手のひらを太陽に

第40話

 天才ハッカーに案内されて、コンピューター室に入った時の驚きは、今までに経験したことのないような驚きであった。大画面の液晶ディスプレー、パソコンの中では最高速のCPUを入れた自作のタワー型パソコンがすぐに目に入ってきた。
 そのメーカーで最高級と思えるノートパソコンやタブレトもすぐに目に入った。その他何に使われるのか私には、全くわからない機器が目に入った。パッと見ても五、六台は目に入る大型のディスプレーの一台には、次から次へと私にはわからない文字が流れるように表示されていた。
 ディスプレーの群れからちょっと離れたところに、パソコンデスクとは違ったタイプのデスクがあった。その上には機器とマイクがあった。外に無線機のアンテナがあったので、無線機に間違い無いだろうと思った。
「庭にあった大きなパラボラアンテアは何のためなの?衛星放送とはとても思えないけど」
村岡が聞いた。
「インターネットのためだよ。光ファイバーも繋いでいるけど。郊外の周りに何もない一軒家だから、ここまで光ファイバーをひいてもらうのが大変だったけど」
「光ファイバーでインターネットが繋がっているのに、なぜパラボラアンテナでもインターネットにつなぐ必要があるの?」
「世界で人数は限られているけど、特別の任務が与えられているハッカーがいる。その任務の特権として大型のパラボラアンテナと特別のアカウントが与えられている」
 やはり、彼は天才ハッカーか。そういう任務が与えられているのか。彼は嬉しそうに説明している。村岡も興味津々で質問しようとしている。時田は二人の応答を意外な顔つきで聞いている。どう見ても10畳以上の広さは間違いなくあると思える部屋は、確かに誰が見ても、興味がわくし、質問したくなるだろう。
「でも、そんな特別な任務があることを、俺たちのような一般人に話してもいいのか?」
「今話したことも、これから話すことも、誰でもどこでも公言していいよ」
「ええどうして?」
時田は驚きのため、唇を捩じらせるような表情で言った。
「誰も信じないから」
「信じないって、どういうこと?」
村岡も驚きを隠せないといった表情で言った。
「インターネットは無法地帯と言われていた時期があったけど、スマホが急速に普及したことなどから、ここまで浸透すると、規制が各方面から要求されるようになる。まず教育関係機関のネットワークがフィルターにかけられるようになり、各家庭でもフィルターをかけられるようになる。国単位でフィルターをかけているところもある。そこで出てくるのが、規制と権利との軋轢。ダークウェブのためのツールが開発されたのもそのためかもしれない。ネットワーク事情は国によって温度差があるから。スマホが世界中でここまで浸透して、同時にインターネットも世界中に浸透するようになった。その便利さゆえにいろいろな方面で当たり前に使われるようになった。今インターネットがなければ、経済も社会も動かなくなってしまうほどになってしまった。それと同時にネットを通しての犯罪も爆発的に増えている。表現の自由のある社会では、表現の自由を守りながどうやってネット犯罪を防ぐための規制をしていくか悪戦苦闘している。表現の自由の規制の強い社会では、ダークウェブのツールの規制まで手を伸ばしている。
 我々に大型のパラアボラアンテナとアカウントが与えられているのは、インターネット接続のためだけど、このインターネットは今世界中でつながっているインターネットとは別物で、今世界中でつながっているインターネットと物理的にも繋がっていない。世界中にいるハッカーだけのネットワークだ。ハッカーと言っても、犯罪集団と関係のあるハッカーは一人もいない。技術オタクのハッカーだ。犯罪のために技術を磨いているのが、ブラックハッカーとしたら、このハッカー集団はホワイトハッカーだ。ホワイトハッカーは、普通のインターネットで作業をしているのと同時進行で、別次元で、この独自のインターネットで実証実験をしている。この独自のインターネットにアクセスしているのは、ホワイトハッカーだけなので、独自のインターネット内には無駄な操作が原因のネット障害が、極めて少ないので、理想的なネット構築ができる」
「今ここまで世界中に普及したインターネットがあるのに、なぜまた別のインターネットを作ったの?」
村岡が聞いた。
「今、新型コロナウイルスが、世界中に、文化的にも経済的にも、打撃を与えたでしょう。電子顕微鏡でないと見ることができないウイルスが、世界中の人々を震撼させたのは、未知のウイルスだったからだ。インターネト上でウイルスが、蔓延っているのは、日常的なことだ。コンピューターのウイルスに対する恐れが、許容範囲で収まっているのは、完璧な未知のものが出たことがないからだ。ウイルスのプログラムの基本的な部分、中心的な部分は、プログラマーが作ったものが、土台となっている。だから、プログラマーにとって、ワクチンを作ることは、それほど困難なことではない。それが、今世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスのように、無症状で感染して、他のコンピューターに感染するようにプログラムされたものが蔓延ったとしたら・・・それが世界中の同時にインターネットに接続しているコンピューターに一斉に感染して、しばらく潜伏して、ある時同時に接続しているパソコンを重症化させたらどうなるだろうか?おそらく、新型コロナウイルス以上の危機的な状況を世界中にもたらすかもしれない。」
