手のひらを太陽に

第29話

 結婚して東京の新居に身を構えた叔母夫婦は、最初の数年間は、何の不自由もない生活を送っていた。子供も男の子一人が生まれて、誰が見ても幸せそうな3人家族であった。高度成長真っ盛りの時代で、サラリーマン、それも東京で働くサラリーマンは、地方のものにとって憧れの職業の一つでもあった。
 しかしこの幸せそうに見える生活もある時期を境に、一転してしまった。勤めていた会社が、亡くなった創業社長の後を継いだ御曹司の殿様経営のために、経営不振に陥ってしまった。
 人事異動の時期に、叔父は調整部署に回された。叔父は毎日ひどい胃痛に苦しむことになった。その胃痛が仕事のゆえあることは、明らかであった。毎日仕事から帰ると、彼は胃痛のために転げ回るほどであった。毎日の夫のひどい状態に耐えかねた叔母は、仕事を辞めることを夫に勧めた。
 父親、つまり私の祖父に購入してもらった団地を売ることにした。しかしそのお金も生活費として使っていかなければならないので、底をつくのは時間の問題であった。仕事をやめてこれからどうするのか、途方に暮れてしまった二人であった。
 しかし叔母の頭の片隅には、最後にとっておいた案があった。農家を継いだ長男の兄、私の父であるが、兄の家には蔵がある。かなり大きな蔵で、私が住んでいた街に出稼ぎに来た労働者が住めるようにと、改築してあった。ここでしばらく住むことができるではないかということであった。
 叔母夫婦が夜私の家に来て、遅くまで父と議論をしていた。当時私には何を話しているのかわからなかった。その会話が、父が二人にいじめられているような雰囲気に聞こえた。
 数日後叔母一家は私の家の改築した蔵に住むようになった。叔母夫婦と父との会話はこのことと関係があったのだとこの時確信した。電気水道代の引き落としは父の口座からだった。父に収めた様子はなかったようだ。父のことをかわいそうに思った。
 また別の叔母がいるのであるが、この人も父の妹である。この叔母は、父の父、私の祖父に、畑の一部に家を建ててもらった。この叔母夫婦が家が古くなったので新築することになった。
 私の家の周りにある広大な農地の一部に池があった。池の中にはたくさんの鯉がいた。この池がいつの間にか埋められていた。池の中の鯉は、どうしたのだろうか。池が埋められたところに、家を新築した叔母の古い家がそっくり移されていた。改築した蔵に住んでいた、叔母夫婦はこの池の家に移された古い家に住むことになった。このことも、叔母夫婦と父との、あの夜の長い会話と、関係があるのだろうか。このために父にいくらか支払われた形跡はまったくないようである。

