手のひらを太陽に

第43話

 翌日、多数の退院者が出たので、清掃と消毒の仕事は、まる1日であった。この仕事を始めた時は、感染の恐怖から、ストレスと緊張なしではできないことであった。それが、最近は仕事に慣れた所為か、そのストレスと緊張をあまり感じなくなってきた。この油断が、感染を招いてしまう。私たちはこの油断をお互いに、戒めあった。
 そういうこともあって今日は仕事が終わってから、いつもよりも入念に手を消毒してから洗った。
 コンビニで、いつもよりも値が張る弁当を買って、窓際のカウンター席に座った。
「アメリカのデモは、衰えることがないね」
 村岡が、ペットボトルのキャプを開けて、一口飲んでから、言った。 
「あの群衆の集まりは、ライブの群衆に匹敵するね。感染の心配はないのかな」
時田が、蓋を開けた弁当に箸を伸ばしながら言った。
「もうそれどころじゃないのだろうね。人種問題は根深いけど、それだからこそ今アメリカ国民は熱くなっていると思う」
「今回のデモは黒人の人権のためのデモだけど、白人の参加も目立っているみたいだね。50パーセントくらいが白人という報道もあったね」
「そういうことを見るとアメリカ国民の民主主義の意識はすごいと思うよ」
「やはり公民権運動の時の精神が堅実に生き残っているのかな」
「公民権運動の時はキング牧師の演説が、引き金になったところがあるけど、今回のデモは何かそのようなものがあったのかな」
「SNSにアップされた映像も考えられるけど、それだけじゃないのだろうな。もっと多くの俺たちには想像もつかないようなこともあるだろうな」
 そのうち二人の会話に、私も加わって、その話題で会話が続いていった。この会話はいつまでも終わることなく続くのではないかと思えた。
 三人の会話は突然途切れてしまった。私たち三人とも無言であったが、お互い何を考えているのかわかっているかのようであった。アメリカで人種となった時、マイノリティーは黒人だけではなかった。ヒスパニックいる。そして私たちもその中に入るアジア人がいる。
 新型コロナウイルスが、ヨーロッパで、そしてアメリカで、その感染が問題になり始めた時、アジア人に対するヘイトクライムがニュースになり始めた。そのニュースを耳にした時、その理由を聞かなくとも誰もがすぐに察知できた。私たちはその話題を口に出そうとして、一斉に口を閉ざしてしまった。日本人もアジア人で、アメリカの白人社会の中で、マイノリティーであること。そのことを話題にすることのなんともやるせない感情に耐えられなかったのかもしれない。
 私は話題を変えて、法律事務所に行ったことを話した。弁護士との話の内容については語らなかった。二人ともそのことについては理解していて、内容について、全く触れないように、協力してくれた。
 その弁護士が人権派の弁護士であること。彼が扱った興味深い裁判のことを、話題にした。彼が扱った裁判については、天才ハッカーが、私が知りたいと思っていたものと一緒に調べて、打ち出してくれたので、二人に話すことができた。
 最後に、天才ハッカーのことが話題になった。時田も村岡も天才ハッカーに調べてもらいたいことがあるので、三人でまた、天才ハッカーのところへ行こうということになった。
 コンビニから外に出ると、夜空に輝く星々の光が、目に入ってきた。最近、星が美しい。これほど、空に星があっただろうか。星の輝きはこんなにも美しかっただろうか。
 昼は真っ青な空が美しかった。純白の太陽の光も美しかった。鳥の鳴き声の美しかったこと。
 夜の星の輝きに、うっとりとして、つい昼の空の青さとその美しさのことを考えてしまった。
 静かだ。沈黙の響きの中で、星々が輝いている。
 その沈黙を破ったのは時田の声であった。
「今レシートを見て気がついけど。俺たちカウンター席でいつも食べていくけど、消費税10パーセントになってないよな」
村岡がそれに答えて行った。
「俺それに気がついて、一人でコンビニに別のものを買いに行った時、店長に聞いたことがある。俺たちが、働いているところを知っているみたい。サービスだって」
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