君のいない明日を君と生きる
君と過ごす夏
***
昼間はギンギンに地面を照らしていた太陽が沈んでいき薄明るくなってきた午後七時半。浜の綺麗な海が見えるベンチに私と悠真くんは大きなビニール袋を挟んで座っている。
「そっか、紬ちゃんも聞いたんだ」
「悠真くんに退部を止められたってことも聞いたよ」
「そうだね。自分勝手かもしれないけど、俺は待ってるから」
改めて本人の口から湊斗を引き留めたことを聞く。「これ以上何かを諦めてほしくないんだ」と苦く笑う悠真くんに自分の姿が重なる。私はその言葉を自分勝手だなんて思えなかった。
「私も同じ。悠真くんにも協力してほしくて、今日は二人より早く呼んだんだ」
「協力って?」
首をかしげる悠真くんに数日前、湊斗のことを知った経緯を伝える。きっかけになったあのノートには死ぬまでにやりたいことが書かれていたことを伝えると悠真くんが息を吞む音が聞こえた。
「って言っても、私が読めたのは『夏の海辺で花火をする』ってことだけ」
花火という言葉を聞き悠真くんはベンチの上のビニール袋に視線を落とす。
「だからこんなに花火買ってきたんだね」
「そうなの。私も自分勝手だけど湊斗のやりたいこと全部叶えたいんだ」
「うん」
「でも、きっと一人じゃ無理だから手伝ってほしいんだ」
全部叶えるだなんて大口を叩いておいてやりたいことを一つしかしらないし知っていても自分が叶えられるかは分からない。湊斗に尋ねたところで教えてくれるとは限らない。それでも幼馴染の悠真くんの協力を得られたら、少しでも多く叶えられるのではないか。
「いいよ。湊斗のためになるなら」
「ありがとう」
薄暗かった町も街灯が完全に灯るほど暗くなった午後八時。二人の話が終わって少しした頃、美咲はやってきた。それから数分遅れて湊斗が来て四人揃った私たちは浜辺へ歩いていく。
「それにしても花火したいだなんて急だねー」
ススキの穂のように火花を散らす手持ち花火を両手に持ちながら美咲が言う。
「やっぱ夏と言えば花火でしょ!私三年近く手持ち花火してないなって思ってさ」
「俺も久々だわ。なんだかんだ美咲ちゃんが一番楽しんでるじゃん」
「そりゃー楽しいよ!」
離れたところに行きテンション高く花火を振り回す美咲に悠真くんは火を分けてもらいに近寄る。
「本当、夏って感じだね」
危ないと言いながらも楽しそうな二人を見て笑いながら、湊斗は新しい花火を手に取り呟く。
「まだまだ夏はこれからだよ」
火が消えたばかりの花火をバケツの水につけ、私も新しい花火を選ぶために隣にしゃがむ。
「あ、これめちゃくちゃバチバチなるやつじゃない?」
「そうなんだ」
「やってみようよ」
湊斗から花火を一本手渡され受け取ると、「この火をリレーするぞ」とはしゃいでいる美咲たちのもとに二人で駆け寄る。四人で小学生のようには花火をしていると、多すぎるほどあった花火はあっという間になくなっていった。
「もう残りは線香花火だけじゃん」
「あっという間だったね」
バケツを見るとどれほどの花火をしたか目に見えて分かり、笑ってしまう。美咲は名残惜しそうに、残り四つとなった線香花火を一人ずつに配る。
「じゃあラスト、もちろん勝負するでしょ」
悠真くんの言葉に全員が賛同し、せーのの掛け声と共に線香花火に火をつける。
「ちょっと湊斗くん、火つけるの遅くなかった!?」
「そんなことないって」
「ちょっ、美咲あまり大きな声出さないで!日が揺れてる」
「やばいやばい。もう落ちそう」
四人の対決は白熱し、思っていた以上に盛り上がる。誰が最初に終わってもおかしくないほど手元の火花はどんどん小さくなっていく。
「待って、耐えて」
美咲の願いも虚しく、火の玉は色が変わりぽとりと落ちる。そのすぐ後に湊斗が終わり、私、悠真くんの順で線香花火は光を失くした。
「よっしゃ、俺一位じゃん」
