聖獣さまの番認定が重い。~不遇の令嬢と最強の魔法使い、だいたいもふもふ~
第8話 聖獣のいるカフェ
(大丈夫、大丈夫、このくらいひとりでどうにかできる。見た目はともかく、わたくし、中身は十五歳)
学校が始まって、数日が経過したある日の夕方。
リーズロッテは、自分に言い聞かせて、小走りに石畳を踏みしめていた。頭の中に描いた地図の通り、目指すは「カフェ・シェラザード」。
それほど混み合っている道ではないのに、前を見て歩いていても、何度かひとにぶつかった。
避けようと思っている方向に相手も避けてしまったり、後ろから走ってきた子どもの振り回した腕が思いっきり当たったり。
そのたびに「ごめんね!」と声をかけられるものの、なんて返せばよいかわからず、ひたすら無言。俯いて会釈もそこそこに、逃げるようにその場を離れる。その背に視線が向けられている気配を感じると、いても立ってもいられない。
内心圧し潰されそうなほど怖くて、激しく胸が高鳴っていた。
(これが、外の空気)
海からの、潮の匂いをまとった風が涼しく街路を吹き抜け、まばらに植えられた木の梢を揺らす。
様々な音や話し声。四方にひとがいて、囀るように話し合い、笑い合っている。
今まで知らなかった街のざわめきに包み込まれて、楽しいと思うより、とにかく緊張した。
無事に目的地にたどり着いたときには、こめかみに汗が滲んでいて、うっすら目に涙まで浮かんできていた。
カフェ・シェラザード。
白っぽい石で造られた二階建ての建物。周辺に鉢植えがたくさん置かれているせいか、緑の印象が強い。街の中に、そこだけ突然森が現れたようだった。
「来れた……」
開け放たれたドアに次々とひとが吸い込まれていく。
内部は暗くなっていて、通りからはうかがい知れないが、賑やかな物音が聞こえて来る。
リーズロッテは、呼吸を整えて小さな足を踏み出し、入口をくぐった。
途端に、ふわっとした熱気とともに、美味しそうな匂いが吹き付けてきた。外から見たよりも広く開けた空間で、音が溢れている。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「四名」
声が聞こえて、顔を上げると店員らしき男性が、客の対応をしていた。
リーズロッテは、さっと少し離れた観葉植物の影に隠れる。そこから何組かやり過ごしつつ、店員と客のやりとりを確認し、思い切って近づいてみた。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「ひとり……」
「五人」
後ろから現れた男性グループの、腕に入れ墨をしたいかつい男がさっさと答えて、店員に案内されて行ってしまった。
(子どもだから見えなかった? それとも子どもは相手にされない……?)
もう一度試みてみたものの、リーズロッテを目にした店員からは、なんと「お嬢さん、誰かのお連れさん? 順番に案内しているので、親御さんが受付するまで待ってね」と、愛想よくあしらわれてしまった。またもや後から来たグループに追い越されてしまう。
このままでは放置されてしまうと気付き、リーズロッテは強硬手段に出てみた。
人待ちの行列をすり抜けて、ひとりでフロアの奥へと踏み出していく。
(システムはよくわからないけど、席に座ってしまえば料理が出て来るのよね?)
周囲にたくさんあるテーブルでは、いくつかのグループが話し込んだり、笑い声を響かせている。そこに、次々と食べ物や飲み物が運ばれてきているようだった。
自分も、どこかの席で待っていれば食べ物が自動的に配られるに違いない。
あとは、空いている席を見つけなければ。
「どうしたの? ひとり?」
きょろきょろとしていると、声をかけられた。
はっと息をのんでリーズロッテは相手を見上げる。
深くかぶったキャップから、少しだけ亜麻色の髪がはみ出した、細身の店員。リーズロッテをのぞきこんでいる瞳は空色で、親しみを感じるやわらかな光を帯びていた。
顔立ちは、男と言うには甘く優し気だが、女性と言うには凛々しく、印象としては「少年」に近い。
ようやく気付いてもらえて安堵するとともに、リーズロッテはここで気を抜くわけには、と高飛車な調子で言い放った。
「ひとりよ? あなた店員よね。席に案内しなさいよ。入口の男、いつまでも私に気付かないで、失礼な奴だったわ。まさかひとりの客はだめなんてことはないでしょ?」
心臓がばくばくしている。
(子ども扱いされないように高圧的に言ってみたけど、失礼だったかしら。怒る?)
