野いちご源氏物語 第一巻 桐壺(きりつぼ)
帝は何年経っても桐壺の更衣様のことを忘れずにいらっしゃった。
美しいと評判の女性を何人か内裏に上がらせるこもとなさったけれど、
「桐壺の更衣にそっくりな者はおらぬ。更衣の代わりにしてもよいと思える者さえおらぬ」
と何もかも嫌になってしまわれた。
帝にお仕えする女官のなかで、前の帝のときから内裏で働いている人がいらっしゃったの。
その女官が、
「前の帝の内親王様——女の皇子が、亡き桐壺の更衣様にそっくりでいらっしゃいますよ。とてもお美しい方で、母君が大切にお世話なさっています。私は内親王様がお小さいころからよくお目にかかっておりまして、大人になられてからも失礼ではない程度にちらりとお顔を拝見することがございます。亡き桐壺の更衣様にそっくりな方といえば、あの内親王様以外にはいらっしゃいません」
と申し上げたので、帝は、
「本当だろうか」
とお気になさって、内親王様の母君に丁寧に入内をお願いをなさったの。
母君は、
「なんと恐ろしいこと。内裏には気の強い弘徽殿の女御がいて、桐壺の更衣などはいじめ殺されたと聞いた。そのようなところへ娘を行かせるわけには」
と警戒なさった。
でも、はっきりとしたお断りもなさらないうちに亡くなってしまわれたの。
内親王様は帝でいらっしゃった父君に続いて母君まで亡くされて、心細そうに暮らしていらっしゃった。
そこへ帝は、
「私には娘が何人かおりますから、あなたのことも娘のようにお世話してあげましょう。何も心配せずに入内なさい」
と優しいお言葉でお誘いになる。
「娘のように」とおっしゃっても、もちろん実際はお妃様になさると誰もが分かっているわよ。
内親王様にお仕えしている人たちや、内親王様の兄君も、
「ここで心細そうにお暮らしになるより、内裏に上がられた方が楽しいこともあるだろう」
とお思いになって、内親王様を入内させなさったの。
内裏では藤壺という建物でお暮らしになることになったわ。
だから「藤壺の女御様」とお呼びしましょう。
藤壺の女御様は、本当に恐ろしいほど桐壺の更衣様に似ていらっしゃった。
前の帝の内親王様という、お妃様たちのなかでは最高のご身分だもの、堂々としていらっしゃるように拝見したわ。
もちろんどなたも悪口などおっしゃることはできない。
藤壺の女御様は誰の目も気にせず、お好きなように暮らしていらっしゃった。
桐壺の更衣様の場合はね。
更衣という低いご身分で、後見してくださる方もいらっしゃらなかったのですもの。
あれほど帝に愛されるのは、皆様もご納得できなかったのよね。
更衣様を失った悲しみが消えるわけではなかったけれど、帝のお心は自然と藤壺の女御様に移っていって、女御様を深く愛されるようになった。
まぁ、そんなものよね。
桐壺の更衣様の皇子は、このころには皇族のご身分を失い、源という名字の貴族となっていらっしゃった。
だからこの先は、「源氏の君」とお呼びしてまいりましょう。
源氏の君は貴族になられたのだけれど、まだ特別に内裏で暮らしていらっしゃったの。
帝はいつも源氏の君を近くでかわいがっておられた。
お妃様たちのお部屋に遊びに行かれるときもご一緒に連れていかれるの。
源氏の君は、お小さいころからずっと帝と一緒にお妃様のお部屋に出入りされているから、お妃様たちも慣れていらっしゃる。
恥ずかしがったりなさらずに、今も源氏の君を近くにお座らせになるわ。
どのお妃様もそれぞれにお美しい。
でも、このころ十一歳くらいの源氏の君からすると、三十代の方々はずいぶんお年を召して見えたようね。
そこへ突然現れた藤壺の女御様は、とても若くてお美しいの。