さっきまでおとなしくしゃがんでいたが、終わりと同時に動き回る悠真くんの姿に三人顔を見合わせて笑う。花火の余韻に浸りながら片付けを済ます。四人がかりの片付けは数分で終わり、夜も遅くなる前に解散ということになる。私は家が反対側の二人と別れ、湊斗と並び帰路につく。
「ありがとう」
「え?」
二人っきりになると湊斗が先に口を開いた。
「今日の花火って俺のためでしょ」
湊斗の様子から勘付かれているだろうとは思っていた。ノートを見て数日のことであからさまだったかもしれない。
「ごめん。一つだけ読んじゃって」
「そう」
「忘れてって言われたけど無理だよ」
足を止めて少し震えた声を出した私を見て湊斗も足を止める。まだ海から遠く離れていない道は住宅がほとんどなく、小さく波の音だけが聞こえる。
「俺のせいで紬にそんな顔させたくなかった」
自分がどんな顔しているか分からないがひどい顔なことだけは分かる。数日間で自分の中で整理して大丈夫だと思っていたが、湊斗に会って簡単に崩れてしまう。
「ねえ、私に湊斗のやりたいこと叶えさせてくれないかな」
「俺にそんな気使わないでいいよ。俺のために時間無駄にしないで」
「気なんか使ってない。無駄なんかじゃない」
こんな時でさえ自分を蔑ろにする湊斗に思わず声を荒げてしまう。ふう、と息を落ち着かせ湊斗に問いかける。
「私じゃ迷惑かな」
「そんなことないよ。でも俺のせいで紬がつらい思いするのは嫌だ」
「私は湊斗が離れていくことの方がつらいよ」
「それは……」
湊斗が私を思って言ってくれたことも、自分がめちゃくちゃを言っていることも分かっている。でも、湊斗を一人にすることは避けたかった。誰よりも優しいからきっとみんなから離れて一人になろうとする湊斗を止めたかった。
次は湊斗が息を吐き、何かを決めたように口を開く。
「じゃあ、全部一緒に叶えてよ。」
湊斗の言葉に先程まで伏せていた顔を上げる。目が合った湊斗の顔は初めて見るどこか泣きそうな表情をしている。
「言っとくけど俺やりたいこと山ほどあるよ。時間なんていくらあっても足りないくらいだよ」
「大丈夫。嫌ってなるほど一緒に叶えるんだから」
この時二人は同じ表情を浮かべた。止まっていた足を再び自然と進めていく。家に着くまでの二十分、湊斗が話すやりたいことを忘れないように一つ一つ頭の中で繰り返した。
家に帰りついてすぐにそれをノートに書きだす。湊斗から聞いたやりたいことのすべての計画が立て終わるころには朝が明けようとしていた。
***
八月も二週目に入り、家の中でさえ感じる蒸し暑さにため息が出る。時刻はまもなく八時半を迎える頃で近所の中学校に向かう部活動生の元気な声が聞こえてくる。夏休みなのに頑張るなーと他人事のように思いながらも私はバッグに荷物も詰め込み鏡の前で自分の姿をチェックする。
よしっ、おかしいところはないよね
準備も終わり少し乱れた前髪を整えているとチャイムが鳴る。バッグを肩にかけ玄関に行きドアを開けると、シンプルなTシャツ姿の湊斗がいる。
「おはよう。早く着きすぎた?」
「ちょうど準備終わったとこだよ」
「いってきます」とリビングのお母さんに言い家を出ると、室内とは比べ物にならない暑さに眉をしかめる。湊斗の隣に並び駅までの道を進んでいく。今日の目的は一日中映画館で映画を観ること。映画館は三駅隣にあり、湊斗と一緒に行くのは四回目になる。
「この作品観てみたかったんだよね」
まだ九時を過ぎばかりの映画館は人が少なく落ち着いた時間が流れている。私たちが朝一番で観ることにしたのはマイナーなもので昼の時間帯には上映されていないものだ。
「私も気になってたけど朝から来ることないから、DVD出るまで待とうかと思ってたよ」
気が付けば上映時間である九時半迎えていた。ドリンク片手にシアターに入り席に着くと、ちょうど他の作品の予告映像が流れ始める。もうすぐ公開される作品の予告が二本流れ、三本目の予告が流れ始めたとき、隣から声がした。
