王子様カフェにようこそ!
第36話 嘘と惚れ薬(前編)
“エルトゥール姫とアーノルド殿下は頻繁に密会されているご様子。
公爵家もそろそろ見過ごせないのでは?”
朝食後、レベッカと一度別れて自室に戻り、セドリックからの手紙を確認。
(ある意味、予想通り。やっぱりきたか……)
エルトゥールとしても、「弱み」として揺さぶりをかけられるとすれば、そこだと考えていた。
シェラザードでの仕事や、同僚としてのアーノルドとの交流を突き止めるのは、その気になればそれほど難しいことではないだろう。
手紙には、「昼休みの後、学校内の植物園に来て欲しい」旨が続けて書かれている。
人目につかず、邪魔の入らないところで話し合いたいという意味合いと考えられた。
(とは言っても……、これが卑劣な脅しだと、わからないわけがない。まともな話し合いにもならないはず。大方私の事情を押さえていて、「醜聞を流されたくなければ、卒業後の結婚を前提とした婚約を」と迫って来るつもりででしょうか)
他国の王族であるエルトゥールが、この国の王家と公爵家の取り決めに割り込んで、両家の体面を汚すとあれば、深刻な事態を引き起こしかねない。
しかし、たとえこのことが噂となり、騒ぎに発展しても、侯爵家との婚約を大々的に発表して打ち消してしまえばいい。皆の前で仲睦まじい恋人として振舞っていれば、そちらが真になる。
セドリックからの提案はおそらくそのあたりだ。
呼び出しが近々なのは、対策をとられないように短期決戦を目論んでいるように思えた。
(私自身の婚約で、「王子に懸想などしておりません」と喧伝するのは、手段としては悪くないです。時間さえあれば、そういう相手をみつけて落ち着くつもりもありました。でも、セドリックは嫌です。それでは故郷で姉さまの選んだ縁談を受けた方が、同じ「嫌」でもまだ国益になる)
問題は、醜聞を引っ提げて帰国した場合、いかにイルルカンナ王家の力をもってしても、エルトゥールにまともな嫁ぎ先を用意するのはこれまで以上に難しくなるであろうこと。
足元を見られている。
(レベッカが協力を申し出てくれているけど、相手が卑劣な人間である以上、巻き込めない)
「ここまで相手の出方が予想できるのに、対策を思いつかないのは、朝ご飯が足りなかったかな」
悶々と悩んだエルトゥールが思わず呟いたところで、部屋のドアがノックされた。
* * *
午後の授業が始まり、生徒たちの姿が講義室へと消えた時間帯。
人気のない道を用心しながら進み、敷地のはずれにある植物園に向かう。セドリックが指定してきたのは、奥深くに位置するガラスドームの温室。
ドアを開けると、湿った空気に、濃密な緑の匂いが立ち込めていた。
森のように繁った木々の間の細道を抜けてエルトゥールが開けた場所まで姿を現すと、待ち構えていたセドリックが「おや」というように軽く目を見開く。
「『一人で来るように』という文面ではなかったね。同席させてもらう。どうも私にも関わる話のようだ」
にこやかな笑みとともに、エルトゥールの背後からそう言ったのは、ジャスティーン。
エルトゥールの私室を訪ねてきたのはレベッカとジャスティーンで、誤魔化すのは許さないと二人がかりで詰め寄られ、打ち明けることになってしまったのだ。
その結果「簡単だ。私が一緒に行く」とジャスティーンが押し切るように同行を決めた。
「話の推測はできている。エルトゥール姫とアーノルド殿下が個人的に親しいと噂を流し、公爵家が乗り出してきて、姫が立場を失うことを目論んでいるんだろう。だが、私からするとそれは『あり得ない』。公爵家はこの件、動かない」
エルトゥールに口を挟ませることなく、ジャスティーンが断言する。
セドリックの瞳には、一瞬怯んだような弱い光が浮かんだが、すぐに笑みを広げた。
「たとえジャスティーン嬢が公爵家のうるさ方を押さえられたとしても、噂は止められませんよ。しかも、根も葉もないわけではなく、真実だ。アーノルド殿下は王子の身分にありながら町場のカフェで労働に従事するふりをし、エルトゥール姫との密会を重ねている。二人が寮から抜け出ていく姿も、連れ立って帰ってくるところも、何人かの生徒に見られている。言い逃れができる状況じゃない」
「ちょっと待って」
エルトゥールが、そこで素早く話を遮った。
納得いかないとばかりに眉を寄せて、口を開く。
「アーノルド殿下は『働くふり』をしているわけじゃなくて、働いています。ものすごく。もちろん私も。シェラザードは密会場所ではなく、職場です。そこは間違わないで」
そこ? と言いながら、ジャスティーンが噴き出した。
「ジャスティーン様、今のセドリックの発言は殿下の仕事ぶりに対する侮辱です。自分は同じことできるのですか? です。彼には、絶対できません。世の中の王子様で、カフェであれほど働けるひとがどれほどいると思うんですか」
「カフェで働く王子様がどれだけいるかって話でもあるかも」