このころは十六歳くらいでいらっしゃったかしら。
源氏の君が近くにお座りになると恥ずかしがって、しきりにお顔を隠そうとなさったわ。
でも、ふとしたときにちらっとお顔を拝見できることもあったようよ。
源氏の君は三歳のときに母君を亡くされたから、母君のお顔はまったく覚えていらっしゃらない。
でも女官が、
「藤壺の女御様は、亡き桐壺の更衣様にそっくりでいらっしゃいますよ」
と申し上げたので、とてもうれしいことを聞いたとお思いになった。
ずっと藤壺に遊びにいっていたい、そうして女御様と仲良くなりたいと願っていらっしゃったわ。
帝は、藤壺の女御様と源氏の君のお二人をこの世でもっとも愛しておられたから、
「源氏の君があなたに甘えることを嫌がらないでやってください。あなたはこの子の母にそっくりなのです。図々しいと思わずかわいがってやってください。この子は顔立ちや目もとが母親似なので、あなたとこの子もどこか似ている。こうして見ると本当の母と子のようだ」
などとおっしゃる。
源氏の君はお花や紅葉の枝を藤壺にお届けになって、けなげに藤壺の女御様によろこんでいただこうとなさっていたわ。
弘徽殿の女御様は藤壺の女御様と仲がお悪い。
源氏の君がすっかり藤壺の女御様になついていらっしゃるので、源氏の君のことまで憎らしいと思われるようになったの。もともと源氏の君の母君である桐壺の更衣様のことは大嫌いでいらっしゃったしね。
藤壺の女御様のお美しさは有名で、帝もこの世で一番お美しいと思っていらっしゃる。
でも、源氏の君はそれ以上だったわ。
美しい光がお顔やお体をキラキラと包みこんでいるみたい。
それで世間の人たちは、源氏の君のことを「光る君」なんてお呼びしたの。
一方の藤壺の女御様は、「かがやく日の宮」と世間から呼ばれていらっしゃった。
帝がこの上なく大切にされているお二人にぴったりの呼び名よね。
美しいと評判の女性を何人か内裏に上がらせるこもとなさったけれど、
「桐壺の更衣にそっくりな者はおらぬ。更衣の代わりにしてもよいと思える者さえおらぬ」
と何もかも嫌になってしまわれた。
帝にお仕えする女官のなかで、前の帝のときから内裏で働いている人がいらっしゃったの。
その女官が、
「前の帝の内親王様——女の皇子が、亡き桐壺の更衣様にそっくりでいらっしゃいますよ。とてもお美しい方で、母君が大切にお世話なさっています。私は内親王様がお小さいころからよくお目にかかっておりまして、大人になられてからも失礼ではない程度にちらりとお顔を拝見することがございます。亡き桐壺の更衣様にそっくりな方といえば、あの内親王様以外にはいらっしゃいません」
と申し上げたので、帝は、
「本当だろうか」
とお気になさって、内親王様の母君に丁寧に入内をお願いをなさったの。
母君は、
「なんと恐ろしいこと。内裏には気の強い弘徽殿の女御がいて、桐壺の更衣などはいじめ殺されたと聞いた。そのようなところへ娘を行かせるわけには」
と警戒なさった。
でも、はっきりとしたお断りもなさらないうちに亡くなってしまわれたの。
内親王様は帝でいらっしゃった父君に続いて母君まで亡くされて、心細そうに暮らしていらっしゃった。
そこへ帝は、
「私には娘が何人かおりますから、あなたのことも娘のようにお世話してあげましょう。何も心配せずに入内なさい」
と優しいお言葉でお誘いになる。
「娘のように」とおっしゃっても、もちろん実際はお妃様になさると誰もが分かっているわよ。
内親王様にお仕えしている人たちや、内親王様の兄君も、
「ここで心細そうにお暮らしになるより、内裏に上がられた方が楽しいこともあるだろう」
