手のひらを太陽に

第2話

 閉じた瞼を通して眩しい太陽の光を感じた。瞼を少し開けようとすると眩しい太陽の光に反応して瞼を閉じてしまった。ほんの少しだけ瞼を薄めがちに開けるのを繰り返すうちに明るさに慣れて目を開けることができるようになった。私が10代の頃使っていた部屋だ。カーテンが全開になった状態だ。窓から入ってくる太陽の光が部屋全体を照らしていた。机、本棚、洋服箪笥。中高生の時の記憶が窓から溢れてくる太陽の光と一緒に脳裏に押し寄せてきた。
 壁には私が当時かけた覚えのあるカレンダーが掛かっていた。富士山を背景にした四季の風景の写真。私が気に入って購入したものだ。5月のカレンダーがその時期の風景の写真を覗かせていた。富士山の頂の雪が純白の光を反射させ草原がその光を緑色に変えてあたりに反射させていた。
 2010年5月。カレンダーが示している。あの夢から目覚めたと思ったが、まだあの夢の続きを見ているのか。何とリアルな夢なのだろうか。私が今夢を見ている。なぜそんなことが分かるのだろうか。現実にはありえないことを今体験していることになるから。タイムスリップということだろうか。2020年の世界にいる私が今2010年の世界にいるという。2010年の私は今どこにいるのだ。私は部屋の壁に掛けてある鏡のところへと行った。鏡に映っている自分の顔を見た。確かに高校生の時の自分の顔である。
 これはどういうことなのだろうか。私の中身だけが過去に戻ったのだろうか。でも過去の私の中身はどうしたのだろうか。2010年の私とそっくり入れ替わったのだろうか。こんなことがありうるのだろうか。
 これが夢であるのならば、ありうるのだろう。夢の世界であるのなら、どんなことでもありうるのだろ。でもこの夢はいつになったら醒めるのだろうか。確かにこのようにリアルな夢を見たことはある。不思議なことにその夢の中でそれが夢であることを意識していた。この夢は何てリアルな夢なのだろうと思っていた。だが、この夢ほど長くはなかった。朝目覚めてもまだ夢の中いるとは・・・・もしかして、これは夢ではなく現実では?
 もしこれが夢でなければ、タイムスリップが起こったということか。信じられないことだが。そうだとするならば・・・昨日手元にあった新聞の日付は2010年5月10日。今日は2010年の5月11日になるのか。
 よくタイムスリップの映画などの話であるのだが。過去に戻った登場人物が過去の出来事を変えて自分の現在の状況を変えてしまう。もしこれが夢ではなく現実であるのならばそんなことを考えてしまうのは当然かも知れない。夜中に一度目が覚めたことを覚えている。下から父と母が話している声が聞こえたので部屋のドアを開けて耳を澄ましてみた。このような光景が10年前にあったことを覚えている。同じことが確かに起こっているし、これから同じことが確かに起こるということを実感した。

「やっぱり、騙されたのかもしれないな」
「だから言ったのよ。あの人何か信用できないんじゃないかって」
「しかしひどいもんだよ。俺の弟妹たちは。長男ということで、俺が寝たきりの親父の面倒をずっと見てきたんだよ。それが何だよ。親父が死んだら早速みんなして押しかけてきて。子供だから平等に相続の権利があると言って、相続放棄の書類にただでは署名するものかという態度だったからな。俺は長男としてこの広い田畑をこれまでずっと耕してきたんだ。平等に分配したら今までのように農業だけで食べていけなくなってしまうだろう。それがわかっているから普通は署名するよな。お前だって実家の父親が亡くなった時何も要求しないで署名したよね」
「あなたどうしたの? また昔のこと話し出して。今晩余程頭にきているのね。残った農地を売って事業を始めなければよかったなと思っているの」
「仕様がないよ。遺産分割して残ったあれくらいの農地じゃとても農業を続けていくことなんてできないからな」
「あの人とはどこで出会ったの?」
「最初にあったのは司法書士の事務所だね。俺の要件が済んで事務所から出るとき、ちょうど入れ違いであの人が入ってきたな。そのときは何の言葉も交わさなかったんだよ。次に会ったのは司法書士事務所の駐車場。俺が出てくるのを待ってたかのように俺の車の前で待っていたよ。恐らく司法書士と雑談して俺が農家の長男で、親が亡くなって相続登記の件で来たことを聞き出して、登記所に行って調べたんだろうな」

 高2の時にこれと同じ会話を聞いたことを覚えている。そのときは会話の内容がよく理解できなかった。でも今はよく理解できる。
 私の頭には今衝撃的な考えが浮かんできた。今私は夢を見ていないのではないか。今現実の世界にいるのではないか。そのことが否定できない思いに駆られている。これが夢ではなく現実であるならば、私は2020年から2010年の過去にタイムスリップしたことになる。よくタイムスリップの映画であるように体がそっくり過去に移動したのではなく、私の場合は意志だけ移動したような感じだ。でも、2010年の私の意志はどうしたのだろうか。夢であるならば夢の世界のこととして片付けられるが、現実となったならばどのように考えたらいいのであろうか。
 私の意志だけが2010に来ているとすると、2020年の私の意志はどうなっているのだろうか。意志のないただの抜け殻だけの肉体が2020年に存在するだけなのだろうか。それとも2010年の私の意志が2020の私の肉体の中にあるのだろうか。それとも2020年という現実が停止しているのであろうか。このことが夢であるならばこのような馬鹿げた考えはなんでもありということで受け入れてもなんの支障もないのだが。結局これは夢であったと済ませることで。でもこの夢は覚めようとしない。というよりこれが夢ではなく現実であるのではないかという考えが私の脳裏から離れない。
 私は兎に角この現実を受け入れなければならないと思った。
 窓から溢れるように差し込んでくる太陽の光を全身に浴びながら今この別の時代において何をなすべきか決めなければならない。
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