ジャスティーンがさらににこにこしながら言えば、エルトゥールもまた、ますます難しい顔になる。
「それはそうなんですよね。私は学費の為ですけど、殿下はなんの為に働いているんだろう」
「聞いたことないの?」
「ありません。個人的な話はほとんどしないんです。普段、仕事の話だけ。行きは『昨日のお客さん酔い過ぎだったよね』『今日は混むかな』で、帰りは『なんか最近ずいぶん鶏料理頼むひと増えたよね』『どこかで誰かが宣伝しているのかな』そういう感じです」
(だから、昨日みたいに「エルトゥール姫」と「アーノルド殿下」の話になることはほとんどなくて)
切々と語られた「別れ際は辛い」という発言や、甘いまなざしを不意打ちのように思い出しかけて、エルトゥールはドキドキと鳴り出した胸を手でおさえた。
「聞いた? セドリック。姫と殿下は、ただの同僚だ。そしてそれは私の知るところでもある。二人の間にはこれまでのところ、何もない。脅そうとしても無駄だよ」
「事実かどうかというのは、一度醜聞が広まった後には些細な問題です。二人がただならぬ仲であるという疑惑の目が向けられるようになれば、それだけで良い。そしてそれを打ち消すには、私と姫が婚約を発表をするのがもっとも効果的です。姫、真剣に考えて頂けないでしょうか。ああそうだ、立ち話もなんですから、どうぞテーブルへ。お茶をご用意しています」
あくまで余裕のある態度を崩さず、セドリックが奥のテーブルセットに招いてくる。
ジャスティーンより先に、エルトゥールが一歩踏み出した。
「信用ならない相手の用意したものを口にするほど、愚かだと思わないように。相手の弱みに付け込んで自分の有利になるように話を進めようとする人間には、どんな誠実さも認められません」
「さすが、エルトゥール姫は厳しい。ですが、妻にと望む相手に毒を盛るわけがありません。子を産めない体になっても困ります」
セドリックはそう言うと、制服のポケットからガラスの小瓶を取り出して目の高さまで持ち上げた。
「『惚れ薬』だそうです。事前に試してみましたが、男性には効果がないようです。女性にはよく効くんですが。飲んで頂けないのは残念です」
(なんでそんな手の内を明かすんだろう)
おかしい、とエルトゥールの中で嫌な予感が膨れ上がったそのとき。
足から力が抜けて、その強烈な脱力感に堪えきれずにその場に膝をついた。
立ち上がろうとしても、手足が痺れて眩暈がしている。
「姫っ」
どこかでアーノルドの声が聞こえた。
公爵家もそろそろ見過ごせないのでは?”
朝食後、レベッカと一度別れて自室に戻り、セドリックからの手紙を確認。
(ある意味、予想通り。やっぱりきたか……)
エルトゥールとしても、「弱み」として揺さぶりをかけられるとすれば、そこだと考えていた。
シェラザードでの仕事や、同僚としてのアーノルドとの交流を突き止めるのは、その気になればそれほど難しいことではないだろう。
手紙には、「昼休みの後、学校内の植物園に来て欲しい」旨が続けて書かれている。
人目につかず、邪魔の入らないところで話し合いたいという意味合いと考えられた。
(とは言っても……、これが卑劣な脅しだと、わからないわけがない。まともな話し合いにもならないはず。大方私の事情を押さえていて、「醜聞を流されたくなければ、卒業後の結婚を前提とした婚約を」と迫って来るつもりででしょうか)
他国の王族であるエルトゥールが、この国の王家と公爵家の取り決めに割り込んで、両家の体面を汚すとあれば、深刻な事態を引き起こしかねない。
しかし、たとえこのことが噂となり、騒ぎに発展しても、侯爵家との婚約を大々的に発表して打ち消してしまえばいい。皆の前で仲睦まじい恋人として振舞っていれば、そちらが真になる。
セドリックからの提案はおそらくそのあたりだ。
呼び出しが近々なのは、対策をとられないように短期決戦を目論んでいるように思えた。
(私自身の婚約で、「王子に懸想などしておりません」と喧伝するのは、手段としては悪くないです。時間さえあれば、そういう相手をみつけて落ち着くつもりもありました。でも、セドリックは嫌です。それでは故郷で姉さまの選んだ縁談を受けた方が、同じ「嫌」でもまだ国益になる)
問題は、醜聞を引っ提げて帰国した場合、いかにイルルカンナ王家の力をもってしても、エルトゥールにまともな嫁ぎ先を用意するのはこれまで以上に難しくなるであろうこと。
足元を見られている。
(レベッカが協力を申し出てくれているけど、相手が卑劣な人間である以上、巻き込めない)
「ここまで相手の出方が予想できるのに、対策を思いつかないのは、朝ご飯が足りなかったかな」
悶々と悩んだエルトゥールが思わず呟いたところで、部屋のドアがノックされた。
* * *
午後の授業が始まり、生徒たちの姿が講義室へと消えた時間帯。
