オレノペット



 結局ソワソワしたまま、25分を送り(仕事は頑張ったけど)、12時になったと同時にお弁当を持ってエレベーターに飛び乗った。


 「そりゃ…来てないか」

 在庫管理室に人の気配はなくて、苦笑い。
 真夏のこの時期でも冷房が効いていて、何となく寒さと寂しさを感じる。


 そういえば、杉崎さん…忙しいのにいつもちゃんと時間通りに来てくれてた。
 あまり待った記憶がないもんね。
 今度呼び出されたら、今日みたいにちゃんと早く来よう…


 ガチャリとドアが開いた。


 「…お、来てた。」

 「お疲れ様です。」


 杉崎さんは入って早々、私を見るなり眉を下げて笑う。


 「何で床に正座?痛いでしょーよ…」


 引っ張られて立ち上がったけど…何となく、そうやって待ってるのがしっくり来たから。


 「何、床が落ち着く人なわけ?」

 「ま、まあ…」

 「ふーん…」


 杉崎さんは壁にもたれて腰を下ろすとあぐらをかく。
 そのまま、「おいで」と私の手を引っ張った。


 こ、これって…杉崎さんの上に乗っかれって事だよね。


 「あ、あの私、重いので…」

 「…飲み会。」

 「え?」

 「行こっかなって。
 沙奈は、唯斗と仲良しだし、俺との触れ合いは何だかんだ嫌そうだし。」

 「ち、違っ!」

 「じゃあ、来いよ。」


 突然不機嫌な声色に変化して、私の手首を握る指に力がこもった。
 その冷めた眼差しに、確かにズキンと気持ちが痛む。だけど、同時にドキドキと鼓動が忙しく動き出す。

 この…複雑な気持ちは、何だろう。

 「……。」


 大人しく、だけどそっと杉崎さんの足の上に乗るとフワリと背中から包まれた。


 「なんだ、大して重くないじゃん。」


 機嫌良さげな声が耳元で聞こえる。


 「…杉崎さんのお尻が痛くなっちゃいます。」

 「へーき。沙奈が柔らかいから。」

 「……。」

 「沙奈が痛くなきゃいーよ、俺は。」


 優しく穏やかな声色に、キュウッと胸が掴まれて少し苦しさを感じた。


 「す、杉崎さん…」

 「んー?」

 「行くんですか…?飲み会。」


 くふふとまた優しい笑い声。


 「何、行って欲しくないの?」


 首筋に柔らかい唇の感触を味わった。


 「……っ!」


 杉崎さんの指先が、私のシャツのボタンをプチン…プチン…っと外し始め、シャツの中に滑り込む。
 それに気をとられた瞬間、頬をクイッと動かされて唇を塞がれた。


 「んん…っ」


 私の浮いた腰を杉崎さんの腕が押さえ込む。


 イタズラに動く掌

 優しく繰り替えされるキス

 太ももを摩るようにスカートをめくられ、ストッキングの向こうから伝わる指先の感触にもどかしさを覚えてカラダが疼いた。

 …けれど。

 すっとそこで掌の感触が消え、今度はヨシヨシと頭を撫でられる。


 「まぁ…たまにはお付き合いもしないとね。大事でしょ?社会人として。
 でも、ちゃんと家には帰りますよ?俺は。だから、イイコに先に寝てな?」


 …杉崎さん、私が不安そうに見てたの気がついてたんだ。

 何か…恥ずかしい。
 ただの居候のくせに、杉崎さんのプライベートに干渉しようとして。


 「あ、あの…飲み会、楽しんできて下さい」

 「うん。ありがと。」


 ……と、反省し、言ってはみたものの。

 杉崎さんのマンションで、ソファの下に一人寂しく膝を抱えて、帰りを待つ今。
 一応…テレビも付けてみたけど、全く興味がわいてこない。

 溜息を大きく吐き出して、顎を膝につけた。


 …綺麗だったな、昼間一緒に居た女の人。


 スラリとした華奢な体型でぽこんとエクボが出来て。髪がフワフワしてて…Aラインのスカートが似合ってた。
 そして美人だけど、嫌味の無い笑顔。

 頭の中で、杉崎さんがあの人に腕を触られてでれっとしていた映像がグルグルと回る。


 あの満更でも無い感じ。
 杉崎さん…今日は帰って来ないのでは。
 もし…杉崎さんがあの人とうまくいってしまったら、私は…やっぱりここから出て行かなければいけない…よね。

