保証人になり、返済を滞らせておられましたよね』と言われお断り。


 恐るべし、”不動産屋コミュティー”


 でも、気持ちはわかるけど。
 そんな過去を持っている人間を仲介して万が一取り立て屋が押しかけるなんて事があったら、それこそ信用問題だもん。


 意気消沈のまま寄った最寄り駅の商店街にあるお弁当屋さん。


 杉崎さん、夕飯は“出前で”って言ってたけど、ここの唐揚げ絶品だから、後はご飯とお味噌汁ですませちゃおうかな。

 「いつもありがとうね!」と笑顔を返してくれるおばちゃんから袋を受け取ったら、奥で手伝いをしていた息子さんがひょっこり顔を出して「ありがとうございます」と挨拶をしてくれた。


 息子さん…いつも奥から顔を出して挨拶してくれるけど、お話はしたことないんだよな…
 でも、お母さんである店長の皆山さんにそっくりの笑顔だから、優しそう…。


 そんなことを思いながら軽く会釈をして店を出た。

 途端に暑さと湿気が身体にまとわりつく。
 それでも、手に持った唐揚げが凄く良い匂いで、食欲が湧いてきた。


 …そういえば、前に私が住んでいたアパートと、杉崎さんのマンションて最寄り駅が一緒なんだよね。


 この商店街を挟んで、東側に帰ると杉崎さんのマンション。西側に帰ると私の前のアパート。
 赤提灯の居酒屋もこの商店街の中にある。


 知らなかったけど、結構行動範囲がかぶっていたのかな?


 そこまで考えて、ハハッと空笑い。


 ……いやいや。
 エリートサラリーマンだよ?社内でも有数のイケメンだよ?
 私とニアミスなんてあり得ないよ。

 とにかく…杉崎さんにはきちんと話をしないとな…アパートが借りられなかったって。


 足取り重く帰った杉崎さんのマンション。
 リビングに入っていくと、出かける時とさほど変わりない格好で、テレビの前に座り、ゲームをする杉崎さんの姿があった。


 「た、ただいま…です。」


 杉崎さんはチラリと一瞥するとまたすぐにテレビの画面に目を向ける。


 「おかえり。楽しかった?外出。」


 ……言わなきゃ。
 あの不動産屋さんの様子だと、探すのに何ヶ月もかかってしまいそうだから。


 キッチンに唐揚げの袋を置くと、そのまま杉崎さんの側に行って正座をした。


 「あ、あの…杉崎さん、お、お話が。」
 
 「んー?」


 杉崎さんはカチャカチャと相変わらずゲームをしながら相づちを打つ。


 「いいですか?今話しても…」

 「うん。へーき。」

 「あ、あの…ですね。私の新しいおうちについてなんですが。
 その…借金の保証人になってた事が知れ渡っていて…アパートを全く借りることが出来なくて…。」


 杉崎さんのコントローラーを動かす手が止まって、真顔のまま目線が私に動いた。


 「あ、あの…!もちろん、これからも探します。その…お借りしているお金もお約束通り少しずつ返しますので…
 も、もう少しだけ…こ、ここに置いて…も、貰えませんか?」


 お願いします!と頭を下げたら、フウと少し冷めた溜息がふってきて、パチンとテレビの電源が切られた。


 「…ねえ、今日出かけるってさ、一日中アパート探ししてたの?」
 
 「は、はい…」
 
 「で?見つからなかったから、もう少しだけここに居たいって?」
 
 「あ、あの…」


 少し下げていた頭を上げた瞬間、腕をグイッと引っ張られてその勢いで杉崎さんの腕に身体が収まった。


 「沙奈ってさ…バカだよね。そんなこと正直に俺に言っちゃって。折角逃げ出すチャンスだったのに。
 アパート契約できなくても、いっくらでも方法あるでしょ。ウィークリーやマンスリーのマンションだとか、カプセルホテルだとか…。」

