手のひらを太陽に

第13話

 眩しい光が瞼を照らしている。瞼を少し開けようとすると純白の太陽の光が瞳に染み込んでくる。瞼を少し開けた状態でいた。その眩しさに慣れてきた。カーテンが開けられた安アパートの窓。その窓から純白の光かひっきりなしに流れ込んでいた。純白の太陽の光は安アパートの部屋を照らしていた。テレビ画面の表面はその光の一部を反射させていた。純白の太陽の光を反射させている背後でテレビの画面には『私の街の風景』が放映されていた。私が住んでいた家の外観のアップが映っていた。その放送が終わりCMが流れた。CMの後ニュースが放送された。ロンドン、パリ、ニューヨーク、ミラノのほとんど人が歩いていない様子が映し出されていた。
 日本の都市の風景が映し出されていた。日本の各都市の夜の様子だ。渋谷のスクランブル交差点が映し出された。ほとんど人が歩いていない。
 私は自転車に飛び乗った。星が眩しいほど輝いている。何て美しいんだろう。私の安アパートがある場所でこんなに美しい星空を今まで見たことがない。
 新型コロナウイルスによる感染防止のため、日本全国が非常事態宣言かにある。アパートから出ると街明かりが普段よりもずっと少ない。その所為だろうか。こんなに星空が美しいのは。いつも煌々と明かりを灯している飲食店がほとんど店を閉じている。確かに星の光を妨げるものがあまりないのかもしれない。
 無意識のうちにペダルを踏んでいた。街の明かりは減っているが、夜空の星々がそれ以上に道路を照らしているように思える。
 自転車に乗り込んだとき特段どこかへ行こうと思っていたわけではなかった。ただテレビのニュースで映し出された、渋谷のスクランブル交差点の映像が脳裏に焼きついていた。
 10年前の、両親を一度に失ったときの悲しみが、また訪れたというよりも、再び両親を失った悲しみを経験したという、なんとも言いようのない感情の中にいた。これが夢でないとしたら何という現実なのだろうか。このタイムスリップは私に両親を失うという悲しい経験を2度させるため起こったのだろうか。そうだとするとこの現実は何とひどいものだろうか。
 私はただ無心にペダルを踏み続けた。夜空が透き通ったように美しい。夜空の星々が透き通った空間を通って降り注いでくる。商店街はほとんどの店が閉まってるか、いつもの時間よりも早く閉まっているせいか、いつものような明るさではなかった。
 住宅街を抜ける道路に入って行った。確か以前この道路を何度か通った覚えがある。その時はこれほど明るくなかったようであったことを覚えている。明かりがついていた家は半分もなかったように覚えている。でも今ほとんどの家の窓が明るくなっている。
 夕食時なのだろうか。それとも夕食の後のデザートを食べているのだろうか。テーブルを囲んで楽しそうに話している様子が窓から見えた。テレワークのために普段は夕食の時にいない父親がいるのでいつもよりも喜んでいるのだろうか。以前ここを通った時このような光景はあまり見なかった記憶がある。でも今それほど珍しくない。
 私はあの時以来両親と夕食を食べるということができなくなってしまった。私のように若くして両親を失った人は皆そうなのだろうけど、この日本の国でそのような経験をしなければならない人はどれくらいの数になるだろうか。
 私のペダルを踏むスピードはますます早くなっていった。商店街の道路を通る時はあたりが暗くなり、住宅地の道路を通る時は明るくなる。その繰り返しが何度続いたのか覚えていない。
 どこ行くあてもなくただひたすらペダルを踏んでいる。両親が崖から車ごと転落して亡くなったという知らせを聞いた日の夜、このようにひたすらペダルを踏み続けていた覚えがある。無意識のうちにあの時と同じ道路を走っていることに今気がついた。
 かれこれ数時間はペダルを踏んでいただろうか。いつの間にか私は渋谷のスクランブル交差点にいた。普段なら深夜でも足の踏み場もないほどに人で賑わっている。テレビで見た光景だ。ほとんど人がいない。これはやはり夢でも見ているのだろうか。こんなことありえない。テレビでニューヨークのタイムズスクウェアが真昼なのにほとんど人が歩いていな光景が放送されていた。パリのシャンゼリゼ通り、ミラノのドゥオーモ前、ロンドンのビッグベン前。世界中の大都市の同じような光景がテレビの画面に映っていた。
 ローリング・ストーンズの『リヴィング・イン・ア・ゴーストタウン』が頭の中で鳴り響いている。この状況を表現した新曲だ。この曲の詩に書かれているように私は自分が幽霊街をさまよっている幽霊のように思えてしまう。
 ほとんど人が歩いていない。スクランブル交差点の真ん中に自転車を止めた。普段だったらこんなことまずできない。私はスクランブル交差点の真ん中に仰向けに大の字に横になった。
 星空が信じられないくらい綺麗だ。東京の真ん中でこのような星が見えるなんて。ほとんどの店が閉じられていて星の明かりを妨げる光がないからだろうか。
 田舎でこれほどの数の星を見ることは珍しくないだろう。いや、はるかにもっと多くの星が見られることが普通である。中学の時学校で那須にキャンプに行った時あまりにも星が多いことに驚いたことを覚えている。流れ星が次々と夜空を走るのが見えた。
 ニューヨークにいたら恐らくタイムズスクェアで同じようなことをしていただろう。ニューヨークに行ったことはもちろんないけれど、よく夢の中で自分がニューヨークの街を歩く夢を見た。路上でドラムを叩く音。サックスフォーンを吹く音。地下鉄ホームに響くアカペラの音。ニューヨークはハリウッドでロケーションに使われることが多い。おそらく私が映画好きでよくアメリカ映画を見るので、ロケーションに使われているニューヨークの街の風景が夢の中に出てくるのだろう。
< 13 / 52 >

この作品をシェア

pagetop