野良猫少女と保護者ヤクザ

7 真夜中の裏仕事

 じりっとした暑さの残る夜に、ナオは地下駐車場にいた。
 時刻は夜の十時に差し掛かろうとする頃だった。地下駐車場はナオと、ナオを連れてきてくれた誠也の他には誰もいない。蛍光灯で明るく照らされているというのに、閉塞的な空間がそうさせるのか、ナオには息苦しく感じた。
 ふいにナオは顔を上げる。見覚えのある黒い車が、滑るように地下駐車場に入ってきた。
 運転手が後部座席を開けて、ボスの姿が見えた。ナオが近づこうとすると、ボスはナオを制して自分で降りてきた。
「静かに。……よく眠っている」
 ボスが腕に抱いていたのは、シーツに包まった珈涼だった。小さな体をますます小さく丸めて、寝息も立てずに眠っていた。
 自分が運びましょうかと提案することはできなかった。ボスはそれは大切そうに、宝物にするように珈涼を包んでいて、珈涼を見下ろすまなざしは甘かった。
 けれどシーツの中、珈涼は裸のようだった。それに周囲にこれだけ人がいるのに眠り続けるのは、眠り薬の類を使われているのに違いなかった。
 ボスはちらと誠也に目をくれた。誠也がここにいるのを、少しの不機嫌をもって見たらしかった。
 ナオはあらかじめボスに電話で言われた通り、ボスからカードキーを受け取った。
「どうぞ。足元に気を付けて」
 ナオはエレベーターを操作して、珈涼が囲われている階までボスを先導する。
 エレベーターの中、ボスとナオの間には沈黙があった。ボスの塞がった手の代わりに鍵を開けるという役目だけで終わるとは思っていなかった。
 やはりというか、珈涼の部屋の前でボスは思いもよらなかったことを命じた。
「珈涼さんの服を全部、車に乗せるように」
 ナオは一拍迷って、一言だけ確認する。
「全部ですか」
「全部だ」
 その服がどこに行くのか、服を奪われた珈涼がどうなるのか、ボスは教えてくれなかった。
「珈涼さんの体に触れるものを、男に触らせるわけにはいかない」
 そのときナオはようやく、ボスが怒っていることに気づいた。
「……脅しではなく、本当に手を切り落としたくなるからな」
 ナオの背筋に、ぞくっとした寒気が走った。
 ボスは珈涼に言い寄る男たちに気づいてしまったのだろう。自分には向けない笑顔を喫茶店で見せていたことも、きっと知ってしまった。
 ナオは兄貴たちに聞かされて、知っていたつもりだった。けれど実感として理解したのは今だった。ボスは、恐ろしい人だと。
 ナオは言われるままにマンションの部屋の中に入って、珈涼の服を全部地下駐車場の車に積んだ。ボスは本当に、下着も靴も残すのを許さなかった。
 珈涼の服を積んだ車が走り去った後、ナオは上の階に戻ってきた。
 ボスは珈涼をベッドに寝かせて、自身は枕元に座って彼女を見下ろしていた。あどけない寝顔をみつめて、ぎこちなく彼女の前髪をかきあげていた。
 ボスのその表情だけは、恐ろしい極道のものではなかった。どこか切ないようなまなざしで、手の中の小さなぬくもりに考え込んでいるように見えた。
 ナオは戸口で一呼吸置いて、ボスに声をかける。
「終わりました」
「ご苦労。もう帰っていい」
「あと」
 ナオは勇気を振り絞って、もう一声続けた。
「自分はこれでお役御免ですか。……これからは、お嬢さんを外に出さないつもりのようですから」
 ナオの心の中は、珈涼への同情と、一刻も早くここを離れたい思いでまだら模様だった。
 ボスの珈涼への入れ込み様は、平常とは違う。一時の愛人に対するような感情じゃない。少し、狂っているような気さえしてくる。
 ボスはちらりとナオを見やって、その背後に立つ誠也も見たようだった。
 ボスは彼らしい冷静な判断を失ってはいなかったらしい。誠也にも聞かせるように、ナオに言葉を返した。
「そうだな。しばらく自由にしていい」
 誠也はボスに何か言いかけたが、ボスはそれを聞く前に釘を刺した。
「ただ、また役に立ってもらう時が来るだろう。……仁科、お前は不満だろうが。今は私の直属の部下だ」
 ボスはもう一度、帰っていい、と告げた。今度こそ話は終わりのようだった。
 誠也は歯噛みしたようだったが、ナオは誠也の袖を引いて出るように促した。
 ナオは誠也を先に玄関に送って、自分はその後に続いた。
 寝室の扉を閉めるとき、ボスが屈みこんで珈涼にささやくのが見えた。
――そこはいい夢ですか、珈涼さん。
 それはどこか暗い響きを帯びた、睦言のように聞こえた。
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