 「あ…。そうか…。」

 「まあ、それなりに金額はかかるけど、ここに居るよりマシだと思わない?」

 「…“マシ”?」

 「そうです。マシ。」

 「それは…」

 「うん。」

 「……思わないです。」


 私の答えに、クッと耳元で含み笑い。


 「そうなの?」

 「だ、だって…その…よ、良くして頂いてますし…」

 「毎日のように襲われてんのに?ああ、それがイイって?」

 「ち、違い…ま、す…」

 「まあ、とにかくさ。『ここに居たい』って言ったもんね。一度言ったことは取り消せないよ?」


 ゴロンとひっくり返されてラグへと身体を組み敷かれた。


 啄むようなキスを一度されて見た先には、杉崎さんの柔らかいけれど妖艶な笑み。
 それがまた近づいて来て、今度は頬から耳へと少しずつ移動しながらキスが降ってくる。


 「……沙奈はここに居ればいいんだよ。」


 耳元で吐息多めにささやかれた言葉は本当に優しくて。
 鼓膜が震え、キュウッと気持ちが音を立てた。












 「川上さん、最近キレイになったよね。」


 アパート探しをした翌日の月曜日。

 会計処理の為の提出書類を持ってきた田辺さんが、確認している私の前で、カウンターに肘をついてサラリとそう言った。


 「髪型、似合ってるもんな、前よりずっと。」


 強い真っ直ぐな眼差しに、身体が熱くなる。


 「た、田辺さんに紹介して頂いた美容師さんが凄いんだと…」

 「や、でもさ、それだけじゃない気がすんだよね…」


 そ、そう顔を近づけられるとどうしていいかわからないんですけど…。


 「お疲れ、唯斗。何、経理ちゃん口説いてんの?」


 す、杉崎…さん。


 「や、川上さんさ、最近キレイになったと思わない?」


 私を一瞥すると、プイッと田辺さんに目線を戻す。


 「思わない。」


 即答…しかも、すっごい興味なさそう。


 「 そんな事より、唯斗、課長が探してた。」


 ほら、やっぱり興味無い。


 少しだけチクリと胸に痛みが走る。


 「ああ…そういや、今日のディナーミーティング付き合えって言われてたわ。」

 「うん。『田辺君と打ち合わせ出来ない!』って泣いてた。」

 「あー…仕事増えるのめんどくせーけど、仕方ねーな…」


 田辺さんが苦笑いを浮かべながら、私の方に向き直る。


 「書類大丈夫そう?」

 「あ、はい…」
 
 「そっか。んじゃ、それでよろしく。
 それから、3人で飲みに行く話。また連絡するわ。遥も、じゃあな。」


 スマホを取り出しながら足早に立ち去っていった。


 残った杉崎さんが真顔のまま、書類を「はい」と差し出し、ジッと私を見ながら小首を傾げた。



 「あ、あの…何か…」

 「や?随分と唯斗に気に入られてんだなーって思っただけ。」

 「そ、そんな事は…田辺さんはどなたにでもフレンドリーですから…」

 「そ?」


 「どう?書類」と言いながらカウンターに肘をつき、私の方へ少し乗り出す杉崎さん。


 前髪と前髪がぶつかる距離に、そのキレイな顔が迫ってきて、その表情が、フッと緩んで口角がキュッとあがった。


 「…とりあえず、昼休み、在庫管理室集合ね。」


 吐息に近い、小音のかすれ声に、さっき痛みを感じたばかりの胸が今度はドキンと大きく跳ね上がる。


 「……はい。」


 小さく返事をした私の頭を杉崎さんは「いいこ。」と言わんばかりにそっと撫でてから離れた。


 …けれど。
 頭の上に残ったその厚めの掌の重みと温かさの感触が余韻を残し、一度大きく跳ねた鼓動は、そのまま忙しなく動き続ける……


 不意に見た時計。



 11時30分か…午前業務の終了まであと30分。
 そうしたら、在庫管理室で杉崎さんとお昼休憩。


 長いな……30分。


 ……………。
 ………………ってちょっと待て、私。

 今、何を思った。
 何、「長い」って。


 ペチンと頬を叩いたら、後ろで経理を一生懸命やっていた部署内の人達が少し驚いた。
 それに、「すみません」と会釈する。


 “働かざる者食うべからず”


 残り30分、きっちり働かせて頂きます。
 気合いを入れ直して、杉崎さんの去っていく背中を見送っていたら、経理部の入り口で、何やら杉崎さんが立ち止まる。
 現れたのは、ロングの髪が緩くウェーブがかかり、ふんわりとした印象のかわいらしい感じの女性。Aラインのスカートからのぞいている足がとても華奢で、でもその下にはピンヒール。

 「杉崎ー!探したよ?」

 「ああ、お疲れ様です。」

 「ねえ、今夜の飲み会、出れる?」

  の、飲み会…?

 「あー…そっか、今日でしたっけ。」


 杉崎さんがこちらをチラリと一瞬見た。


 ……けど。


 「皆、杉崎と飲むの楽しみにしてるよ?」

 杉崎さんの腕に触れ、上目遣いに杉崎さんを見るその人に、すぐに目線を戻して、「マジですか?」とまんざらでもなさそうなだらしない顔をしながら去って行く。

 行く…よね、あれは、きっと。
 いや、でも即答してなかったし、もしかしたら行かないかな。


 杉崎さんのおうちにお邪魔して2ヶ月程…
 そういえば、仕事で遅くなることはあったけど、飲み会だの合コンだのって話とか…まるでなかった。
 というか、そもそも、あんなにかっこいいのに彼女はいないのかな?
 いや、居たら私をペットにしたりしないか…


 じゃあ飲み会(と言う名の多分合コン的なもの)に行く可能性はある?
 どうするんだろう…杉崎さん…
 まあでも、例え行くにしても、私に止める権利はないもんね。


 彼女じゃなくてペットなんだから……


 早かったはずの鼓動は静かになって、そしてまたチクリと胸に痛みを感じる。


 また時計に目をやった。


 11時35分。
 午前終了まで、後25分


 …………長い。



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