野いちご源氏物語 第一巻 桐壺(きりつぼ)
しばらく経って、やっと桐壺の更衣様の皇子が内裏にいらっしゃった。
この世のものとは思えないほど美しくご成長されていたわ。
あまりに美しすぎるので、帝は、
「天から少しの間だけ人間の世界にやってきた人なのではないか。すぐに天に戻ってしまうのではないか」
とかえって不吉だと思われたほどよ。
年が明けて、帝は一の皇子を東宮——皇太子にするとお決めになった。
一の皇子は弘徽殿の女御様がお生みになった皇子。
本当は更衣様の皇子を東宮になさりたかったけれど、帝はまったくそんなご様子をお見せにならなかったわ。
皇子には後見する人——頼りにできるご親戚もいらっしゃらないし、世間も反対するだろうから。
無理に東宮になんかしたら、きっと苦労が多くて、桐壺の更衣様の二の舞になってしまうかもしれないとご心配なさったの。
世間の人たちは、
「あんなにおかわいがりになっている皇子でも、東宮にするのはさすがに難しかったのだろう」
と言っていた。
弘徽殿の女御様は胸をなでおろしていらっしゃったわ。
桐壺の更衣様の母君は、更衣様の皇子が東宮になれなかったことで、なぐさめようもないほど気落ちなさっていた。
「もう娘のいるところへ行きたい」
と念じられたせいか、とうとう亡くなってしまったの。
帝は、「娘を入内させた甲斐があった」と母君についに思わせられなかったことを悲しまれた。
更衣様の母君は皇子に、
「長い間ご一緒に暮らしてお世話しておりましたから、あなた様を残して先に死ぬのは悲しゅうございます」
と繰り返し繰り返しおっしゃって亡くなったわ。
皇子は六歳でいらっしゃった。
更衣様がお亡くなりになったときとは違って、今回は祖母君の死を理解されている。
祖母君が恋しくて泣いていらっしゃった。
皇子はそれからはずっと内裏で暮らしていらっしゃる。
七歳におなりになると、読書初めの式——初めて中国の書物を読む儀式が行われたの。
そこから皇族の男子としての勉強が始まるのだけれど、あまりに賢く聡明でいらっしゃるので、帝はかえって不安に思われたほどだったわ。
帝は、皇子を連れて弘徽殿の女御様のところへなども行かれる。
「もう誰もこの皇子を憎むことはできないでしょう。母親もいないのです。かわいがっておやりなさい」
とおっしゃって、皇子を女御様のすぐ近くにお座らせになったわ。
皇子のお姿は、たとえ狂暴な男であっても微笑んでしまうようなお美しさなのだもの、弘徽殿の女御様も嫌いつづけることはおできにならなかったようね。
弘徽殿の女御様には女のお子様がお二人いらっしゃるのだけれど、桐壺の更衣様の皇子ほどお美しくはいらっしゃらないのよ。
他のお妃様たちも、皇子がすぐ近くに座られることをお許しになったわ。
皇子はまだお小さいのに上品でいらっしゃる。
かわいらしいけれど少し緊張するようなお話相手だとお妃様たちは思っていらっしゃったようね。
皇子は中国の書物を読むという堅苦しいお勉強はもちろん、楽器の演奏なんかもお上手だったのよ。
皇子がお琴を弾いたり笛を吹いたりなさると、内裏中が大騒ぎになって……あら、これ以上続けるとおおげさで嘘っぽくなるかしら。
本当なのだけれど。
この世のものとは思えないほど美しくご成長されていたわ。
あまりに美しすぎるので、帝は、
「天から少しの間だけ人間の世界にやってきた人なのではないか。すぐに天に戻ってしまうのではないか」
とかえって不吉だと思われたほどよ。
年が明けて、帝は一の皇子を東宮——皇太子にするとお決めになった。
一の皇子は弘徽殿の女御様がお生みになった皇子。
本当は更衣様の皇子を東宮になさりたかったけれど、帝はまったくそんなご様子をお見せにならなかったわ。
皇子には後見する人——頼りにできるご親戚もいらっしゃらないし、世間も反対するだろうから。
無理に東宮になんかしたら、きっと苦労が多くて、桐壺の更衣様の二の舞になってしまうかもしれないとご心配なさったの。
世間の人たちは、
「あんなにおかわいがりになっている皇子でも、東宮にするのはさすがに難しかったのだろう」
と言っていた。
弘徽殿の女御様は胸をなでおろしていらっしゃったわ。
桐壺の更衣様の母君は、更衣様の皇子が東宮になれなかったことで、なぐさめようもないほど気落ちなさっていた。
「もう娘のいるところへ行きたい」
と念じられたせいか、とうとう亡くなってしまったの。
帝は、「娘を入内させた甲斐があった」と母君についに思わせられなかったことを悲しまれた。
更衣様の母君は皇子に、
「長い間ご一緒に暮らしてお世話しておりましたから、あなた様を残して先に死ぬのは悲しゅうございます」
と繰り返し繰り返しおっしゃって亡くなったわ。
皇子は六歳でいらっしゃった。
更衣様がお亡くなりになったときとは違って、今回は祖母君の死を理解されている。
祖母君が恋しくて泣いていらっしゃった。
皇子はそれからはずっと内裏で暮らしていらっしゃる。
七歳におなりになると、読書初めの式——初めて中国の書物を読む儀式が行われたの。
そこから皇族の男子としての勉強が始まるのだけれど、あまりに賢く聡明でいらっしゃるので、帝はかえって不安に思われたほどだったわ。
帝は、皇子を連れて弘徽殿の女御様のところへなども行かれる。
「もう誰もこの皇子を憎むことはできないでしょう。母親もいないのです。かわいがっておやりなさい」
とおっしゃって、皇子を女御様のすぐ近くにお座らせになったわ。
皇子のお姿は、たとえ狂暴な男であっても微笑んでしまうようなお美しさなのだもの、弘徽殿の女御様も嫌いつづけることはおできにならなかったようね。
弘徽殿の女御様には女のお子様がお二人いらっしゃるのだけれど、桐壺の更衣様の皇子ほどお美しくはいらっしゃらないのよ。
他のお妃様たちも、皇子がすぐ近くに座られることをお許しになったわ。
皇子はまだお小さいのに上品でいらっしゃる。
かわいらしいけれど少し緊張するようなお話相手だとお妃様たちは思っていらっしゃったようね。
皇子は中国の書物を読むという堅苦しいお勉強はもちろん、楽器の演奏なんかもお上手だったのよ。
皇子がお琴を弾いたり笛を吹いたりなさると、内裏中が大騒ぎになって……あら、これ以上続けるとおおげさで嘘っぽくなるかしら。
本当なのだけれど。