王子様カフェにようこそ!
第21話 魔法の呼び声
学生と、カフェ店員の二重生活。
出だしの数日こそ、目の回る忙しさに振り回されかけたが、十日も過ぎた頃から体に馴染んできた。
(今では、学生だけだったら物足りなかったんじゃないかと、思ってしまっている……)
暦は七日単位が四週で一ヶ月。授業があるのは平日五日間、週末二日の過ごし方は自由。
実家が近い学生は帰省することもあるし、金銭的に余裕があれば観劇や遺跡巡り、一泊二日の小旅行といった様々な遊び方もあるらしい。
王族という身分にありながら、紛れもなく苦学生のエルトゥールには差し当たりそんな余裕はない。
(休日は休む。「お小遣い」は姉さまから受け取っているけど、一年後何がどうなるかわからない以上、無駄遣いは慎まないと)
かくして、学校が休みで仕事も休みの日は寝て過ごして体力回復につとめるか、せいぜい学校内の図書館で過ごすくらいで最初の一月は瞬く間に過ぎていった。
寮から抜け出して帰る問題は、寮の自室を一階に変更してもらうことで解決。帰る頃の時間を見計らって、レベッカが鍵をこっそり開けておいてくれる。お互いに気を遣うこともなく、二重生活も順調。
昼は「殿下」で夜は「アル」のアーノルドとの関係も、「友だち」で「同僚」として落ち着いている。
私語をしている余裕はあまりなく、「何故、王子の身分でありながらカフェで店員をしているのか」という肝心なこともまだはっきり聞けてはいなかったが。
* * *
(あ、また来てる)
入口の混雑をすすっと通過してきた小さな人影を見て、エルトゥールは口元をほころばせた。
聖女さまであるリーズロッテは、聖獣ジェラさんとの食事が気に入ったらしく、夜のシェラザードに三日とあけずに姿を現すようになっていた。
いつもそこだけ空いているカウンターの隅の席で、おとなしく食事をしている。
閉店近くに、男装のジャスティーンと眼鏡を外して一応の変装をしたマクシミリアンが迎えにくるのも定番。
「いらっしゃいませ。お席にご案内します」
出迎えからカウンター席に先導して、椅子にのぼらせるのはエルトゥールの役目。最近はリーズロッテも「ありがとう」とごく小さな声で言うようになった。
もっとも、会話は最小限の上に、学校でも親しく接しているわけではないので、馴染みの店員エルさんと、エルトゥール姫が同一人物とはまだ気付いていないようであったが。
この日は、席まで案内はしたものの、リーズロッテがすぐに「あら」と言った。
ジェラさん不在。
「私も初めてなんですよね。今日は姿が見えないんです」
「そう……」
目に見えて、意気消沈。
リーズロッテの目的は、食事以上にジェラさんに会うことが大きいに違いない。
「いつも通り、メニューはお任せで大丈夫ですか。あの、ジェラさんがいつ戻るかわからないから、少な目に。もし戻ってきたらいつも通り多めにして……」
「なんでもいい。お願い」
(ジェラさんも、リーズロッテさんには懐いていましたからね。リーズロッテさんは、学校でもひとりでいることが多いみたいだし。ジャスティーン様やアーノルド殿下も気にかけているけど、学年も違うからそこまで手出しができない……のは、私も同じで。シェラザードでは楽しそうにしてくれていたから、安心していたんですが)
固い横顔を見ていると「ジェラさんのあほ~~、どこ行ってるのよ~~!?」とよっぽど文句をつけたくなるが、猫に気まぐれ以外の何かを求めてはいけないと思い直す。猫は猫。
(だけど、あの猫には妙な安心感があったのも事実で……。今日は注意して見ていよう。ジェラさんがいないとなると、リーズロッテさんに何か悪いことしようとするひともいるかもしれない。ただでさえ、見た目は小さな子どもなんだし)
気にしつつカウンター席から離れ、一応アーノルドにも来店のことを伝えようとは思うものの、厨房の奥にいてなかなか話すきかっけがない。
リーズロッテ以外が座らないカウンター席のオーダーがあることに気付けば、来ていることはわかっているはずだが。
ままならないまま働いているうちに、思った通りの厄介事が起きた。
おそらく初顔の客。シェラザードでは滅多に見ないほどに深酒をして、したたかに酔っていた男性グループが、一人で食事をしているリーズロッテに気付いて、絡み始めたのだ。
「お嬢ちゃん、ひとり? おとなは一緒じゃないの?」
「お、すげー可愛い! ちょっとこっちのテーブルに来いよ!」
「なんだ、しゃべれねーのか? 良いもの着てるけど、いいところの嬢ちゃんか? お高くとまってんなあ」
ざわめきの中にその声が響いてすぐに、エルトゥールはカウンター席に向かう。
小さなリーズロッテを五人ばかりの大男が取り囲んでいて、姿が見えない。
「お客様! 他のお客様のご迷惑になるような行為はやめてください!」
声をかけても埒が明かず、男たちの向こう側で「きゃっ!」というリーズロッテの悲鳴が上がった瞬間、エルトゥールは一人の男の腕に掴みかかった。
「やめてくださいって言ってるじゃないですか! 何してるんですか!?」
「うるせえな!」
太い腕をふりまわされ、エルトゥールは軽く吹っ飛ばされて近くのテーブルにがしゃんとつっこんだ。
身をかばうこともできずにあちこちに痛みがはしったが、「やめて!」というリーズロッテの悲鳴が聞こえてそれどころではない。
「子ども相手に何してるって言ってるんです! お客様だからってゆるしませんよ!」
(私も痛いし!)
