王子様カフェにようこそ!
第38話 未来の約束をその手に(前編)
その見目の麗しさ、咲き誇る大輪の花の如く。
イルルカンナにその人ありと名を轟かす、第一王女メリエムを王宮に迎え、歓迎の宴はかつてないほどの盛り上がりを見せていた。
「お姉さま、よく食べるね」
人だかりから離れたところでグラスを手にしていたエルトゥールに、ジャスティーンが声をかける。
すらりとした長身を黒の燕尾服に包み、髪はきっちりと一本に結んだ青年の姿。
目立たないように振舞っているが、その美貌は否応なく人目をひいていた。
エルトゥールは、ジャスティーンを見上げて微笑んだ。
「リンドグラードに着いてすぐに、この国では何が美味しいのか聞かれました。学校の食堂は何を食べても美味しいとおすすめしたら、学生でもないのに行けるわけないでしょうとものすごく怒られました。美味しいのに」
「メリエム様だったら、学生に混ざっても誰も何も言わない、大歓迎だ。制服だって絶対似合う」
しれっと言い切ったジャスティーンに、エルトゥールは苦笑いを浮かべてみせる。
「私の制服を珍しがって着ようとしていましたよ。胸が入らないって突き返されました」
「ああ……。そうだね。うん、メリエム様は何か迫力あると思っていたけど、そういうことか」
うん、うんと頷くジャスティーンを見ながら、エルトゥールは小さく噴き出しつつ続けた。
「それで、シェラザードをおすすめして、お忍びで一緒に行きました。忍んでも目立つんですけど。みんな私の姉さまということでサービスたくさんしてくれました。楽しそうでしたよ」
「その流れで、今日の宴の料理の一部を、シェラザードの料理人が担当することになったって聞いたよ。さっき見たらアルも普通に厨房にいた。国賓を迎えているのに、王子があれで大丈夫かな」
「私も手伝ってくるべきでしょうか」
「そういう意味じゃない。さすがに今日はやめなさい。綺麗なドレスが油跳ねまみれになる」
青ベースの生地に、赤い糸で複雑な刺繍の施されたイルルカンナの伝統的衣装に身を包んだエルトゥール。
その全身にすばやく視線をすべらせて、ジャスティーンは「あのアホ王子はさっさと仕事上がってこい。というかあいつの今日の仕事は明らかにこっちだろ」と毒づいた。
メリエムが宴の主役として、大食しつつも八面六臂の活躍ぶりで、次々と挨拶に訪れる相手との会話をこなしている。
末の姫であるエルトゥールは、メリエムのおまけのようなもの。メリエムの取りこぼしの対応をする程度で、のんびりとしたものだった。
「殿下とは、この場では会話を交わさないようにしようという取り決めがあります。たとえ顔を合わせることがあっても……」
「『学友』として顔見知りなんだから、無視する方がおかしいよ。節度ある会話なら、誰も目くじら立てないさ。現にいま姫は俺と話しているけど、それほど周りから気にされていない。メリエム様効果すごい」
そっけない調子ながら、どこか優しい。
エルトゥールはジャスティーンの端整な横顔に目を向け、ごく小さな声で囁いた。
「ジャスティーンは卒業後、どこかへ行ってしまうのですか」
ちらりと見下ろされる。紺碧の瞳を細め、優しい光を湛えて。
「そういう案もあったけどね。少し方針転換した。俺をぜひとも引き取りたいという組織があるから、身を任せることにしたよ。いざという時の為に、学生時代から色々な仕事をしてきたのが役に立ったかな。シェラザードでの仕事もその一環で。料理に関しては、一緒に始めたアルの方がはまってしまったみたいだけど」
王子とその婚約者が、市井のカフェで働いていた理由。
いつか、遠くない未来に姿を隠し、一人で生きていくと決めていた婚約者の試行錯誤を放っておけるアーノルドではなく。
自分も臣籍降下でどうせ王族ではなくなるのだから、と。
(秘密を共有するがゆえに、同じ無茶を)
二人から、決定的なことをはっきり聞いたわけではない。一番大きな秘密は、まだエルトゥールに対しては伏せたまま。そこは、当初の予定通り貫くようだ。
ただし、聞けばこうしてヒントをくれる。いくつもいくつも。
そしてその度に、暗示される。アーノルドとジャスティーンの関係はいつか明確に変わることを。
それは、エルトゥールも無関係ではないとばかりに。
「ジャスティーンを引き取りたいというのは……」
