聖獣さまの番認定が重い。~不遇の令嬢と最強の魔法使い、だいたいもふもふ~

第12話 夢の中の

“結婚しよう、リーズロッテ。なにせもう俺とリズは、一緒に寝てしまった「深い間柄」だからね……”

 顔の無い男に、熱烈に迫られる夢を見た。
 わずかに、高い鼻の先と、異様に整った形の唇が見える。しかし目元は、紫がかった黒の煙に覆われていた。どんなに風が吹こうとも煙がたなびくばかりで、顔が判然としない。
 暗い色のローブの袖から骨ばった手首がのぞき、指の長い手が伸びてきて、リーズロッテの小さな手を絡め取る。
 唇だけでにっこりと微笑まれた。

“もう君は俺のものだ。俺だけの聖女。気が遠くなるような年月、待ち続けていた”

 繋がれた手が、捧げるように軽く持ち上げられ、つま先が浮いた。
 手も体も、相変わらず子どものままだと気づいて、リーズロッテは呪縛から解かれたように叫ぶ。

「ね……寝たと言っても、ベッドを分け合っただけですよね!?」

 自分の声で、目が覚めた。

 がばっと上掛けを掴んで跳ね起きる。
 窓からは明るい朝の光が差していて、小鳥のさえずりが聞こえた。
 ベッドの上では、大きな猫が耳まで裂けそうなあくびを……。

「いない……」

 昨晩、ジェラさんが寝ていた辺りには何もいなかった。
 いま一度窓に目を向ける。いやに鳥の声が聞こえると思ったら、カーテンも窓も開いていた。大きな猫が出ていった後のようだった。

(何よ……。結局猫は猫よね!? 気まぐれで、わがままで、好き勝手。突然押しかけてきて、断りもなく消えてしまって……)

 ベッドから起き上がり、柔らかい布製のルームシューズに足をすべりこませながら、ふう、と大きく吐息。肩ががっくりと下がった。なかなか立ち上がれない。
 おはようとさよならくらい、言っていけばいいのに、と胸の中で恨み言を呟いてしまった。

 * * *

 数日、シェラザードには行けなかった。
 ジャスティーンがひどく忙しげで「夜に迎えに行けない。ひとりでは危ないから」と心配そうに止められてしまい、それを押してまで動くに動けず。
 ジェラさんから、部屋に来ることもなく。

(食事を一緒にしていないから、魔力が弱まって出歩けなくなっちゃったかな?)

 リーズロッテは、気がつくとジェラさんのことを考えていて、そのたびに慌てて(大丈夫、大丈夫)と自分に言い聞かせる。
 それでも、会えない時間が長くなると、猫を見捨ててしまったような罪悪感が芽生えて苦しかった。
 そんなある日、望んでもいない相手が面会に訪れた。

「遠目でも、すぐにわかりましたよ、リズお嬢さん。デヴィッド・ヘイレンです。ご家族にはすでに挨拶は済ませているんですが、リズお嬢さんにはお会いできないままだったので」

 学生や教職員が昼食で利用するカフェテリアの入り口にて、突然に声をかけられた。
 明るい茶色の髪に、同色の瞳の青年。見るからにお金のかかっていそうなジャケットに、白いシャツを身に着けていて、生徒ではなくとも若い職員に見える。
 大ホールを擁する石造りの建物を背にして、入り口の階段を素早く下りて距離を詰めてきた。
 逃げる間もなく、目の前に立たれてしまい、愛想よく笑いかけられる。

「何か御用ですか」
「挨拶です。これから、私達は家族になるわけですから」
「ご丁寧にありがとうございます。ですが、わざわざ来ていただかなくても。ここ、学校です」
「卒業生なんです。構内の立ち入り許可証もありますよ。いやー、久しぶりに来れて良かったです。私の青春の一ページですからね。懐かしいなぁ」

 周りをたくさんの学生たちが通り過ぎて行く。
 リーズロッテは判断に迷い、態度を決めかねていた。
 個人的には非常に迷惑なのだが、それを顔に出すのはさすがに失礼かと我慢している。とはいえ、不意打ちで待ち伏せられていて、ぶしつけに顔を見つめられて「家族」を強調されても、親近感など持ちようがない。

「あなたとわたくしは、まだ家族ではありません。他人の男女です。しかもあなたには婚約者がいます。たとえわたくしがその姉だとしても、気軽に二人で顔を合わせるのは良くないと、わたくしは考えますが」

 デヴィッドは、おかしそうに噴き出した。見るからに感じの悪い、胃の腑がざらつくような仕草だった。
 リーズロッテの厳しい視線には気づかぬのか、デヴィッドは両目を細めてリーズロッテを見下ろしてきた。

「ごもっともです、リズお嬢さん。その愛らしい容姿からは想像がつかないほどに、貞淑をわきまえておいでだ。たしかにあなたは、十五歳の貴族のご令嬢ですね。実に好ましい」

 いま、何か。
 妙なことを言った。
 リーズロッテは双眸を見開いて、デヴィッドを仰ぎ見る。
 ちりっと神経が刺激される、嫌な感覚が背を走り抜けた。

「リズお嬢さんが結婚できる年齢までは、あと三年ですか。見た目が子どもとは聞いておりましたが、どうしてひとの噂はあてにならぬもの。それだけお美しく成長されていれば、そこで止まってもなんの不足があるでしょう。『病気』などと馬鹿なことを言う者もいるようですが、実際のあなたを目にしたら浅慮を恥じ入るでしょうね。高い魔力による『永遠の若さ』とは、こうも素晴らしいものなのかと……」

 熱っぽく語っている内容のすべてが、リーズロッテにとっては気持ち悪い。

(何を言っているの? 子どもは子どもだわ。月のものもない。跡継ぎを生むこともないとわかりきっているようなわたくしに、結婚の話を持ち出すなんて、どういうつもり。だいたい、あなたはクララの婚約者だというのに!)

 デヴィッドの視線が、舐めるように髪や肌を伝っていくのを感じる。
 怖気が止まらない。
 足が震えている。このままでは、怯えているのがばれてしまうと焦るリーズロッテに対し、デヴィッドは余裕そのものの口ぶりで言った。

「クララさんとの婚約は、まだ仮の段階です。発表もしておりません。今ならまだ、大きな騒ぎにはなりません。年齢差でいっても、本来なら私の婚約者にふさわしいのは」

 明るい茶色の瞳に、暗い情欲の炎が浮かんでいる。それはおそらく「永遠の若さ」に向けられているのだろう、とリーズロッテは思う。他に価値のあるものなど自分にはない。

(たとえわたくしの成長に魔法が関係しているとしても、使いこなせていないのよ。あなたに「永遠」を与えることなんてできないわ。望まれてもどうにもできない……!)

 一歩後退すると、デヴィッドが二歩詰めてくる。
 息苦しくなって、息を止めたままさらに後ろに下がろうとしたそのとき。

 すうっと、横を何かが通り抜けた。
 背の高い人影。暗い色のローブを羽織り、フードまでかぶっているので、後ろ姿からは男か女かすらわからない。

 だけど、初めて会った気がしない。
 絶対にどこかで会っている。

(夢の、中で、顔の、ない)

 記憶を辿ったリーズロッテの前にその人が立つ。
 全身は半透明に透けていて、足元の方はほとんど透明で消失しており、実体を感じさせない姿であった。

 そのひとは、リーズロッテを振り返ることなくデヴィッドに向き合い、拳を振り上げた。

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