手のひらを太陽に

第30話

 私の意志は、記憶にある過去の中をさまよってきた。だが、時代が一致していない。私の十代は、2010年前後である。今彷徨ってきた年代は、1970年代に思える。
 私は自分と無関係の人たちの記憶の中の過去を、彷徨ってきたのだろうか。だけど、なぜ叔父叔母の顔が、テレビの大画面の中央に映し出されたのだろうか。
 今叔父叔母たちの記憶の中の過去を彷徨っていた感覚は、夢を見た感覚とは全く違ったものであった。あまりにもリアルすぎるものであった。タイムスリップを経験した時のような感覚であった。
 私の意志が、叔父叔母たちの記憶の過去の中に、入っていくことがあまりにも危険過ぎたのかもしれない。そして叔父叔母たちの記憶と類似している記憶を選び出して、私の意志をその記憶の過去の中に誘い込んだのだろうか。類似した記憶を、探し出すのに叔父と叔母の写真は必要なものであったのかもしれない。時代を超えて、探せば類似した記憶を探すことはそれほど困難ことではないということなのだろうか。
 しかしなぜこのような現象が起こったのだろうか。テレビの画面の中央に叔父と叔母の顔が映ってからこの現象が起こったのだから、テレビと関係があるということなのだろうか。
 類似した記憶と言え、叔父叔母の記憶の過去の中をさまよっていたような経験を私にさせたのは、何か意味があるのだろうか。
 私の目の前にあるこの大画面のテレビは、私の心を読むことができるみたいであるし、他人の記憶の過去の中に私の意志を送り込むことができるみたいだし、タイムスリップを起こすこともできるようだ。一体どういう技術なのだろか。何時、誰が、何処で発案し、製作したのだろうか。
 今私は2070年の未来の世界にいる。私の身体は77歳の身体である。私の意志は、2020年の世界に存在している27歳の身体の中に、存在しているものだ。その27歳の意志が、50年後の2070年の、77歳の私の身体の中に移っているのだ。なぜこのようなことが起こり得るのだろうか。いくら50年後の未来世界とはいえ、信じられないことだ。
 前回この時代に来た時、この部屋から一歩も外へ出なかった。今私は外の世界を見たいという衝動に駆られた。私は窓の方へ向かっていった。このような大きな窓があることに今気がついた。
 この部屋を最初に見た時、テレビでよく見る高級マンションやターワーマンションのイメージがあって、それよりも優れた部屋である印象があった。
 この部屋は高層ビルの最上階にあると思っていた。窓から高層ビルが立ち並ぶ大都会の景色を見下ろせるのだと思っていた。
 太陽の純白の光が、流れ込んでくる大きな窓に、吸い寄せられて、窓のガラス面に顔を近づけた時、私の大きく開かれた瞳の中に入ってきた景色は驚くべきものであった。
 私の部屋があるのは高層階ではなかった。一階である。外に見える景色は高層ビルが立ち並ぶ、大都会の景色ではなかった。
 純白の太陽の光を受けて、緑色の光を反射させている大草原が広がっていた。大草原の遥か向こうのほうには、湖と思える水面が、空から降り注いでくる光を受けて真っ青に輝いていた。真っ青に輝く水面を囲むように、茶色の幹と枝、緑色の葉が、純白の太陽を受けて輝いていた。果てしなく続く森林が太陽の純白の光を受けて輝いていた。自然の景色の美しさにうっとりとして、体全体が震えるのを感じた。
 私は今すぐにでも部屋から出て、この大草原を走りたい衝動に駆られた。部屋の扉を探して周りを見回した。大画面のテレビから心地よい鐘の音のような響きがした。テレビの画面を見ると画面全体に、私が17歳の頃まで住んでいた家の外観がアップ映っていた。
 体全体が、心地よい暖かさに包まれていくのを感じた。黒い綿のようなものに覆われていくのを感じた。暗い闇に囲まれていった。真っ暗な闇の中にいる。純白の光が通り過ぎていく。純白の光が無数の色に光に分かれて行った。無数の光が織りなす輝きに、うっとりとした。私の意識が無数の色の輝きの中に吸い込まれていった。
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