ぶつけた肩を片手でおさえながら、声を張り上げて立ち上がる。
いかにもうるさそうに男が振り返った。
「なんだお前。うるせえな。あっち行ってろよ」
「うるせえのはあなたがたですよ! ここは食事を楽しむところです! いやがる女の子につきまとうような男どもは全員出て行け!」
啖呵を切るエルトゥールに興味をそそられたように、男たちが振り返る。
一瞬、注意が逸れたリーズロッテは、男たちの足の間から逃れるようにエルトゥールの元まで走って来た。
(リーズロッテさん、普段全然愛想ないのに。私のことは「味方」だと認識してくれているんですね!)
お小さいひとに頼られるという栄誉に感動を覚えつつ、エルトゥールは目の前の危機を厳しい目で睨みつける。
騒ぎは伝わっているはずで、他の店員も駆けつけるとは思うが、それまで凌がねばならない。
「なんだ、結構可愛い顔してるなお前。俺らのテーブルについてくれるか?」
「料理やドリンク類は運びますけど、ボトルから酌するのは業務内容に含まれていないんです。他のお客様にも、お客様同士でお願いしていますので、特別扱いはしません」
真面目に答えたのに、ひゅうっと口笛を吹かれて冷やかされてしまう。
実際、シェラザードは忙しいので、酌して会話して接待するという、店員がそこまで一つのテーブルに尽くすことを想定していないのだが。
リーズロッテを背に隠しつつ、ひたすら強気で譲るところのないエルトゥールに対し、男のひとりが腕を伸ばしてきた。
(酔ってる!)
掴みかかるというより、殴ろうとする速さ。
とエルトゥールは一瞬で見極めて、咄嗟に顔をかばうように腕を前に突き出す。避ければリーズロッテが標的になるので、それ以外にない。
力の差から、当たれば骨が砕けるかもしれない。
その思いから覚悟を決め、男の拳が触れる瞬間、心の中でその言葉を叫んだ。
(炎!)
出だしの数日こそ、目の回る忙しさに振り回されかけたが、十日も過ぎた頃から体に馴染んできた。
(今では、学生だけだったら物足りなかったんじゃないかと、思ってしまっている……)
暦は七日単位が四週で一ヶ月。授業があるのは平日五日間、週末二日の過ごし方は自由。
実家が近い学生は帰省することもあるし、金銭的に余裕があれば観劇や遺跡巡り、一泊二日の小旅行といった様々な遊び方もあるらしい。
王族という身分にありながら、紛れもなく苦学生のエルトゥールには差し当たりそんな余裕はない。
(休日は休む。「お小遣い」は姉さまから受け取っているけど、一年後何がどうなるかわからない以上、無駄遣いは慎まないと)
かくして、学校が休みで仕事も休みの日は寝て過ごして体力回復につとめるか、せいぜい学校内の図書館で過ごすくらいで最初の一月は瞬く間に過ぎていった。
寮から抜け出して帰る問題は、寮の自室を一階に変更してもらうことで解決。帰る頃の時間を見計らって、レベッカが鍵をこっそり開けておいてくれる。お互いに気を遣うこともなく、二重生活も順調。
昼は「殿下」で夜は「アル」のアーノルドとの関係も、「友だち」で「同僚」として落ち着いている。
私語をしている余裕はあまりなく、「何故、王子の身分でありながらカフェで店員をしているのか」という肝心なこともまだはっきり聞けてはいなかったが。
* * *
(あ、また来てる)
入口の混雑をすすっと通過してきた小さな人影を見て、エルトゥールは口元をほころばせた。
聖女さまであるリーズロッテは、聖獣ジェラさんとの食事が気に入ったらしく、夜のシェラザードに三日とあけずに姿を現すようになっていた。
いつもそこだけ空いているカウンターの隅の席で、おとなしく食事をしている。
閉店近くに、男装のジャスティーンと眼鏡を外して一応の変装をしたマクシミリアンが迎えにくるのも定番。
「いらっしゃいませ。お席にご案内します」
出迎えからカウンター席に先導して、椅子にのぼらせるのはエルトゥールの役目。最近はリーズロッテも「ありがとう」とごく小さな声で言うようになった。
もっとも、会話は最小限の上に、学校でも親しく接しているわけではないので、馴染みの店員エルさんと、エルトゥール姫が同一人物とはまだ気付いていないようであったが。
この日は、席まで案内はしたものの、リーズロッテがすぐに「あら」と言った。
ジェラさん不在。
「私も初めてなんですよね。今日は姿が見えないんです」
「そう……」
目に見えて、意気消沈。
リーズロッテの目的は、食事以上にジェラさんに会うことが大きいに違いない。