「あっ、これ」
隣を見ると湊斗はぼーっとした表情でスクリーンを見つめている。
「どうしたの?」
「いや、好きな作品の続編だなって」
こそっと小さな声で聞くと、一瞬こちらに顔を向けそう答えた。私も再びスクリーンに目を向けると、今予告をしている作品が二年ほど前に上映されたものの続編なのだと思い出した。その予告は『十一月七日全国公開』の文字を残し終わった。
「観たかったな……」
隣から聞こえた言葉は、その後すぐに流れ始めたお馴染みのマナームービーの音に消えていった。独り言にしても小さいと感じる言葉を、本人は口に出したことに気付いているのだろうか。きっとポロっと出てしまった本音に、私は彼の横顔を見ることすらできなかった。
***
五作品を観終わるころにはすっかり日が暮れていた。湊斗と一緒に半日を過ごしている。朝一に見たマイナーな作品に加え、洋画や漫画の実写化作品、アニメーション映画など、丸一日を映画館で過ごした。
「泣きすぎて明日絶対目が腫れるよ」
「ほんと、隣見たら紬が号泣しててびっくりしたよ」
最後に観た作品は小説から映画化した今話題のものだ。
余命わずかと診断された少女とその幼馴染の少年のラブストーリー。少女の幼いころの夢だった女優の夢を叶えるために、少年は家族や友人の協力を得て自主制作映画を作り始める。もちろんその映画の主演は少女で順調に制作されていくが、完成する前に少女は亡くなってしまう。少女が秘密で遺していた映像や手紙を見つけ、三か月後に映画は完成しその映画は多くの人の心に残っていくというようなストーリーの映画だ。
予告されていたあらすじを知っていた私は観る勇気はなかったが、時間の都合上観る作品が絞られたときに湊斗が観たいと言った。それをわざわざ断るわけにもいかず観た映画は、今の状況に重なるところもあり涙を流さずにはいられなかった。
前まではただのフィクションだとしか思わなかったのにな
朝通った道を二人で帰るその足はいつもよりも重く感じた。
「そうだ、写真撮ろうよ」
数日前から思っていたことを口に出す。私たちは仲良くなってから何か月も経つというのにスマホの中に一緒に映った写真は一枚もなかった。普段から誰かとの写真をあまり撮らない私は、どうせよく明日も会えるからと写真を撮る必要性を感じていない節があった。
「ごめん、写真はいいかな」
「え……」
思っていた返事とは違うその言葉に私は固まる。ノリがいい湊斗なら快諾してくれるとばかり思っていた。
「さっき観た映画、女の子は映画に自分の姿遺したじゃん。家族だけじゃない、みんなに自分が生きた証を残した」
落ち着いた声で話し始めた湊斗の言葉を私は黙って聞くことしかできない。
「でもさ、俺は嫌だな。何も形として残さず逝きたい。自分のことなんて忘れて、元からいなかったように過ごしてほしい。だからさ、紬も俺がいなくなっても忘れて幸せに生きてね」
初めて聞いた本音に私はどうすればいいか分からない。
「そんなの無理、だよ」
どうにか振り絞って出た言葉は何とも言えないほど情けない声だった。街灯も少ない暗闇で湊斗の顔はよく見えない。私の言葉を聞いた湊斗は悲しそうな顔で笑っている、そんな気がした。湊斗の余命を知ってからずっと悪い夢を見ている感覚だった。悪い夢であってほしかった。初めて、これはフィクションじゃない、紛れもない現実だと思い知った。
それからの帰り道は二人の間に会話はなく、私の家の前に着くと「また明後日」と手を振りその背中はあっという間に見えなくなった。
自室で何気なく写真や動画を投稿するSNSを開き友人の投稿にいいねを押していく。湊斗はどんな投稿をしていただろうと過去のダイレクトメッセージからアカウントに飛ぶと、『ユーザーが見つかりませんでした』とアカウントが表示されなかった。
