手のひらを太陽に

第20話

 眩しい太陽の光を感じて、私の瞼は軽いけいれんを起こした。純白の眩しい光に慣れるまで、薄眼の状態でいた。眩しい光になれたので、瞼を開くと、カーテンを開けたままの窓から太陽の純白の光が部屋いっぱいに差し込んでいるのがわかった。純白の太陽の光は部屋の壁、床、天井、そして部屋にあるすべてのものを照らしていた。壁、床、天井、そして部屋にあるすべてのものは、太陽の純白の光を浴びて、様々な色の光を反射させていた。
 部屋にあるテレビは、電源がついていて、『私の街の風景』の番組が放送されていた。私が高二まで住んでいた家の外観がアップで映されていた。コマーシャルが流れた。コマーシャルの後、ニュースが放送されていた。アメリカのデモの様子が放送されていた。その後新型コロナウイルス関連のニュースが流れた。
 私は2020年の世界に戻ったわけだが、あの同じ安アパートだ。先ほどテレビに映っていた、高二まで住んでいた、私が住んでいた家は、変わらず私の家ではなくなっていた。どうやら両親は私が高二の時に亡くなってしまったのは変わってないようだ。
 父は詐欺師と会わなかったのに何があったのだろう。父と母はどんな死に方をしてしまったのだろう。父は詐欺師に会わなかったのに、なぜ家まで手放さなければならなかったのか。

 図書館に行って、2010年の新聞の縮刷版を調べた。父と母が乗った車が崖からスリップ事故で落ちたことが書かれていた。
 私はあまりにもリアルで長すぎる夢を見ていただけなのだろうか。そして今単に目が覚めただけなのだろうか。でも新聞記事以外は何も残っていない。私の記憶はタイムスリップした時の記憶を重ねて現実のものとなるのだ。ちょうどジグソーパズルを当てはめるように、タイムスリップした時の記憶を今現実の私のいる2020年という世界の欠けた部分にはめ込むことによって、今の私の現実世界が現実世界として成り立つような摩訶不思議な迷宮に迷い込んだ自分が今この2020年という世界にいる。
 2020年の世界に存在している私の記憶は、タイムスリップする前の記憶があって、その記憶がタイムスリップによって所々欠落したものになっている。その欠落した部分はタイムスリップした時の記憶でしかない。そして今その欠落した部分にタイムスリプした時の記憶をはめ込んで、2020年の世界に存在している私の意志の記憶のぼやけた部分がはっきりとしたものとなってきた。
 今私の意志が存在している2020年の世界は、前回いた2020年の世界と確実に繋がっている。私はまだ新型ウイルス感染軽症者が入るホテルの清掃員として雇われているのである。契約社員であるが、まだ雇い止めされていなかった。時田もまだ私と組で働いていた。仕事の後、ゲノムのことについて話すことができる。

「大学の通信教育に入ったんでしょう。勉強の方はどう?」
「それが、今コロナウイルスで、どこの大学も通常の授業ができない。俺が入った大学の通学生も通常の授業ができない。それで今の所授業はほとんどがオンラインの授業なんだ。だから通信制も通学制も変わらなくて、通学制の学生がかわいそうに思えてくるよ。高い授業料払って俺なんかと同じような授業を受けているんだから」
「しかし、このコロナウイルスは、世界中、多方面で土台を揺るがす存在になっているね。俺みたいな生涯派遣で終わりそうな輩は、このような状況を何度も経験しているから、ある程度免疫はあるかも。でも、今まで安定していた多くの方面での人が大変な状況にある」
「俺だって横川と同じ部類だぜ。こうやって同じ派遣で働いているじゃないか」
「いや、時田は今手に届くところに向かって頑張っているじゃないか」
「でも横川と話していると、とても勉強していると思えるよ。いろいろ知っているから、話していて面白いよ。両親が高校の時に亡くなって、残念だったね。それがなかったら、横川は全く違った人生を歩んでいたと思うよ」
「時田だって、父親が大変だったんだよね。それさえなければ今はもう医者になってたはずだろ」

 軽症者の感染者以上に、最近は無症状の感染者が入ってくるようになった。数回のPCR検査で陰性となり、退院してもすぐに次の感染者が入ってくるので空いた部屋はすぐに埋まってしまう。感染者の数は一向に減る様子はなかった。この調子でいけば私と時田の組での仕事はしばらくは続きそうである。
 毎日仕事が終わった後、コンビニで買ってきた弁当とペットボトルのお茶で、で夕食をとりながら、時田としばらく話してから帰ることが毎日の日課のようになった。
 仕事で組になる相手が時田で良かったと思う。今回のホテルの部屋の掃除の仕事は、部屋を掃除するだけで終わるのではなく、その後の消毒作業が大変であった。新型コロナウイルス感染者が使用した部屋ということで、神経を使う仕事でもあった。テレビの報道で、感染者が触れたトイレのドアノブに触れたことで感染して、重症化して亡くなってしまった事例を知ると、このコロナウイルスがいかに恐ろしいものであるか実感させられる。
 N15マスクとフェイスシールドとマスクとゴム手袋と防護ガウンを身につけて、作業をすることは本当に大変であるし、疲れることであった。
 こうやってこの仕事が続けてやっていけるのは、時田のような気のあった相手とやっているからかもしれない。仕事は仕事の内容もあるかもしれないが、それ以上に、一緒に仕事をする相手がどんな人であるかということの方が、重要なこともあるのかもしれない。
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