とお思いになって、内親王様を入内させなさったの。
内裏では藤壺という建物でお暮らしになることになったわ。
だから「藤壺の女御様」とお呼びしましょう。
藤壺の女御様は、本当に恐ろしいほど桐壺の更衣様に似ていらっしゃった。
前の帝の内親王様という、お妃様たちのなかでは最高のご身分だもの、堂々としていらっしゃるように拝見したわ。
もちろんどなたも悪口などおっしゃることはできない。
藤壺の女御様は誰の目も気にせず、お好きなように暮らしていらっしゃった。
桐壺の更衣様の場合はね。
更衣という低いご身分で、後見してくださる方もいらっしゃらなかったのですもの。
あれほど帝に愛されるのは、皆様もご納得できなかったのよね。
更衣様を失った悲しみが消えるわけではなかったけれど、帝のお心は自然と藤壺の女御様に移っていって、女御様を深く愛されるようになった。
まぁ、そんなものよね。
桐壺の更衣様の皇子は、このころには皇族のご身分を失い、源という名字の貴族となっていらっしゃった。
だからこの先は、「源氏の君」とお呼びしてまいりましょう。
源氏の君は貴族になられたのだけれど、まだ特別に内裏で暮らしていらっしゃったの。
帝はいつも源氏の君を近くでかわいがっておられた。
お妃様たちのお部屋に遊びに行かれるときもご一緒に連れていかれるの。
源氏の君は、お小さいころからずっと帝と一緒にお妃様のお部屋に出入りされているから、お妃様たちも慣れていらっしゃる。
恥ずかしがったりなさらずに、今も源氏の君を近くにお座らせになるわ。
どのお妃様もそれぞれにお美しい。
でも、このころ十一歳くらいの源氏の君からすると、三十代の方々はずいぶんお年を召して見えたようね。
そこへ突然現れた藤壺の女御様は、とても若くてお美しいの。
このころは十六歳くらいでいらっしゃったかしら。
源氏の君が近くにお座りになると恥ずかしがって、しきりにお顔を隠そうとなさったわ。
でも、ふとしたときにちらっとお顔を拝見できることもあったようよ。
源氏の君は三歳のときに母君を亡くされたから、母君のお顔はまったく覚えていらっしゃらない。
でも女官が、
「藤壺の女御様は、亡き桐壺の更衣様にそっくりでいらっしゃいますよ」
と申し上げたので、とてもうれしいことを聞いたとお思いになった。
ずっと藤壺に遊びにいっていたい、そうして女御様と仲良くなりたいと願っていらっしゃったわ。
帝は、藤壺の女御様と源氏の君のお二人をこの世でもっとも愛しておられたから、
「源氏の君があなたに甘えることを嫌がらないでやってください。あなたはこの子の母にそっくりなのです。図々しいと思わずかわいがってやってください。この子は顔立ちや目もとが母親似なので、あなたとこの子もどこか似ている。こうして見ると本当の母と子のようだ」
などとおっしゃる。
源氏の君はお花や紅葉の枝を藤壺にお届けになって、けなげに藤壺の女御様によろこんでいただこうとなさっていたわ。
弘徽殿の女御様は藤壺の女御様と仲がお悪い。
源氏の君がすっかり藤壺の女御様になついていらっしゃるので、源氏の君のことまで憎らしいと思われるようになったの。もともと源氏の君の母君である桐壺の更衣様のことは大嫌いでいらっしゃったしね。
藤壺の女御様のお美しさは有名で、帝もこの世で一番お美しいと思っていらっしゃる。
でも、源氏の君はそれ以上だったわ。
美しい光がお顔やお体をキラキラと包みこんでいるみたい。
それで世間の人たちは、源氏の君のことを「光る君」なんてお呼びしたの。
一方の藤壺の女御様は、「かがやく日の宮」と世間から呼ばれていらっしゃった。
帝がこの上なく大切にされているお二人にぴったりの呼び名よね。