 テレビの真ん中に映っていた叔母の顔が消えて、代わりに叔父の顔が映し出された。父の一番下の弟である。
 この叔父は結婚して所帯を持つ時、街の駅に近い一等地に、父に、私の祖父に、土地付きの家を買ってもらった。その家は飲食店ができるような造りであった。数年間は飲食店を営みながら、それほど贅沢な生活をしようとしたなかったので問題なく過ぎていった。
 しかしこの叔父には、もともとギャンブル癖と贅沢嗜好があった。独身のときは、実家で生活していたので、給料をそのことに使えたので、何の不満もなく生活していた。結婚してしばらくの間は、親に購入してもらった住居兼店であるから、売り上げからローンの支払いをするといった心配もなかったので、普通の贅沢でない生活をする限りでは問題がなかったはずである。
 しかしこの叔父は普通の質素な生活を続けていくのが、やがて耐えられなくなっていった。それで思いついたのが、妻にも知らせていない銀行のカードローンを使うことだった。しかしそのカードローンが限度額を超えてしまうのは時間の問題であった。パチンコ依存症であった。猟銃を持っていて、猟犬を飼っていた。8ミリ映写機で家族の記録を撮っていた。ギターで古賀政夫の曲を奏でていた。これはみんなに見せていた彼の一面で、実際はこの何倍もの依存症、贅沢嗜好の隠れた実態があった。
 ある日彼の元へ、聞いたこともないようなカタカナ名の会社の名刺を持った男がやってきた。その男は叔父に新事業の提案をした。飲食店兼住居を解体して全く新しい遊興スペースを加えた飲食店兼住居を、多額の借り入れを銀行からして、建てた。新築工事の間、叔父一家は私の家で生活することとなった。私と両親が住んでいたその頃の家は、建て替える前の昔からの古い家屋であった。昔からの農家の古い家屋であったから、プライバシーを持てる空間などない家であった。そのような家で、叔父一家を受け入れたのである。滞在期間、叔父は私たちの家に電気代水道代どころか食事代すら一銭たりとも入れなかった。
 私が10歳になる前の頃だったと思う。祖父は脳溢血で倒れた。一時回復したように見えたが、徐々に色々な機能が衰え失われていった。最初文字が書けなくなった。毎日かつての機能を戻そうと、メモ用紙に文字を書く訓練をしていたが、手の動きが日ごと衰えていき、ついに、ひらがなさえ満足に書くことができなくなってしまった。
 両手の機能が衰えた後、コミュニケーションの機能も衰え始めた。話す能力は徐々にではなく急激に衰えた。幼児にも劣る言語能力になってしまった。
 叔父一家の新築工事が終わって、新居に移ってからのことであるが、祖父は歩行能力が徐々に衰えていった。トイレで粗相することが度々あった。ついにトイレの場所を間違えて、違う場所で用を足すようになってしまった。
 やがて、歩行能力は完全に失われ、寝たきりになってしまった。シモの世話は、母がすることとなった。
 叔父一家が、私の家に滞在していた期間は、私は中学3年であり、当然高校入試のための受験期であった。叔父一家はそんな私に対して、気遣いなど全くなかった。
 遊興スペースを加えた飲食店兼住居が、完成して叔父一家は、私たちの家を出て、新居に移った。そのことに対する謝礼とかお礼と言ったものは一切なかった。
 叔父一家の新しい店が営業を開始した。売り上げは最初から芳しくなかったようだ。月単位の経常で黒字になったことは一度もなかった。銀行借り入れ金の利息さえ返済することが困難になってしまった。店舗兼住居は全室冷暖房完備であったので、ただそこで生活しているだけでも、相当の維持費がかかった。
 叔父一家は新築して間もない店舗兼住居を売却して、市内の中古住宅を購入してそこに移り住んだ。店舗兼住居の売却金は全て銀行からの借入金で消えてしまった。中古住宅購入のためには、新たにローンを組まざるをえなかった。
 店舗兼住居を失ってしまったため、飲食店経営以外の別の仕事を叔父は考えた。叔父は彼の能力に照らし合わせて、一番高収入の仕事として、トラックの運転手であった。大型免許とトラック購入資金を銀行から借りた。
 大型の免許を取得し、中古のトラックを購入して新しい仕事を叔父は始めた。仕事を始めてから、しばらくの間は、贅沢ではない普通の生活をしていたので問題なく普通の生活を叔父一家は送っていた。
 根っからの、ギャンブル依存、贅沢嗜好の叔父が、普通の生活に耐えられなくなるのは時間の問題であった。カードローンは新規に多数の銀行で作成していくようになった。
 多数のカードローンによって雪だるま式に増えた借金と、返済の滞った住宅ローンの借金によって、多重債務者となった叔父は、中古住宅を手放さなければならなかった。このままでは、ホームレスになってしまうのではないかと思った叔父は、彼の兄、私の父のところに行った。
 両親と私が、新築の家に移って数ヶ月後の頃のことであった。深夜に私は、騒々しい議論しあうような話し声で目が覚めた。父と話しているのは叔父であることがすぐにわかった。眠さのゆえに寝込んでしまった私は、いつまでも止むことのない議論のような父と叔父の話し声で、私は眠気眼の中で何度も目を覚ました。
 翌日から、叔父はレンタルしたブルドーザで、私の家の果樹園の果樹木を全部取り除き、家を建ててしまった。
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