***
一日中映画を観た日から二週間が経過した。自室の勉強机に置いてあるスケッチブックをめくると白黒で描かれた人物画が綴られている。二週間の間に私たちは色々なことをした。毎日のように会って、たまには美咲や悠真くんも一緒に食べ放題に行ったり、電動キックボードで町を走ったり、日の出を見に行ったり。思い出すだけで楽しくて、ただ充実した夏休みのように感じる。しかし、悠真くんもいると際立つ夏らしさを感じないほど真っ白な肌やサッカーをしていたときに比べるとかなり細くなった身体に現実を突きつけられる。
私は二週間前から家に帰るとすぐにスケッチブックを開くようになった。その日の湊斗を思い出し丁寧にその姿を描き起こす。何も残したくないと言った湊斗を残すために、最初は特徴は捉えているものの拙かった絵も今ではかなり良くなっていると思う。
「今日は浴衣姿かな」
自分の来ている浴衣をそっと撫で呟く。
「それにしても、本当にこれでいいのかな」
スマホを手に取るとメッセージアプリを開き、三日前にやり取りしていた相手のトーク画面を開く。最後に相手から来たメッセージは『夕方の六時に神社前ね!』というものだ。少しスクロールしてその前の会話を見ると、湊斗が夏祭り行きたいと言っていたこと、当日に自分は用事があるから二人で行ってきてということが書かれている。悠真くんからのメッセージだ。協力してくれるといった日から以前より頻繁に連絡を取るようになり、こうして湊斗がやりたいことを共有してくれる。
夏祭りくらい私に行ってくれると思ってたんだけどな
夏祭りに行きたいということは私は聞いておらず、本当に言っていたのか疑ってしまう。言ったつもりでいたのかもしれないと私は叶えるつもりだし、もし言っていなくても私が行きたい。悠真くんは自分が行けないことが申し訳ないのか私と湊斗に連絡を取ってくれて、集合場所や時間も決めてくれていた。『せっかくだから浴衣にしよう』と提案までして、『湊斗も浴衣着させるよ』と言っていた。
湊斗と会うのにどこかで待ち合わせするなんて久しぶりだなと思いながら下駄に足を通す。玄関のドアを開けても湊斗の姿はなく、神社までの道には同じように浴衣を着たグループや家族がちらほらといる。
待ち合わせの神社に着くと境内に浴衣を身にまとった湊斗が見える。遅刻したかなとスマホで時間を確認すると十七時五十三分と表示されている。
「湊斗、おまたせ」
小走りで向かうとこちらに気付いた湊斗は一瞬目を見開き笑顔で軽く手を振る。
「早かったね。湊斗の浴衣レア!」
「さっきついたとこ。浴衣、似合ってるね」
湊斗の言葉に顔が熱くなったのを感じ、誤魔化すように「じゃあ行こう」と祭り会場の方に一歩踏み出す。
「あれ、悠真たち待たないの?」
「用事あるからいけないって、聞いてない?」
「……ああ、言ってたわ。」
少しの沈黙の後、「行こうか」と同じように歩き始める。
会場に近づくにつれて人混みになってきて、少しでも油断すると湊斗とはぐれそうになる。「ここ掴んどきな」と差し出された湊斗の浴衣の裾を掴んで何とか屋台にたどり着く。
「たこ焼き美味しそう!焼きそばも捨てがたい!」
久しぶりの屋台にテンションが上がる私の横で「食い意地張り過ぎ」と湊斗が笑う。そう言いつつも湊斗もテンションは上がってて、「夏祭りのかき氷は絶対食べたい」と少し離れた屋台を指さしている。
「とりあえず食べ物買ってどこかで食べようか」
「そうだね、俺静かな場所知ってるよ」
たこ焼きに焼きそば、フライドポテト、かき氷を買い湊斗の案内で移動する。会場から少し離れたそこは、横から雑草が伸びたコンクリートの階段を上がったところにある小さな公園だった。公園には誰もおらずベンチが一つとブランコが二つあるだけだ。
「穴場って感じだね」
「でしょ?花火も綺麗に見えるよ」
ベンチに腰掛け、二人の間に買ってきたものを広げる。湊斗は何よりも先にかき氷に手を伸ばし食べ始める。
「こういう粗いかき氷、たまに食べたくなるんだよね」
「ちょっと分かるかも」
