王子様カフェにようこそ!
第30話 評判のお店
「先生のおススメのお店です!! 何を食べても美味しいんです!! 大皿料理メインなんだけど、おひとり様にも優しくて、相談すると少な目も作ってくれるんですよ。食べて良し、飲んで良し、この街にこの店があって良かった~。大好き」
暮れなずむ紫紺色の空の下、潮風に吹かれている石造りの年季の入った建物を見上げて、なるほど、とエルトゥールは深く納得した。
「おひとり様にも優しいのは、間違いないです。カウンター席は、本当に居心地が良いです」
エルトゥールの横で、白のワンピース姿のリーズロッテも納得したように呟いている。その足元には猫状態のジェラさん。
「いつもすごく混んでますけど、店員さんも親切なんですよ! 見ているだけでお腹が空いてくるので、早速入りましょう! あ~楽しみ。おひとり様で来ることが多いから、誰かと食事に来てみたくて」
心底楽しそうに、私服姿のドロシーは開け放たれたドアに向かって行く。
その背を追って歩き出したところで、エルトゥールと肩を並べたリーズロッテがにこりと微笑んで言った。
「エル姉さまの私服姿、初めて見ました。いつもと印象が全然違って、新鮮です。すごく素敵」
「ありがとう。実は外歩き用の服が全然なくて、ジャスティーン様から借りてきたの。身長差があるから、私には大きいんだけど、ベルトで調節したりできるから、なんとか……」
柔らかい布地の朱色のワンピース。金糸で細かな刺繍が入っており、長姉メリエムが好みそうな意匠で自分には似合わないのではと気後れしたが、ジャスティーンに口説き落とされて着てしまった。細長い金のスクエア型の耳飾りも、手首にはめた細い金環もすべて借り物。
カフェ・シェラザードのスタッフはどういう反応をするだろうかと、少しだけ緊張している。
(アル……は、厨房かな。先生がいるし、出てこないでくれた方がいいよね。うん)
薄暗い店内に足を踏み入れると、香辛料の入り混じったような、食欲を刺激する匂いが熱気にのってふわっと押し寄せてきた。
馴染みのある喧噪。人の声と食器の触れ合う賑やかな音。
「いらっしゃいませー!!」
「今日は三人と、猫さんでーす」
先頭に立っていたドロシーが、指を三本立てて人数を告げる。
「猫……?」
対応に立っていた男性店員がすうっと視線を上向ける。
リーズロッテの足にまとわりついていたはずの猫の姿はなく、暗黒色のローブをまとった背の高い男が、ふわ、と眠そうにあくびをしながら立っていた。
* * *
「ジェラさんです。聖獣です」
赤の四人掛けテーブルに通されてから、初顔合わせのドロシーに対し、リーズロッテがおざなりに紹介をした。
「たしかに、あの猫さんと共通するものは感じるんですけど……。あなたは魔導士ですよね……?」
恐る恐るといった調子で、ドロシーは確認する。
くは……と眠そうなあくびを繰り返しつつ、ジェラさんは腕を組んで椅子にふんぞり返り、ドロシーの問いかけを無視して言い放った。
「腹減った。メシ。さかな。にく」
「注文しますので、待っていてください。寝ててもいいですよ」
手慣れた様子でリーズロッテがあしらい、近くの店員を呼び止める。
エルトゥールも顔見知りの男性店員は、リーズロッテに「いつものお嬢様、いらっしゃいませ」と挨拶をしてからテーブルにさっと目を走らせる。
少し長い時間、エルトゥールの顔に目を止めてから、注文を聞いて去って行った。
(何も言われなかったけど、見てた……。どうなんだろう、気づいたのかな。というか、妙に視線を感じるような……?)