「ティム商会という。姫の祖国とも随分縁が深いらしいね。そうだ、メリエム様にご挨拶をしないと。さて、あの人だかりをかき分けて御目通りするのは、至難の業。どうしたものか」
エルトゥールの質問にはぐらすこともなく答えて、ジャスティーンは顎に拳をあてる。
視線の先はメリエムを囲む集団。
そこをまっすぐ見ているようで、すっと視線が逸れて行く。その動きを追いかけて、エルトゥールもようやくその場に姿を見せた人物に気付いた。
さすがに着替えてきている。
シャツに青いコートのような裾の長い上着を羽織っている。マントをつけているかのようにも見える、古風な装い。おそらく、王族の伝統的な意匠が凝らされた服装なのだろう。
アーノルドもまた誰かを探すように視線を滑らせていたが、エルトゥールの方へ顔を向けて動きを止めた。
たしかに、目が合った感覚があった。
(話すわけには、いかないね。今日は、まだ……)
毎日顔を合わせているのに、目が合うだけで胸が締め付けられるように甘く痛む。
いつもたくさん話しているのに、大切な、決定的な話はできない。
卒業までは。二人でその一線を、守り続ける。
「そういえば、この王宮内の美術室を見せて頂くお約束でしたわね。陛下、早速ですからご案内くださいな。善は急げです!」
遠くで、メリエムが明るい声を上げていた。
(姉さま、またとんでもないことを言い出して。陛下を困らせて)
宴が開かれている広間から、美術室は少々遠いはず。
王宮に着いてから、もてなされている間に口頭の説明だけは聞いていたエルトゥールであったが、姉さま今それはさすがに、と気が引けた。
「お、メリエム様大移動だ。ついて行こう」
ジャスティーンは即決して、本当にメリエム中心に動き始めた集団に近づき、さっと紛れ込む。
その素早さにエルトゥールが呆気に取られているうちに、広間からどんどん人が減っていく。
視界の端で、アーノルドがバルコニーに出て行くのが見えた。肩越しに一瞬振り返って、小さく頷いていた。
(『風にあたるために外に出たら、偶然出会った。学友で顔見知りだから、その場で会話となった』そういう……)
あり得る言い訳を頭の中に並べて、エルトゥールもまたバルコニーへ向かうべく足を踏み出した。
イルルカンナにその人ありと名を轟かす、第一王女メリエムを王宮に迎え、歓迎の宴はかつてないほどの盛り上がりを見せていた。
「お姉さま、よく食べるね」
人だかりから離れたところでグラスを手にしていたエルトゥールに、ジャスティーンが声をかける。
すらりとした長身を黒の燕尾服に包み、髪はきっちりと一本に結んだ青年の姿。
目立たないように振舞っているが、その美貌は否応なく人目をひいていた。
エルトゥールは、ジャスティーンを見上げて微笑んだ。
「リンドグラードに着いてすぐに、この国では何が美味しいのか聞かれました。学校の食堂は何を食べても美味しいとおすすめしたら、学生でもないのに行けるわけないでしょうとものすごく怒られました。美味しいのに」
「メリエム様だったら、学生に混ざっても誰も何も言わない、大歓迎だ。制服だって絶対似合う」
しれっと言い切ったジャスティーンに、エルトゥールは苦笑いを浮かべてみせる。
「私の制服を珍しがって着ようとしていましたよ。胸が入らないって突き返されました」
「ああ……。そうだね。うん、メリエム様は何か迫力あると思っていたけど、そういうことか」
うん、うんと頷くジャスティーンを見ながら、エルトゥールは小さく噴き出しつつ続けた。
「それで、シェラザードをおすすめして、お忍びで一緒に行きました。忍んでも目立つんですけど。みんな私の姉さまということでサービスたくさんしてくれました。楽しそうでしたよ」
「その流れで、今日の宴の料理の一部を、シェラザードの料理人が担当することになったって聞いたよ。さっき見たらアルも普通に厨房にいた。国賓を迎えているのに、王子があれで大丈夫かな」
「私も手伝ってくるべきでしょうか」
「そういう意味じゃない。さすがに今日はやめなさい。綺麗なドレスが油跳ねまみれになる」
青ベースの生地に、赤い糸で複雑な刺繍の施されたイルルカンナの伝統的衣装に身を包んだエルトゥール。
その全身にすばやく視線をすべらせて、ジャスティーンは「あのアホ王子はさっさと仕事上がってこい。というかあいつの今日の仕事は明らかにこっちだろ」と毒づいた。
