手のひらを太陽に

第23話

 アパートの自分の部屋に入った後、しばらく部屋の電気をつけないで真っ暗な中でしばらく立っていた。やがて部屋の暗さに自分の目が慣れてきた。足元に気をつけながら窓のところまで足を引きずるようにして少しずつ歩いていった。
 カーテンを開けると、星の光が私の狭い部屋を照らした。登記簿のコピーを机の上に置くと、畳の上に大の字に横になった。
 登記簿を見てまず最初に驚いたのは、土地建物の所有者の氏名が、父の氏名であったことだ。父は亡くなっているのに、所有者であるはずがない。父は多額の借金を抱えていて、本人にかけていた生命保険も、借金の利息未払い期間が長すぎたので、家は競売にかけられていたはずだ。まだ売られていなかった場合は、所有は裁判所になっているはずだ。でも、登記簿にはそのような記録はない。所有者は確かに父になっているのである。そしてさらに驚いたことに、抵当権がないのである。
 抵当権の記録がないということは、銀行でローンを設定しないで、現金で購入したことになる。これこそありえないことである。
 そうすると、残った畑を売った代金で、事業など始めないで、住宅ローンを一括で完済したのか。だがその場合には、家を購入した時の抵当権設定と。ローンの残金を支払った時の抵当権解除の記録があるはずだ。その記録が全くないのである。仮に、家はローンではなく現金で購入したとしても、父には多額の借金があったはずである。
 父には7人の弟妹がいた。父の父、私の祖父のことであるが、父以外の息子娘に、結婚して家庭を築いた時、家を建ててあげた。当時祖父は集落内では大農家を経営していて、かなり広い農地を経営していた。
 たとえ大農家を経営していたとしても、所詮一農民である。集落内で一二を争う財があったとしても、7人の息子娘に家を建ててあげたとすると、それ相当の借金をしなければならなかったことを、想像することは難しいことではない。
 祖父が亡くなった時、父が弟妹に激怒したのは、実質祖父が生存中に家を建ててあげることによって財産分与したことになるのに、相続放棄の署名をしようとしなかったことだ。大きな農家では、長男が後を継ぐのが普通であるが、父親が亡くなった時、長男以外のものは相続放棄をすることが慣習になっていることが多い。子供が多い場合、民法に従って土地の分与をなどをしたら、畑が激減して農業を続けていくことができない。だから大農家の戸主は、自分が生きているうちに、長男以外に、独立した時に、家を建ててあげたいと思うのかもしれない。
 しかし、私の父の場合は、違っていた。祖父が亡くなった時、土地を分配しなければならなかったのである。そして、多額の借金も背負わなければならなかった。残りの畑を売ったとしても、借金を完済できるはずはなかったと思う。それどころか、売却した金額にかなりの国税がかかってくるはずである。
 しかし、私の相続の権利はどうなっているのだろうか。父と母が亡くなった時私は17歳で未成年だったので、当時は相続できなかった。法定代理人がいたはずである。でも親戚で誰か法定代理人になった記録はない。
 私の17歳からの記憶、タイムスリップを経験する以前の記憶は、私個人だけのことならば完全に今の私の状況と繋がっている。両親の突然の死によって、高校を退学せざるをえなかった。進路指導の先生の計らいで、住み込みの契約社員として建設関係の企業に就職した。1年後、会社の業績の悪化のため、契約社員である私は解雇された。ハローワークに行って派遣会社に就職した。雇用保険をもらってどうにかアパートの部屋を借りることができた。この記憶は今の私の状況と繋がっている。しかし、両親とのこと。両親が亡くなって相続上の法手続きが発生したこと。土地建物に関すること。父親の借金の件。私個人のこと以外は、私の記憶の中にだけしか存在していないのである。
 私の記憶の中に両親、私が高校の時住んでいた家が存在しているのに、タイムスリップを経験した後、現実世界に存在していない。そのような感覚がリアルな感覚として私の意識内にある。
 確かにこの2020年の世界に、私が住んでいた家が存在している。登記簿を閲覧してコピーした。登記簿には所有者が私の父のままである。父の借金のゆえに所有者が変わっているはずなのに。この信じられない現状は摩訶不思議であるが、何よりも摩訶不思議なことは、これらのことが私個人と何の関連性もないことである。
 私が17歳まで住んでいた家が存在していて、登記簿に描かれている父の名前が存在しているが、これが私個人となんの繋がりも関係もない存在となっている。
 休日である、翌日私は、17歳まで住んでいた家を直接見に行ってみようと思った。
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