壁を背にした角席で、さほど目立つ場所でもないはずなのだが、店内に視線を向けるとあちこちのテーブルの客が振り返っていた。チラチラと盗み見てくる相手もいれば、目が合うと笑いかけてくる男性客まで。
強烈な存在感のジェラさんは、フードをかぶってしまえば気配を断てるらしい上に、フロアに対して背を向けているので、人外美形の顔を衆目に晒しているわけではない。
腑に落ちないまま、ドロシーとリーズロッテの会話に耳を傾ける。
視線はいつまでも、ちくちくと痛いほどに刺さっていたが、気にしないようにした。
そこに、ふっと風が吹いた。
「いらっしゃいませ」
顔を向けると、よく見知った黒の瞳がエルトゥールをじっと見ていた。
何も言わずに、ドリンクをテーブルに置く。
「リンゴジュース、アーモンドジュース、アボカドジュース。それと、ミルクです」
「ドロシー先生、今日はジェラさんがいるので、この後引率気にせずお酒を飲んでも大丈夫ですよ」
リーズロッテが、ジュースを手にしたドロシーに声をかける。「そう? じゃああとで一杯だけ」と嬉しそうにこたえてから、ドロシーはグラスを掲げる。
「それでは、エルトゥールさんの加入を記念しまして。逃・が・さ・な・い・ぞ♡ 乾杯!」
「はい、逃げません、よろしくお願いします」
(うわ~、アルの前でばっちり名前言われちゃった。リズさんとジェラさんがいる時点で、わかってないってことはないと思うけど……)
グラスをかちりと合わせてから、アーモンドジュースに口をつけつつ、エルトゥールはアーノルドの方へと顔を向ける。
すでに場を去った後。遠くに、厨房へ帰って行く背中。
エルトゥールは、緊張していたのが空振りで、心に隙間風のような落ち着かなさを感じた。
(アーノルド殿下を自分からものすごく避けておいて、アルには無視しないで欲しいなんて言えない……)
なまじシェラザードの店内だけに、お互いの存在を認識しながら言葉を交わさないのに、違和感があった。
食事が始まってからも、二回ほどアーノルドが皿を運んできたが、話すこともなく。
気にはなりつつも、ドロシーやリーズロッテと打ち解けて楽しく食べることに専念した。
そのとき、ふと何かが神経に障って、エルトゥールはフロアを見回す。
視線の先で、たまたま近接していたテーブル二組のうち、片方のテーブルにしたたかに酔った客がいた。大仰な仕草で腕を振り回して、隣のテーブルの客に激しくぶつかってしまう。
謝ればいいのに、酔っている側は笑っているばかり。
場の空気が一気に険悪になるのが、離れたエルトゥールにも見えた。
「すみません、ちょっと」
断りを入れて、席を立つ。
(喧嘩かな? 騒ぎが大きくなる前に、誰か店員に知らせた方がいいよね。殴り合いになったらまずい。止めるなり、外に追い出すなり、どうにか)
自分が働いているときに、似たような場面を見たことがあるだけに、しぜんと体が動いてしまい、手の空いてそうな男性スタッフをきょろきょろと探しながら歩いた。
少し離れた位置に、ちょうど皿を運び終えたひとりを見つけて、声をかけようと口を開く。
「ドノヴァン……うわっ!!」
脇から出て来た手にぐいっと腕を掴まれて、エルトゥールは悲鳴を上げながら転びかけた。
なんとか堪えて確認すると、通りすがりの席の男に掴まれていた。
「綺麗なお嬢さんだ。ちょっとこっちの席においで」
(女性の姿だと絡まれるっ!? 甘く見て、許せない!)
むっとしたのが顔に出たのか、相手の男はにやにやと笑いながら手に力を込めてきた。
ぎりっと手首の骨が軋むような痛みに、エルトゥールはたまらず顔を歪める。
「はなしてくださいっ……」
「はなせ」
声が重なった。
掴んでいた腕を引きちぎりそうな勢いで離させて、エルトゥールの横に現れたのはアーノルド。
かける言葉に迷うエルトゥールを背に庇い、「他のお客様に迷惑をかけるような客は客じゃない。帰れ」と低い声で言った。
暮れなずむ紫紺色の空の下、潮風に吹かれている石造りの年季の入った建物を見上げて、なるほど、とエルトゥールは深く納得した。
「おひとり様にも優しいのは、間違いないです。カウンター席は、本当に居心地が良いです」
エルトゥールの横で、白のワンピース姿のリーズロッテも納得したように呟いている。その足元には猫状態のジェラさん。
「いつもすごく混んでますけど、店員さんも親切なんですよ! 見ているだけでお腹が空いてくるので、早速入りましょう! あ~楽しみ。おひとり様で来ることが多いから、誰かと食事に来てみたくて」
心底楽しそうに、私服姿のドロシーは開け放たれたドアに向かって行く。
その背を追って歩き出したところで、エルトゥールと肩を並べたリーズロッテがにこりと微笑んで言った。
「エル姉さまの私服姿、初めて見ました。いつもと印象が全然違って、新鮮です。すごく素敵」
「ありがとう。実は外歩き用の服が全然なくて、ジャスティーン様から借りてきたの。身長差があるから、私には大きいんだけど、ベルトで調節したりできるから、なんとか……」
柔らかい布地の朱色のワンピース。金糸で細かな刺繍が入っており、長姉メリエムが好みそうな意匠で自分には似合わないのではと気後れしたが、ジャスティーンに口説き落とされて着てしまった。細長い金のスクエア型の耳飾りも、手首にはめた細い金環もすべて借り物。
カフェ・シェラザードのスタッフはどういう反応をするだろうかと、少しだけ緊張している。
(アル……は、厨房かな。先生がいるし、出てこないでくれた方がいいよね。うん)
薄暗い店内に足を踏み入れると、香辛料の入り混じったような、食欲を刺激する匂いが熱気にのってふわっと押し寄せてきた。
馴染みのある喧噪。人の声と食器の触れ合う賑やかな音。
「いらっしゃいませー!!」
「今日は三人と、猫さんでーす」
先頭に立っていたドロシーが、指を三本立てて人数を告げる。
「猫……?」
対応に立っていた男性店員がすうっと視線を上向ける。
リーズロッテの足にまとわりついていたはずの猫の姿はなく、暗黒色のローブをまとった背の高い男が、ふわ、と眠そうにあくびをしながら立っていた。
* * *
「ジェラさんです。聖獣です」
赤の四人掛けテーブルに通されてから、初顔合わせのドロシーに対し、リーズロッテがおざなりに紹介をした。
「たしかに、あの猫さんと共通するものは感じるんですけど……。あなたは魔導士ですよね……?」
恐る恐るといった調子で、ドロシーは確認する。
くは……と眠そうなあくびを繰り返しつつ、ジェラさんは腕を組んで椅子にふんぞり返り、ドロシーの問いかけを無視して言い放った。
「腹減った。メシ。さかな。にく」
「注文しますので、待っていてください。寝ててもいいですよ」
手慣れた様子でリーズロッテがあしらい、近くの店員を呼び止める。
エルトゥールも顔見知りの男性店員は、リーズロッテに「いつものお嬢様、いらっしゃいませ」と挨拶をしてからテーブルにさっと目を走らせる。
少し長い時間、エルトゥールの顔に目を止めてから、注文を聞いて去って行った。
(何も言われなかったけど、見てた……。どうなんだろう、気づいたのかな。というか、妙に視線を感じるような……?)