 天才ハッカーが熱心に話している間に、悪いとは思ったが、今回来た目的を果たしたいという思いがあったので、私が17歳の時まで住んでいた家の住所を書いたメモを、彼に渡した。彼は夢中になっている話を続けながら、了解という素振りを見せながら、私のメモを手に取ると、すぐにキーボードに入力し始めた。キーボードを操作し始めた時も彼の話は途絶えることはなかった。
「信じられないだろうが、今全世界のインターネットに流れているデータを随時保存している超巨大なサーバーがある。その超巨大なサーバーはインターネットに繋がっている世界中のサーバーのデータも随時保存している。世界中のパソコンとサーバーに潜伏していたウイルスが一斉に起動して、世界中のインターネットに繋がっているパソコンとサーバーのデータを破壊したらどうなるだろうか。この危機的な状況のために独自のインターネットを構築している。その時、独自のインターネットを独自の超巨大なサーバーにつなぐ。ウイルスが暴発した時世界中のインターネットに流れていたデータとインターネットにつながっていたサーバーのデータを復活させる。超巨大なサーバーはコンピュータウイルス感染の恐れが全くない。我々はホワイトハッカーサーバーと呼んでいるのだけれど。ホワイトハッカーサーバーは既存のどんなサーバーとも全く違うものだ。既存のサーバーはハードデスクやSSDに保存する。保存形態は0と1のデジタルデーターだ。だがホワイトハッカーサーバーは全く違うものだ。生物の細胞に保存されているゲノム配列と同じ手法を使っている」
「えーそんなことができるのか?」
時田はとても信じられないという様子で言った。
「我々は解読されたゲノム配列のすべての意味の翻訳に成功したのだ」
「たんぱく質を作るための情報以外の膨大なジャンクDNAと言われている塩基配列にも重要な情報が書かれていて、その意味を翻訳することができた」
「まさかヒトゲノムの配列の翻訳もできたとでもいうの?」
「そう、ヒトゲノムの配列の翻訳もできた」
「ということは、何でもできるということだろ。臓器再生どころか。失った体の一部も再生できるということだろ。人間が不死になってしまうことじゃないか」
「理論的にはそうなのだけど。でも、実際はできない」
「えー、それはどういうことなの?」
「一一升枡には一升の容量しか入らないだろう。容量の限界値というものがある。ゲノム配列には限界値が書かれていて、その限界値の部分を書き換えると大変なことになってしまうことがわかった。だから、我々ホワイトハッカーは、ゲノム配列をすべて翻訳できた時、すべてが可能になると思っていたのに、実施はできることがほとんどないことを知ることになってしまって、落胆した。しかし、一つだけ完全に安全に使えるものがわかった。それはデータの保存だ。コンピューターは0と1、つまり電圧が高いか低いかの、2種類の信号データを保存している。そして記録したり読み取ったりするとき電気が必要である。ゲノム配列は T(チミン)、G(グアニン)、A(アデニン)、C(シトン)の4種類の塩基で記録している。電気がなくてもデータの記録・読み込みができる。0と1の信号によるデータに比べたとき、天文学的な量とも言えるほどのデータ保存力だ。このために世界中のインターネットに流れているデータとインターネットに接続しているサーバーのデータを保存することができる」
「全世界のインターネットを壊滅しようとしてウイルスをプログラミングしているものが本当にいるの?」
「ブラックハッカーで、そのようなウイルスを作るために、組織されたグループがあることを、我々ホワイトハッカーは、ある情報筋を通して、知っている。彼らは世界中のサーバーがダウンしたと同時に、それぞれのサーバーのバックアップをロックするプログラムも忍ばせている。世界中のサーバーがダウンしている間に、金融関係のバックアップサーバーを書き換えるのが彼らの目的だ。しかし、ゲノム配列で記録されたデータがあるので、バックアップサーバーのデーターは無用になる。ブラックハッカーが作成したウイルスも、バックアップサーバーを苦労して書き換えた時間的な努力も無駄になるということだ」
「でも、そんなことができるなんてとても信じられない」
「信じなくていいよ。このシステムの存在は公に全く知られていない。ゲノム配列でのデータ保存を研究している研究所などない。だから信じる人などいるはずない。このことをどこでも誰にでも公言しても問題ない」
 天才ハッカーは、口の動きを止めなかったが、キーボード上の指の動きも止めなかった。いつの間にかプリンターが作動していた。プリンターから印字されたA4のコピー用紙が出てきた。天才ハッカーは私に手招きして、その用紙をとるように合図した。
 プリンターのところまで行って、その用紙を取り上げた。私が知りたいと思っていたことが全て書かれてあった。
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