野良猫少女と保護者ヤクザ
12 歩いた先に開いた道
海辺のベンチに寝そべって、ナオは徹夜明けの体を休めていた。
「ほら」
誠也もベンチに座って、ナオの頬に水の入ったペットボトルを当てる。
ナオはのろのろと起き上がってペットボトルを受け取ると、キャップをひねって中身をあおった。
夜通しバイクで街を疾走した体に、冷たい水が染みわたっていく。
潮騒が鳴り響く中、もうずいぶん高いところに太陽がある。
それをどこか不思議そうに眺めている自分は、遠い世界に来たようだった。隣に座る誠也がいなければ、ここが現実とも思えなかった。
ナオは誠也と一緒に海に向き合いながら、彼の言葉を聞く。
「お嬢さんは、無事母親と話ができたみたいだな」
「うん。……よかった」
昨夜、珈涼がやって来たのは海辺にある猫元の別荘だった。そこには珈涼の母親が身を隠していて、マンションから抜け出してきた珈涼を涙と共に抱きしめた。
「お嬢さんは父親とも連絡を取ったみたいだぞ」
ナオは誠也の言葉にうなずいて、宙に浮かべるみたいにぽつりと言った。
「……あの子は、ずっと家族に認めてもらいたかったんだ」
誠也がナオに振り向く気配がした。ナオはそれに力を得て続ける。
「あの子は温かい、陽だまりみたいな匂いがするもの。極道の男とたった二人だけの関係に生きるようには見えなかった」
ナオはふと目を和らげて言った。
「でもあの子、ボスのことは好きなんだ」
「いつから気づいてたんだ?」
「それはあの子を知った最初から。嫌いな人を、あんな顔で見たりしないよ」
誠也は頭の後ろで手を組んで、不思議そうに体を逸らした。
「そういうもんか? 俺には怖がってるようにしか見えなかったが」
「誠也も、ボスだって男だし。……だからいいところも、あるんだけどさ」
ナオはふと誠也を見上げた。同じように夜の街をバイクで疾走した後、しかも徹夜明けだというのに、誠也はけろっとしている。それより珈涼をここに連れてきた経緯を聞いてナオを叱ったときの方が、感情を露わにしていた気がする。
誠也は心配そうにナオを見下ろして言う。
「ひとまず猫元氏のところにいれば、お嬢さんは安全だ。……疲れたろ。ちょっと眠りな」
「そうする……」
ナオはベンチに横になって、誠也の膝に頬を乗せる。
徹夜の副作用は、急に眠気が押し寄せることだ。でも誠也がいてくれるなら何の心配もないと思っていられる。
ナオは重いまぶたを持て余しながらつぶやく。
「あとはあの子がボスに、ちゃんと気持ちが言えるかどうかだけど……」
誠也はそれに、ぽんとナオの頭を叩いて応えた。
「それはお嬢さんが決めるさ。きっと決められる。ナオ、お前はよく休んでおけ」
たぶん誠也の言う通りだ。ボスと珈涼の気持ちが通じるかどうかは、二人のこれから次第だ。
けれど珈涼が勇気を持って一歩を進めたことで、きっと今までとは違う展望が見えてくると信じている。
ナオは大きく息をついて、眠りに身を委ねた。
その後、思いもよらないほど事態は早く、大きく動いた。
ナオが眠っている間に、珈涼は父親のところに行って話をしたらしい。その父親の家にボスもやって来て、珈涼と再会し……珈涼はボスに、ずっと自分が疎ましかったことを打ち明けたそうだ。
珈涼は、多くの人の生活を背負って仕事をするボスに憧れていた。愛人の子どもの自分が一緒にいていいのかと不安だった。
でもずっとボスが好きだったことを……珈涼はようやくボスに直接伝えたのだった。
二人は話し合って、一緒に暮らすことになったそうだ。ナオは目を覚ました夕方、誠也から聞いてそれを知った。
「俺はなぜかボスに謝られたぞ。……ナオ、お前何かボスに言ったのか?」
誠也は訝しんでいたが、ナオは誠也の別れた彼女のことは言わなかった。ボスの良心を静かに受け止めて、胸に留めて置くことにした。
幸い誠也はそれ以上追及しないで、ナオが思いもよらないことを言った。
「それより、ボスから大事な話があった。お前の今後のことだ」
「自分の今後?」
そのとき、ナオと誠也の二人は海辺の小さな旅館にいた。古びたロビーには、他に誰もいなかった。窓の外の海だけが、夕陽を浴びてきらきらと輝いていた。
テーブルを挟んで向き合って、誠也は言葉を切り出す。
「ボスは今回、お前が機転を利かせてお嬢さんを守ったのを評価している。お前がよければ今後も警護を任せたいとのことだが……もう一つ、お前に選択肢をくださった」
ナオが首を傾げて誠也を見上げると、誠也は言葉を続ける。
「ボスはお前に、奨学金の手配をしてもいいと。……お前の成績と気骨なら、きっと表の世界に戻れるだろうと仰ってな」
誠也はナオの肩に手を置いて、頼み込むように言った。
「ナオ。俺もそれを勧める。……俺たちと縁を切って、お前は元の世界に戻るんだ」
ナオは目を見開いて、誠也に言われた言葉を心で反すうしていた。
……誠也たちと縁を切って、元の世界に戻る。
