手のひらを太陽に

第46話

 タイムスリップのような現象が、記憶の一部に影響を与えたことを、時田と村岡に話してみた。最初ためらったが、姿を消してしまった女性のことも話した。彼らは精密検査を受けることを勧めてくれた。
 かかりつけの医者にすべてのことを話した。大学病院で精密検査を受けられるように、紹介状を書いてくれた。かかりつけの医師の知り合いで、記憶障害関係の治療では、第一人者の医師がいる。かかりつけの医師は、その医師に前もって連絡してくれた。
 大学病院に行って、問診票に必要事項を書いて受付をした。思ったほどは待たされずに、診察室に案内された。かかりつけの知人だという医師が担当の医師であった。50代くらいの温厚そうな、男性医師であった。
 血圧を測ってから、聴診器をあてた。指示に従って、両手の指を動かした。パウチされたカードを渡され、カードに書いてある文章を、音読した。診察室の端から端まで歩くように言われて、その通り歩いた。診察室では最後に、ミニメンタルステート検査を受けた。
 診察室での診察が終わった後、検査カードを渡された。
 血液検査、心電図検査をした後、頭部CT、頭部MRI、血流SPECT、MIBG心筋シンチグラフィの検査をした。
 翌日、検査結果の説明を受けに大学病院へ行った。診察室に入ると、担当医師が、パソコン画面にデータや画像を表示させながら、詳しく説明してくれた。最後に検査結果の印字された用紙を渡してくれた。

 アパートの部屋に帰るとすぐにテレビの電源をつけた。新型コロナウイルス関連のニュースの後、全米でのデモの様子を伝えるニュースが、流れていた。
 診察室で最後に渡された検査結果の印字された用紙を、テーブルの上で広げた。検査結果のデータはすべて正常値の範囲内であった。
 医師が言うには、私の記憶障害の原因は極度のストレスからきたのであろうということであった。そしてそのストレスの最大の原因は、両親を事故によって失ったことであろう、ということであった。
 両親の死からくるストレスを、17歳の未成年の時期に被ることは、最悪の場合は、重症の障害に至ることがある。それに対する自己防衛機能が働いた。ある年齢に達してから、少しずつそのストレスを解放するはずであったが、それが27歳の時に、一度に訪れた。そのために起こった記憶障害であると説明してくれた。
 私が17歳の頃まで住んでいた家の玄関の扉の鍵を開けて、家の中へ入って行った20歳代の女性のことをかかりつけの医師が、担当医師に伝えなかったことは、彼の取り計らいだったのかもしれない。私もそのことを担当医師に言わなかった。
 担当医師は極めて誠実な人であった。そのことがかえって災いしているのだろうか。彼は検査結果のデータが全て正常値であったことで、安心仕切ってしまったのかもしれない。彼の見解を述べた後、私に何も質問しようとはしなかった。私のうちに疑念があるとは思わなかったのかもしれない。
 テーブルの上に広げた検査結果のデータは、タイムスリップの原因として仮定したことを、崩してしまった。検査結果が正常値であることは、私の記憶障害を否定するものであった。タイムスリップという現象が、実体のある事象として、眼前に立ちはだかることとなった。
 タイムスリップが実体のあるものであるなら、タイムスリップによって生じた記憶は、現在の記憶と矛盾しているとしても、実体のあるものとなるのか。お互いに矛盾した実体が同時代に存在するということは、タイムスリップに必然的に付随するものなのだろうか。パラレルワールドということを聞いたことがある。複数の世界が同時進行で存在している。複数の世界間で絶えず力関係が拮抗している。しかし、どれかの世界で、全世界的に、大災害、世界大戦、パンデミックなどが起こった時、一瞬だけ力関係に不均衡が生じる。その時タイムスリップが生じる。しかしそのタイムスリップの記憶は、普通は消滅してしまう。しかし、稀に、ごく少数の個人の記憶の中に残る場合があるという。私のタイムスリップの記憶は、これなのだろうか。
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