「足元気を付けてください。店内少し暗いですから」
ほんの少しだけ驚いた顔はされたが、すぐに穏やかな口調で言われた。
そのまま、店の奥まで誘導してくれた。
テーブルではなく、カウンター席の端。大きな観葉植物が目隠しになっていて、他の客からは離れているのがありがたい。
そのカウンターの上に、猫がいた。
(猫に見えるし、猫だと思う)
置物のように鎮座して目を閉ざしているが、寝顔だけでもかなりの美形猫であるのがわかる。
黒とも紺色とも言い難い深みのある毛は艶やかで、柔らかそうだ。
サイズ感は、猫にしては大きい。リーズロッテでは抱え上げられないかもしれない、と危ぶむほど。
「ここにどうぞ。そこの猫さんは聖獣ジェラさんです。怒らせなければ何もしないそうなので……、怒らせないでくださいね」
案内してくれた店員には曖昧な説明をされる。
(聖獣?)
「聖獣がなんでカフェのカウンターで寝ているの?」
リーズロッテは思わず聞き返してしまった。
店員は薄く微笑んだものの、明確な答えは返してくれない。
(冗談? それとも何かはっきり言えない事情でもある?)
悶々としながら、椅子に向き合う。
座面が高い。
どうやって座ろうかと悩む程度に高く、リーズロッテは手を伸ばして触れてみた。やはり高くて、普通には座れない。
「失礼」
気付いた店員に脇を抱えられてさっと椅子に座らされてしまう。きゃっと声がもれたが、それ以上の抗議は飲み込んだ。
そうしてもらわねば話が先に進まなかったのは、リーズロッテとてよくわかっている。
「オーダーはどうしましょうか。子どもの食べやすいもの、何かあったかな……」
「べつに子ども向けじゃなくても構わなくてよ。わたくしはべつに」
(オーダー!? そっか、料理は自動的に運ばれてくるのではなくて、自分で選ぶものなのね……!)
選べるだろうかと不安になりながらも、おどおどしていると思われないように強気を装う。店員はそれ以上つっこんでくることなく、思案顔で言った。
「好き嫌いはあります? どうしても食べられないものとか。あと、このお店の料理って、数人での取り分けを想定しているから皿ごとの量が多いんです。そんなにたくさんはいらないですよね。どうしようかな」
声に耳を傾けている間に、寝ていた猫が目を開けた。
深い、緑色。
双眸に宝石が埋め込まれているかのような、圧倒的に強い輝き。
一瞬、自分が店員と会話していたのも忘れて、リーズロッテはその瞳を見つめた。
吸い込まれる。
周囲から、音が消えた。
真っ暗な空間で、自分と猫だけで向き合っている。そんな光景が胸の中に広がった。
(聖獣……?)
「飲み物はミント水でいいわ。料理は適当にお願い」
思い出して、店員に告げる。
この生き物に、他の人間は近づけない方が良いのではないか? という直感があった。
禍々しさはないが、ちりちりと神経を細かく刺激してくる空気が落ち着かない。
「にゃあ」
リーズロッテの視線の先で、猫は一声鳴いた。
猫そのものの鳴き声であったが、リーズロッテの耳はもっと違う声を拾ってしまっていた。
“よく来たな”
耳朶に響き、鼓膜を震わせる麗しの低音。男性のもの。
それは、目の前の猫から聞こえてきた。
学校が始まって、数日が経過したある日の夕方。
リーズロッテは、自分に言い聞かせて、小走りに石畳を踏みしめていた。頭の中に描いた地図の通り、目指すは「カフェ・シェラザード」。
それほど混み合っている道ではないのに、前を見て歩いていても、何度かひとにぶつかった。
避けようと思っている方向に相手も避けてしまったり、後ろから走ってきた子どもの振り回した腕が思いっきり当たったり。
そのたびに「ごめんね!」と声をかけられるものの、なんて返せばよいかわからず、ひたすら無言。俯いて会釈もそこそこに、逃げるようにその場を離れる。その背に視線が向けられている気配を感じると、いても立ってもいられない。
内心圧し潰されそうなほど怖くて、激しく胸が高鳴っていた。
(これが、外の空気)
海からの、潮の匂いをまとった風が涼しく街路を吹き抜け、まばらに植えられた木の梢を揺らす。
様々な音や話し声。四方にひとがいて、囀るように話し合い、笑い合っている。
今まで知らなかった街のざわめきに包み込まれて、楽しいと思うより、とにかく緊張した。
無事に目的地にたどり着いたときには、こめかみに汗が滲んでいて、うっすら目に涙まで浮かんできていた。