 考えれば考えるほど、どんどん勝手に不安が襲ってくる。


 「寝よ……っかな。」


 先に寝てて良いって言われたし。


 意を決してようやく立ち上がった時には日付をまたぐ直前。
 シャワーを浴びて、自分の布団に潜ってみても、中々寝付けない。


 一生懸命毛布にくるまっても…なんだか心許なくて寒い気さえする。

 「………。」


 ……ま、まどろむ位までなら許されるかな。


 そっと杉崎さんの寝室に行ってベッドに寝転んだ。


 毛布にくるまって顔をそこに付けたら、微かに杉崎さんの香りが鼻をくすぐる。


 『沙奈…』


 瞼を閉じて耳元で囁かれた甘い声を思い出すと、どことなく杉崎さんに包まれて眠る夜に近い感覚になって…


 何だか……安心……する……

 心地良さを覚えて、まどろんでいく。

 そろそろ…自室に戻っても眠れる…か…な……。




 .




 ギシリとベッドが軋む音と、人の気配で微睡みから少し意識を取り戻した。
 同時に、唇が柔らかく塞がれて、少しの息苦しさに襲われる。


 「ん……っ」


 口内に伝わるアルコールの香り。
 絡み合う舌が、まるで、お酒を口移ししているかの様な感覚を生み出して思わず手に力を込める。
 けれど、その手も、指が絡み捕らえられていて全く自由の利かない状態になっていた。


 「…沙奈、ただいま。」


 不鮮明な頭の中。
 開ききらない瞼の先で笑顔が近づいて来て、コツンとおでこ同士がぶつかった。


 「ほんと、バカだよね、沙奈って。何でわざわざ襲われるの待ってんだよ。」


 襲われ…る?


 「折角俺が居なくて、のびのびするチャンスだったのに…」


 杉崎さんが居なくて…のびのび…?
 何の話…だろう。
 私は…ただ、寂しくて…杉崎さんが帰るまで、内緒で…ベッドを少しお借りして…


 ………ああっ!しまった!


 そこで一気に頭がクリアになり、瞼が全開になった。


 「す、すみません!私…ベッドお借りしちゃって…」

 「何、寝ぼけてたの?」


 小首を傾げてきょとんとする、酔っているのか少々トロンとした目をした杉崎さんに、言葉を思わず一度飲み込んだ。


 これ……寝ぼけてたって誤魔化すべきかな?
 だって、杉崎さんの匂いが恋しくて拝借したなんて、私どう考えても変態じゃん。


 「えっと…あの…そ、そう…んっ」


 抱き寄せられて、再び唇が重なる。


 「…そんなに恋しかった?」

 「え?」


 変わらずトロンとした目に、柔らかくて穏やかなその表情。
 ドキンと鼓動が大きく跳ねた。


 「や、寝ぼけて布団に入り込むってよっぽどだなーって思ってさ。」

 「そ、それは…」

 「まあ、沙奈がそれで眠れるんならいいんだけどね?」


 私の髪に杉崎さんの指が通って、撫で始める。
 その感触に、心地良さを覚えて気持ちがフワリと安らかになる。


 …やっぱりいけなかったよね。
 いくら、なんでも勝手に布団に潜り込んでるって……。


 「……勝手に入ってすみませんでした。」

 「だから、いーってば。恋しかったんでしょ?」

 「恋…し、かった…です。」


 その胸元に顔を埋めたまま言ったら、くふふって優しい笑い声が降ってきた。


 「まあ、でも…そうだよね。ちょっとグレードアップさせないとだよ、沙奈の布団も。柔らかさも全然違うけど、敷いて片づけても毎日大変でしょ。この際だからベッド買う?」


 ………え?


 ふ、布団?
 柔らかさ?


 顔を上げたら、「ん?」って小首を傾げる杉崎さん。


 「えっと…ふ、布団…」

 「うん。布団。
 恋しかったんでしょ?フカフカが。結構な頻度でこっちで寝ちゃってんもんね、沙奈。そりゃ慣れるよ、こっちの固さに。」


 し、しまった……
 私、なんて勘違いを……


 羞恥心が一気に襲ってきて、身体中が沸騰したかの様に熱くなる。
 それを誤魔化す術すら思いつかず、そのまま、ゆっくりと目線を逸らし、杉崎さんの胸元に顔を再び埋めた。