相当楽しみにしていたのか、湊斗はすごい勢いでかき氷を掻き込む。その隣で私はたこ焼きを一つ頬張る。
「キーンってきた!」
「あっつ!」
一口で食べるたこ焼きの熱さに私が苦しむのと同じタイミングで湊斗が声を上げる。勢いよく掻き込んだかき氷で頭が痛くなったようだ。十秒後、二人とも苦しみから解放されると「当たり前でしょ」とお互いの顔を見合わせて笑う。こんなに大声で笑うのはいつぶりだろう、こんなに大声で笑っているのを見るのはいつぶりだろう。
買ったものをすべて食べ終わり落ち着いた時間を過ごす。なんの話題も用意していなくても会話に困ることはないし、沈黙の数秒間も苦痛に感じないほどの時間を私たちは一緒に過ごしている。
「あっ、そろそろ花火上がるんじゃ」
時間を確認して言った湊斗の声に被せるようにして、ヒューッドーンと花火が打ちあがる。湊斗の声を遮った花火に続けて一つ、また一つと絶え間なく打ちあがっていく。
「綺麗……」
思わず声に出してしまうほど夜空には鮮やかな花が咲き誇っている。目だけ横を向き湊斗を見ると、目に焼き付けるように花火を見つめ、時折噛み締めるように目を瞑っている。
「好きだよ」
十分が経って最後に打ちあがった特段に大きい花火に被せて呟いた。一番大きな音の花火で届いたかは不明だ。パラパラと最後の花火が散り辺りが静かになると、湊斗は瞑っていた目をゆっくりと開きこちらを向く。
「じゃあ、帰ろうか」
ベンチから立ち上がり私に自分の袖を差し出す。私は今できる精一杯の笑顔で頷き、袖を掴み隣を歩き始める。
「ありがとう。また明日」
聞きなれた別れの挨拶に手を振り返し家に入る。手洗いもせずに自室に入ると出しっぱなしのスケッチブックの空白に鉛筆を走らせる。涙が出そうになる目を擦りながら、鮮明に湊斗の姿を残せるように丁寧に描く。
明日も会えるから、早く寝よう
描き終わった絵を優しく撫で、スケッチブックを閉じる。入浴や歯磨きを終え部屋に戻ると、予定を見直してベッドに入る。明日も湊斗が笑えるように、そう願って眠りについた。
***
昨日夏祭りがあっただなんて微塵も感じないほどいつも通りの午後一時。今日も会う約束はしており一時に迎えに来ると言われていたが、チャイムが鳴る気配はない。
少し遅れることくらいあるしちょっと待とう
リビングのソファーでテレビを見ていたお母さんの隣に腰掛ける。
「湊斗くんが早めに来ないなんて珍しいね。紬が無理やり付き合わせてるんじゃないでしょうね」
「無理やりじゃないって」
お母さんにも湊斗のことは言っていない。夏休みになってからほぼ毎日家まで迎えに来る湊斗にお母さんは首をかしげながらも、湊斗を気に入っているお母さんは私のわがままに付き合わされていると思っている。十分を過ぎても来ない湊斗が心配になりメッセージアプリを開く。
「あれ……」
昨日会話したばかりで上の方にあるトーク画面をタップするとメッセージが送れなくなっている。アイコンに設定されていたサッカーをする写真も、フルネームで登録されていた名前も今は表示されない。
消した、ってこと……
急いで自室に駆け込み悠真くんに電話をかける。背後でそうしたのか心配するお母さんの声が聞こえたが反応することはできなかった。五コールなっても出ない電話を一度切り、またかける。これを数回繰り返しもう一度かけようとしたときに悠真くんからの着信を受ける。
「もしもしっ、湊斗が……」
すぐにボタンをタップし電話に出ると私の声に被せて悠真くんがかすれた声を出した。
「湊斗が死んだ――」
手にしていたスマホを床に落とすと同時に足の力が抜け膝から崩れ落ちる。繋がったままの電話から聞こえる悠真くんと心配で様子を見に来たお母さんの声がするが何を言っているか頭に入ってこないまま、私は嗚咽交じりの涙が止まらなくなっていた。いつの間にか切れていた電話にも気づかないままお母さんに肩を抱かれたまま気を失った。