龍神様と私の幸せな世界
「はあ……」
とぼとぼと歩きながらスーパーへと向かう。
どんなに急いで買い物をして帰ったとしても、先程と同じように怒られるのは目に見えていた。
(いつからこんな風になっちゃったのかな…)
小さい頃は椿、母、父の三人で、裕福でないながらも穏やかに楽しく過ごしていた。
それが変わってしまったのは、父が浮気し、余所で子供を作ってしまった時からだ。
毎晩のように父と母は口論し、怒鳴り声が飛び交っていた。
そのうち離婚が成立したのか、父は帰って来なくなった。
母は女手一つで椿を育ててきたが、仕事に家のこととそのストレスは溜まる一方で、いつしか椿に手をあげるようになっていた。
ストレスの捌け口に椿を使い出したのだ。
優しかった母親がいなくなった今も、椿は文句ひとつ零すことなく、献身的に母に尽くしている。
(お母さんが少しでも楽になるなら…)
椿はその一心で母親からの暴力や暴言を我慢しているのだった。
優しかった母親が戻ってくることなど、ないかもしれないのに。
「芳野?」
ふと声を掛けられて、椿は顔を上げた。
そこにいたのは、クラスメイトで幼なじみでもある、佑太郎だった。
「さ、西条くん…!」
突然現れた憧れの人に、椿はぱっと表情を明るくする。
「こんな時間に買い物?」
「あ、うん…買い忘れた食材があって…」
もごもごと話す椿を、佑太郎は気にも留めずににこやかに会話を続ける。
「もう暗いけど、一人で大丈夫?」
「だ、大丈夫!スーパーすぐそこだから!」
普段心配などされない椿には、佑太郎の言葉はものすごく嬉しかった。
「さ、西条くんは…これからお出かけ?」
「そうなんだ、急にクラスのやつらに呼ばれてさ、これからみんなでカラオケ」
「カラオケ…」
(こんな暗い時間に外で遊んで、怒られないんだ…)
高校生ともなれば、友人と遊びに出掛けることはもちろん、アルバイトで遅くなることもあるだろう。
しかし椿にはそのどれも経験したことがなかった。
(いいな…西条くんとカラオケ…)
椿の心の内を読んだかのように、「芳野も一緒にカラオケ行く?」と佑太郎が誘う。
「えっ…!」
行きたい!と喉から言葉が飛び出そうになるのを、椿はすんでのところで吞み込んだ。
「あ、えっと…買い物があるから…」
「あー、そうだよな。急に誘ってごめん」
「う、ううん!声掛けてくれて、ありがとう…」
「じゃあ、」と言って佑太郎はカラオケやファミレスで賑わう通りへと向かって行った。
その背中を見送った椿は、少しだけ心が穏やかになっていることを感じた。
(西条くん、やっぱり優しいな…。また私のこと気に掛けてくれた…)
佑太郎が人気者であるのも頷ける。
こんな椿でさえわざわざ声を掛けてくれるのだから、誰だって佑太郎を好ましく思うだろう。
(いつかちゃんと改めて、ありがとうって伝えたいな)
家に帰ったらきっとまた母親に怒られるのだろうが、佑太郎に会えたことで、椿の心は少し軽くなった。