 「………。」

 「……沙奈?」

 「は、はい…」

 「“恋しかった”んだよね?」

 「……。」

 「何が?」

 「ふ、布団…「嘘つけ。」


 背中を杉崎さんの手が這い始めて、ウェストからスウェットの中へと入ってくる。
 思わず身体が反応してこわばった。


 「“何”が、恋しかったの?」

 「……っ」

 「沙奈?」


 裏股から内股へと指先が滑り込み、そこをツツッとなぞり出す。

 耳の縁に、微かにその薄めの唇が触れた。


 「……言えよ。」


 さっきまでとはうって変わっての、低い掠れ声。

 足の付け根まで、辿り続けている指先。
 キュウッと身体が奥から熱を持ち、鼓動が早くなった。


 「言わないとこのまま襲うよ?
 悪いけど若干酒がまわってんから、手加減無理。」


 耳に触れていた唇が少し動いて舌先がそこに触れ始める。
 こそばゆい感触に、再び身体がこわばった。


 「……っ」

 「あー…そう。いいんだ、襲われて。」

 「ち、違っ…あっ」


 言葉を押し出そうとしても、触れられている事でそれどころじゃ無い。


 「ま、俺はゆっくり楽しませて貰うんで、別にいいけどね」


 クスリと笑う声ですら、身体が反応して更に熱を生み出した。


 「んん…っ」


 太ももに手を差し込まれたまま、仰向けにさせられて。
 上から降ってきたキスを受け止める。

 “手加減しない”と言っていた杉崎さんのキスは、言葉通りではなくて、そっと優しく…柔らかく丁寧で。

 今度は求める気持ちが切ない位に込み上げた。


 「杉崎さん…」


 少しだけぼやけた視界の中で、杉崎さんのTシャツを握り締めて、“もっと”って訴える。

 私…いつからこんなに求めるようになってしまったんだろうか。
 杉崎さんにしてみたら…ただのペットみたいなものなのに。

 余計に気持ちが込み上げて、溢れそうになった涙は杉崎さんが鼻先同士をスリスリすることで止められた。


 「…もうあんま飲みには行かない。」


 少し息荒く、けれどきょとんとする私を至近距離で見下ろし眉を下げる杉崎さん。
 一度、私の唇を啄む様に触れ、口角をキュッと上げて微笑んだ。


 「俺さ。基本出不精の人間なんだよ。誰かと飲みに行くとか、何だとか大して好きじゃ無いし。
 一人で気楽なのが好きなわけ。
 だからまあ…たまーに今日みたいに付き合いで行く日もあるけど、あんましないよ?」


 杉崎さん……。
 分かってた…のかな?
 飲み会に行ってしまうって不安になったことも、急に寂しく心許なくなってしまってだから眠れなくて杉崎さんの布団に潜り込んでしまった事も……


 「まあでも、たまには飲み会行かないとだよね。帰ってきたら沙奈が俺の布団で夜這いの待機してるなら。」

 「よ、夜這っ…ち、違います!」


 杉崎さんが必死に訴える私を笑いながら抱きしめ直し、首筋に顔を埋めた。


 「……ここに居る間はさ。沙奈は何も気にしなくていいから。
 沙奈がここに一人で居るのが不安で居心地が悪いっつーなら、俺は帰ってくるよ?『ずっと家に居んな、こいつ』って位に。」


 柔らかくて優しい言葉に、心の中がホッと暖かみを感じる。
 鼻の奥がツンと痛みを覚え、涙がポロリとこぼれ落ちた。

 再び身体を少し起こして私を見下ろす杉崎さんがそれに苦笑い。


 「あー…もう。なんで泣くのよ。」


 面倒くさそうな言い方なのに、やっぱり表情も、涙を拭ってくれる指先も、丁寧に触れる唇も…全てがこの上なく優しくて、余計に涙が込み上げる。


 ……かつて、こんな風に気持ちごと優しさに包まれた事ってある?
 安心をくれて寂しさを消し去ってくれた人っている?


 「…沙奈、もう泣き止んでよ。キスがしょっぱい。」


 杉崎さんは、きっと、『拾ってしまった以上は』と私が出て行くまでずっと、こうやって優しいんだろうな……。

 もう何度目か分からないキスの甘さに酔いしれながら、杉崎さんの言葉を頭の中で繰り返していた。


 “一人で気楽なのが好き”


 ごめんなさい、杉崎さん。
 もう少しだけ…甘えさせてください。


 必ず、おうちを見つけて…ちゃんと自分の足で立ちますから。


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