メリエムが宴の主役として、大食しつつも八面六臂の活躍ぶりで、次々と挨拶に訪れる相手との会話をこなしている。
末の姫であるエルトゥールは、メリエムのおまけのようなもの。メリエムの取りこぼしの対応をする程度で、のんびりとしたものだった。
「殿下とは、この場では会話を交わさないようにしようという取り決めがあります。たとえ顔を合わせることがあっても……」
「『学友』として顔見知りなんだから、無視する方がおかしいよ。節度ある会話なら、誰も目くじら立てないさ。現にいま姫は俺と話しているけど、それほど周りから気にされていない。メリエム様効果すごい」
そっけない調子ながら、どこか優しい。
エルトゥールはジャスティーンの端整な横顔に目を向け、ごく小さな声で囁いた。
「ジャスティーンは卒業後、どこかへ行ってしまうのですか」
ちらりと見下ろされる。紺碧の瞳を細め、優しい光を湛えて。
「そういう案もあったけどね。少し方針転換した。俺をぜひとも引き取りたいという組織があるから、身を任せることにしたよ。いざという時の為に、学生時代から色々な仕事をしてきたのが役に立ったかな。シェラザードでの仕事もその一環で。料理に関しては、一緒に始めたアルの方がはまってしまったみたいだけど」
王子とその婚約者が、市井のカフェで働いていた理由。
いつか、遠くない未来に姿を隠し、一人で生きていくと決めていた婚約者の試行錯誤を放っておけるアーノルドではなく。
自分も臣籍降下でどうせ王族ではなくなるのだから、と。
(秘密を共有するがゆえに、同じ無茶を)
二人から、決定的なことをはっきり聞いたわけではない。一番大きな秘密は、まだエルトゥールに対しては伏せたまま。そこは、当初の予定通り貫くようだ。
ただし、聞けばこうしてヒントをくれる。いくつもいくつも。
そしてその度に、暗示される。アーノルドとジャスティーンの関係はいつか明確に変わることを。
それは、エルトゥールも無関係ではないとばかりに。
「ジャスティーンを引き取りたいというのは……」
「ティム商会という。姫の祖国とも随分縁が深いらしいね。そうだ、メリエム様にご挨拶をしないと。さて、あの人だかりをかき分けて御目通りするのは、至難の業。どうしたものか」
エルトゥールの質問にはぐらすこともなく答えて、ジャスティーンは顎に拳をあてる。
視線の先はメリエムを囲む集団。
そこをまっすぐ見ているようで、すっと視線が逸れて行く。その動きを追いかけて、エルトゥールもようやくその場に姿を見せた人物に気付いた。
さすがに着替えてきている。
シャツに青いコートのような裾の長い上着を羽織っている。マントをつけているかのようにも見える、古風な装い。おそらく、王族の伝統的な意匠が凝らされた服装なのだろう。
アーノルドもまた誰かを探すように視線を滑らせていたが、エルトゥールの方へ顔を向けて動きを止めた。
たしかに、目が合った感覚があった。
(話すわけには、いかないね。今日は、まだ……)
毎日顔を合わせているのに、目が合うだけで胸が締め付けられるように甘く痛む。
いつもたくさん話しているのに、大切な、決定的な話はできない。
卒業までは。二人でその一線を、守り続ける。
「そういえば、この王宮内の美術室を見せて頂くお約束でしたわね。陛下、早速ですからご案内くださいな。善は急げです!」
遠くで、メリエムが明るい声を上げていた。
(姉さま、またとんでもないことを言い出して。陛下を困らせて)
宴が開かれている広間から、美術室は少々遠いはず。
王宮に着いてから、もてなされている間に口頭の説明だけは聞いていたエルトゥールであったが、姉さま今それはさすがに、と気が引けた。
「お、メリエム様大移動だ。ついて行こう」
ジャスティーンは即決して、本当にメリエム中心に動き始めた集団に近づき、さっと紛れ込む。
その素早さにエルトゥールが呆気に取られているうちに、広間からどんどん人が減っていく。
視界の端で、アーノルドがバルコニーに出て行くのが見えた。肩越しに一瞬振り返って、小さく頷いていた。
(『風にあたるために外に出たら、偶然出会った。学友で顔見知りだから、その場で会話となった』そういう……)
あり得る言い訳を頭の中に並べて、エルトゥールもまたバルコニーへ向かうべく足を踏み出した。