人気のない道を用心しながら進み、敷地のはずれにある植物園に向かう。セドリックが指定してきたのは、奥深くに位置するガラスドームの温室。
ドアを開けると、湿った空気に、濃密な緑の匂いが立ち込めていた。
森のように繁った木々の間の細道を抜けてエルトゥールが開けた場所まで姿を現すと、待ち構えていたセドリックが「おや」というように軽く目を見開く。
「『一人で来るように』という文面ではなかったね。同席させてもらう。どうも私にも関わる話のようだ」
にこやかな笑みとともに、エルトゥールの背後からそう言ったのは、ジャスティーン。
エルトゥールの私室を訪ねてきたのはレベッカとジャスティーンで、誤魔化すのは許さないと二人がかりで詰め寄られ、打ち明けることになってしまったのだ。
その結果「簡単だ。私が一緒に行く」とジャスティーンが押し切るように同行を決めた。
「話の推測はできている。エルトゥール姫とアーノルド殿下が個人的に親しいと噂を流し、公爵家が乗り出してきて、姫が立場を失うことを目論んでいるんだろう。だが、私からするとそれは『あり得ない』。公爵家はこの件、動かない」
エルトゥールに口を挟ませることなく、ジャスティーンが断言する。
セドリックの瞳には、一瞬怯んだような弱い光が浮かんだが、すぐに笑みを広げた。
「たとえジャスティーン嬢が公爵家のうるさ方を押さえられたとしても、噂は止められませんよ。しかも、根も葉もないわけではなく、真実だ。アーノルド殿下は王子の身分にありながら町場のカフェで労働に従事するふりをし、エルトゥール姫との密会を重ねている。二人が寮から抜け出ていく姿も、連れ立って帰ってくるところも、何人かの生徒に見られている。言い逃れができる状況じゃない」
「ちょっと待って」
エルトゥールが、そこで素早く話を遮った。
納得いかないとばかりに眉を寄せて、口を開く。
「アーノルド殿下は『働くふり』をしているわけじゃなくて、働いています。ものすごく。もちろん私も。シェラザードは密会場所ではなく、職場です。そこは間違わないで」
そこ? と言いながら、ジャスティーンが噴き出した。
「ジャスティーン様、今のセドリックの発言は殿下の仕事ぶりに対する侮辱です。自分は同じことできるのですか? です。彼には、絶対できません。世の中の王子様で、カフェであれほど働けるひとがどれほどいると思うんですか」
「カフェで働く王子様がどれだけいるかって話でもあるかも」
ジャスティーンがさらににこにこしながら言えば、エルトゥールもまた、ますます難しい顔になる。
「それはそうなんですよね。私は学費の為ですけど、殿下はなんの為に働いているんだろう」
「聞いたことないの?」
「ありません。個人的な話はほとんどしないんです。普段、仕事の話だけ。行きは『昨日のお客さん酔い過ぎだったよね』『今日は混むかな』で、帰りは『なんか最近ずいぶん鶏料理頼むひと増えたよね』『どこかで誰かが宣伝しているのかな』そういう感じです」
(だから、昨日みたいに「エルトゥール姫」と「アーノルド殿下」の話になることはほとんどなくて)
切々と語られた「別れ際は辛い」という発言や、甘いまなざしを不意打ちのように思い出しかけて、エルトゥールはドキドキと鳴り出した胸を手でおさえた。
「聞いた? セドリック。姫と殿下は、ただの同僚だ。そしてそれは私の知るところでもある。二人の間にはこれまでのところ、何もない。脅そうとしても無駄だよ」
「事実かどうかというのは、一度醜聞が広まった後には些細な問題です。二人がただならぬ仲であるという疑惑の目が向けられるようになれば、それだけで良い。そしてそれを打ち消すには、私と姫が婚約を発表をするのがもっとも効果的です。姫、真剣に考えて頂けないでしょうか。ああそうだ、立ち話もなんですから、どうぞテーブルへ。お茶をご用意しています」
あくまで余裕のある態度を崩さず、セドリックが奥のテーブルセットに招いてくる。
ジャスティーンより先に、エルトゥールが一歩踏み出した。
「信用ならない相手の用意したものを口にするほど、愚かだと思わないように。相手の弱みに付け込んで自分の有利になるように話を進めようとする人間には、どんな誠実さも認められません」
「さすが、エルトゥール姫は厳しい。ですが、妻にと望む相手に毒を盛るわけがありません。子を産めない体になっても困ります」
セドリックはそう言うと、制服のポケットからガラスの小瓶を取り出して目の高さまで持ち上げた。
「『惚れ薬』だそうです。事前に試してみましたが、男性には効果がないようです。女性にはよく効くんですが。飲んで頂けないのは残念です」
(なんでそんな手の内を明かすんだろう)
おかしい、とエルトゥールの中で嫌な予感が膨れ上がったそのとき。
足から力が抜けて、その強烈な脱力感に堪えきれずにその場に膝をついた。
立ち上がろうとしても、手足が痺れて眩暈がしている。
「姫っ」
どこかでアーノルドの声が聞こえた。