壁を背にした角席で、さほど目立つ場所でもないはずなのだが、店内に視線を向けるとあちこちのテーブルの客が振り返っていた。チラチラと盗み見てくる相手もいれば、目が合うと笑いかけてくる男性客まで。
強烈な存在感のジェラさんは、フードをかぶってしまえば気配を断てるらしい上に、フロアに対して背を向けているので、人外美形の顔を衆目に晒しているわけではない。
腑に落ちないまま、ドロシーとリーズロッテの会話に耳を傾ける。
視線はいつまでも、ちくちくと痛いほどに刺さっていたが、気にしないようにした。
そこに、ふっと風が吹いた。
「いらっしゃいませ」
顔を向けると、よく見知った黒の瞳がエルトゥールをじっと見ていた。
何も言わずに、ドリンクをテーブルに置く。
「リンゴジュース、アーモンドジュース、アボカドジュース。それと、ミルクです」
「ドロシー先生、今日はジェラさんがいるので、この後引率気にせずお酒を飲んでも大丈夫ですよ」
リーズロッテが、ジュースを手にしたドロシーに声をかける。「そう? じゃああとで一杯だけ」と嬉しそうにこたえてから、ドロシーはグラスを掲げる。
「それでは、エルトゥールさんの加入を記念しまして。逃・が・さ・な・い・ぞ♡ 乾杯!」
「はい、逃げません、よろしくお願いします」
(うわ~、アルの前でばっちり名前言われちゃった。リズさんとジェラさんがいる時点で、わかってないってことはないと思うけど……)
グラスをかちりと合わせてから、アーモンドジュースに口をつけつつ、エルトゥールはアーノルドの方へと顔を向ける。
すでに場を去った後。遠くに、厨房へ帰って行く背中。
エルトゥールは、緊張していたのが空振りで、心に隙間風のような落ち着かなさを感じた。
(アーノルド殿下を自分からものすごく避けておいて、アルには無視しないで欲しいなんて言えない……)
なまじシェラザードの店内だけに、お互いの存在を認識しながら言葉を交わさないのに、違和感があった。
食事が始まってからも、二回ほどアーノルドが皿を運んできたが、話すこともなく。
気にはなりつつも、ドロシーやリーズロッテと打ち解けて楽しく食べることに専念した。
そのとき、ふと何かが神経に障って、エルトゥールはフロアを見回す。
視線の先で、たまたま近接していたテーブル二組のうち、片方のテーブルにしたたかに酔った客がいた。大仰な仕草で腕を振り回して、隣のテーブルの客に激しくぶつかってしまう。
謝ればいいのに、酔っている側は笑っているばかり。
場の空気が一気に険悪になるのが、離れたエルトゥールにも見えた。
「すみません、ちょっと」
断りを入れて、席を立つ。
(喧嘩かな? 騒ぎが大きくなる前に、誰か店員に知らせた方がいいよね。殴り合いになったらまずい。止めるなり、外に追い出すなり、どうにか)
自分が働いているときに、似たような場面を見たことがあるだけに、しぜんと体が動いてしまい、手の空いてそうな男性スタッフをきょろきょろと探しながら歩いた。
少し離れた位置に、ちょうど皿を運び終えたひとりを見つけて、声をかけようと口を開く。
「ドノヴァン……うわっ!!」
脇から出て来た手にぐいっと腕を掴まれて、エルトゥールは悲鳴を上げながら転びかけた。
なんとか堪えて確認すると、通りすがりの席の男に掴まれていた。
「綺麗なお嬢さんだ。ちょっとこっちの席においで」
(女性の姿だと絡まれるっ!? 甘く見て、許せない!)
むっとしたのが顔に出たのか、相手の男はにやにやと笑いながら手に力を込めてきた。
ぎりっと手首の骨が軋むような痛みに、エルトゥールはたまらず顔を歪める。
「はなしてくださいっ……」
「はなせ」
声が重なった。
掴んでいた腕を引きちぎりそうな勢いで離させて、エルトゥールの横に現れたのはアーノルド。
かける言葉に迷うエルトゥールを背に庇い、「他のお客様に迷惑をかけるような客は客じゃない。帰れ」と低い声で言った。