それは一瞬、誠也からの別れの言葉にも聞こえて、ナオはとっさに何も言い返すことができなかった。
「ほら」
誠也もベンチに座って、ナオの頬に水の入ったペットボトルを当てる。
ナオはのろのろと起き上がってペットボトルを受け取ると、キャップをひねって中身をあおった。
夜通しバイクで街を疾走した体に、冷たい水が染みわたっていく。
潮騒が鳴り響く中、もうずいぶん高いところに太陽がある。
それをどこか不思議そうに眺めている自分は、遠い世界に来たようだった。隣に座る誠也がいなければ、ここが現実とも思えなかった。
ナオは誠也と一緒に海に向き合いながら、彼の言葉を聞く。
「お嬢さんは、無事母親と話ができたみたいだな」
「うん。……よかった」
昨夜、珈涼がやって来たのは海辺にある猫元の別荘だった。そこには珈涼の母親が身を隠していて、マンションから抜け出してきた珈涼を涙と共に抱きしめた。
「お嬢さんは父親とも連絡を取ったみたいだぞ」
ナオは誠也の言葉にうなずいて、宙に浮かべるみたいにぽつりと言った。
「……あの子は、ずっと家族に認めてもらいたかったんだ」
誠也がナオに振り向く気配がした。ナオはそれに力を得て続ける。
「あの子は温かい、陽だまりみたいな匂いがするもの。極道の男とたった二人だけの関係に生きるようには見えなかった」
ナオはふと目を和らげて言った。
「でもあの子、ボスのことは好きなんだ」
「いつから気づいてたんだ?」
「それはあの子を知った最初から。嫌いな人を、あんな顔で見たりしないよ」
誠也は頭の後ろで手を組んで、不思議そうに体を逸らした。
「そういうもんか? 俺には怖がってるようにしか見えなかったが」
「誠也も、ボスだって男だし。……だからいいところも、あるんだけどさ」
ナオはふと誠也を見上げた。同じように夜の街をバイクで疾走した後、しかも徹夜明けだというのに、誠也はけろっとしている。それより珈涼をここに連れてきた経緯を聞いてナオを叱ったときの方が、感情を露わにしていた気がする。
誠也は心配そうにナオを見下ろして言う。
「ひとまず猫元氏のところにいれば、お嬢さんは安全だ。……疲れたろ。ちょっと眠りな」
「そうする……」
ナオはベンチに横になって、誠也の膝に頬を乗せる。
徹夜の副作用は、急に眠気が押し寄せることだ。でも誠也がいてくれるなら何の心配もないと思っていられる。
ナオは重いまぶたを持て余しながらつぶやく。
「あとはあの子がボスに、ちゃんと気持ちが言えるかどうかだけど……」
誠也はそれに、ぽんとナオの頭を叩いて応えた。
「それはお嬢さんが決めるさ。きっと決められる。ナオ、お前はよく休んでおけ」
たぶん誠也の言う通りだ。ボスと珈涼の気持ちが通じるかどうかは、二人のこれから次第だ。
けれど珈涼が勇気を持って一歩を進めたことで、きっと今までとは違う展望が見えてくると信じている。
ナオは大きく息をついて、眠りに身を委ねた。
その後、思いもよらないほど事態は早く、大きく動いた。
ナオが眠っている間に、珈涼は父親のところに行って話をしたらしい。その父親の家にボスもやって来て、珈涼と再会し……珈涼はボスに、ずっと自分が疎ましかったことを打ち明けたそうだ。
珈涼は、多くの人の生活を背負って仕事をするボスに憧れていた。愛人の子どもの自分が一緒にいていいのかと不安だった。
でもずっとボスが好きだったことを……珈涼はようやくボスに直接伝えたのだった。
二人は話し合って、一緒に暮らすことになったそうだ。ナオは目を覚ました夕方、誠也から聞いてそれを知った。
「俺はなぜかボスに謝られたぞ。……ナオ、お前何かボスに言ったのか?」
誠也は訝しんでいたが、ナオは誠也の別れた彼女のことは言わなかった。ボスの良心を静かに受け止めて、胸に留めて置くことにした。
幸い誠也はそれ以上追及しないで、ナオが思いもよらないことを言った。
「それより、ボスから大事な話があった。お前の今後のことだ」
「自分の今後?」
そのとき、ナオと誠也の二人は海辺の小さな旅館にいた。古びたロビーには、他に誰もいなかった。窓の外の海だけが、夕陽を浴びてきらきらと輝いていた。
テーブルを挟んで向き合って、誠也は言葉を切り出す。
「ボスは今回、お前が機転を利かせてお嬢さんを守ったのを評価している。お前がよければ今後も警護を任せたいとのことだが……もう一つ、お前に選択肢をくださった」
ナオが首を傾げて誠也を見上げると、誠也は言葉を続ける。
「ボスはお前に、奨学金の手配をしてもいいと。……お前の成績と気骨なら、きっと表の世界に戻れるだろうと仰ってな」
誠也はナオの肩に手を置いて、頼み込むように言った。
「ナオ。俺もそれを勧める。……俺たちと縁を切って、お前は元の世界に戻るんだ」
ナオは目を見開いて、誠也に言われた言葉を心で反すうしていた。
……誠也たちと縁を切って、元の世界に戻る。
それは一瞬、誠也からの別れの言葉にも聞こえて、ナオはとっさに何も言い返すことができなかった。