「いつも通り、メニューはお任せで大丈夫ですか。あの、ジェラさんがいつ戻るかわからないから、少な目に。もし戻ってきたらいつも通り多めにして……」
「なんでもいい。お願い」
(ジェラさんも、リーズロッテさんには懐いていましたからね。リーズロッテさんは、学校でもひとりでいることが多いみたいだし。ジャスティーン様やアーノルド殿下も気にかけているけど、学年も違うからそこまで手出しができない……のは、私も同じで。シェラザードでは楽しそうにしてくれていたから、安心していたんですが)
固い横顔を見ていると「ジェラさんのあほ~~、どこ行ってるのよ~~!?」とよっぽど文句をつけたくなるが、猫に気まぐれ以外の何かを求めてはいけないと思い直す。猫は猫。
(だけど、あの猫には妙な安心感があったのも事実で……。今日は注意して見ていよう。ジェラさんがいないとなると、リーズロッテさんに何か悪いことしようとするひともいるかもしれない。ただでさえ、見た目は小さな子どもなんだし)
気にしつつカウンター席から離れ、一応アーノルドにも来店のことを伝えようとは思うものの、厨房の奥にいてなかなか話すきかっけがない。
リーズロッテ以外が座らないカウンター席のオーダーがあることに気付けば、来ていることはわかっているはずだが。
ままならないまま働いているうちに、思った通りの厄介事が起きた。
おそらく初顔の客。シェラザードでは滅多に見ないほどに深酒をして、したたかに酔っていた男性グループが、一人で食事をしているリーズロッテに気付いて、絡み始めたのだ。
「お嬢ちゃん、ひとり? おとなは一緒じゃないの?」
「お、すげー可愛い! ちょっとこっちのテーブルに来いよ!」
「なんだ、しゃべれねーのか? 良いもの着てるけど、いいところの嬢ちゃんか? お高くとまってんなあ」
ざわめきの中にその声が響いてすぐに、エルトゥールはカウンター席に向かう。
小さなリーズロッテを五人ばかりの大男が取り囲んでいて、姿が見えない。
「お客様! 他のお客様のご迷惑になるような行為はやめてください!」
声をかけても埒が明かず、男たちの向こう側で「きゃっ!」というリーズロッテの悲鳴が上がった瞬間、エルトゥールは一人の男の腕に掴みかかった。
「やめてくださいって言ってるじゃないですか! 何してるんですか!?」
「うるせえな!」
太い腕をふりまわされ、エルトゥールは軽く吹っ飛ばされて近くのテーブルにがしゃんとつっこんだ。
身をかばうこともできずにあちこちに痛みがはしったが、「やめて!」というリーズロッテの悲鳴が聞こえてそれどころではない。
「子ども相手に何してるって言ってるんです! お客様だからってゆるしませんよ!」
(私も痛いし!)
ぶつけた肩を片手でおさえながら、声を張り上げて立ち上がる。
いかにもうるさそうに男が振り返った。
「なんだお前。うるせえな。あっち行ってろよ」
「うるせえのはあなたがたですよ! ここは食事を楽しむところです! いやがる女の子につきまとうような男どもは全員出て行け!」
啖呵を切るエルトゥールに興味をそそられたように、男たちが振り返る。
一瞬、注意が逸れたリーズロッテは、男たちの足の間から逃れるようにエルトゥールの元まで走って来た。
(リーズロッテさん、普段全然愛想ないのに。私のことは「味方」だと認識してくれているんですね!)
お小さいひとに頼られるという栄誉に感動を覚えつつ、エルトゥールは目の前の危機を厳しい目で睨みつける。
騒ぎは伝わっているはずで、他の店員も駆けつけるとは思うが、それまで凌がねばならない。
「なんだ、結構可愛い顔してるなお前。俺らのテーブルについてくれるか?」
「料理やドリンク類は運びますけど、ボトルから酌するのは業務内容に含まれていないんです。他のお客様にも、お客様同士でお願いしていますので、特別扱いはしません」
真面目に答えたのに、ひゅうっと口笛を吹かれて冷やかされてしまう。
実際、シェラザードは忙しいので、酌して会話して接待するという、店員がそこまで一つのテーブルに尽くすことを想定していないのだが。
リーズロッテを背に隠しつつ、ひたすら強気で譲るところのないエルトゥールに対し、男のひとりが腕を伸ばしてきた。
(酔ってる!)
掴みかかるというより、殴ろうとする速さ。
とエルトゥールは一瞬で見極めて、咄嗟に顔をかばうように腕を前に突き出す。避ければリーズロッテが標的になるので、それ以外にない。
力の差から、当たれば骨が砕けるかもしれない。
その思いから覚悟を決め、男の拳が触れる瞬間、心の中でその言葉を叫んだ。
(炎!)