カフェ・シェラザード。
白っぽい石で造られた二階建ての建物。周辺に鉢植えがたくさん置かれているせいか、緑の印象が強い。街の中に、そこだけ突然森が現れたようだった。
「来れた……」
開け放たれたドアに次々とひとが吸い込まれていく。
内部は暗くなっていて、通りからはうかがい知れないが、賑やかな物音が聞こえて来る。
リーズロッテは、呼吸を整えて小さな足を踏み出し、入口をくぐった。
途端に、ふわっとした熱気とともに、美味しそうな匂いが吹き付けてきた。外から見たよりも広く開けた空間で、音が溢れている。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「四名」
声が聞こえて、顔を上げると店員らしき男性が、客の対応をしていた。
リーズロッテは、さっと少し離れた観葉植物の影に隠れる。そこから何組かやり過ごしつつ、店員と客のやりとりを確認し、思い切って近づいてみた。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「ひとり……」
「五人」
後ろから現れた男性グループの、腕に入れ墨をしたいかつい男がさっさと答えて、店員に案内されて行ってしまった。
(子どもだから見えなかった? それとも子どもは相手にされない……?)
もう一度試みてみたものの、リーズロッテを目にした店員からは、なんと「お嬢さん、誰かのお連れさん? 順番に案内しているので、親御さんが受付するまで待ってね」と、愛想よくあしらわれてしまった。またもや後から来たグループに追い越されてしまう。
このままでは放置されてしまうと気付き、リーズロッテは強硬手段に出てみた。
人待ちの行列をすり抜けて、ひとりでフロアの奥へと踏み出していく。
(システムはよくわからないけど、席に座ってしまえば料理が出て来るのよね?)
周囲にたくさんあるテーブルでは、いくつかのグループが話し込んだり、笑い声を響かせている。そこに、次々と食べ物や飲み物が運ばれてきているようだった。
自分も、どこかの席で待っていれば食べ物が自動的に配られるに違いない。
あとは、空いている席を見つけなければ。
「どうしたの? ひとり?」
きょろきょろとしていると、声をかけられた。
はっと息をのんでリーズロッテは相手を見上げる。
深くかぶったキャップから、少しだけ亜麻色の髪がはみ出した、細身の店員。リーズロッテをのぞきこんでいる瞳は空色で、親しみを感じるやわらかな光を帯びていた。
顔立ちは、男と言うには甘く優し気だが、女性と言うには凛々しく、印象としては「少年」に近い。
ようやく気付いてもらえて安堵するとともに、リーズロッテはここで気を抜くわけには、と高飛車な調子で言い放った。
「ひとりよ? あなた店員よね。席に案内しなさいよ。入口の男、いつまでも私に気付かないで、失礼な奴だったわ。まさかひとりの客はだめなんてことはないでしょ?」
心臓がばくばくしている。
(子ども扱いされないように高圧的に言ってみたけど、失礼だったかしら。怒る?)
「足元気を付けてください。店内少し暗いですから」
ほんの少しだけ驚いた顔はされたが、すぐに穏やかな口調で言われた。
そのまま、店の奥まで誘導してくれた。
テーブルではなく、カウンター席の端。大きな観葉植物が目隠しになっていて、他の客からは離れているのがありがたい。
そのカウンターの上に、猫がいた。
(猫に見えるし、猫だと思う)
置物のように鎮座して目を閉ざしているが、寝顔だけでもかなりの美形猫であるのがわかる。
黒とも紺色とも言い難い深みのある毛は艶やかで、柔らかそうだ。
サイズ感は、猫にしては大きい。リーズロッテでは抱え上げられないかもしれない、と危ぶむほど。
「ここにどうぞ。そこの猫さんは聖獣ジェラさんです。怒らせなければ何もしないそうなので……、怒らせないでくださいね」
案内してくれた店員には曖昧な説明をされる。
(聖獣?)
「聖獣がなんでカフェのカウンターで寝ているの?」
リーズロッテは思わず聞き返してしまった。
店員は薄く微笑んだものの、明確な答えは返してくれない。
(冗談? それとも何かはっきり言えない事情でもある?)
悶々としながら、椅子に向き合う。
座面が高い。
どうやって座ろうかと悩む程度に高く、リーズロッテは手を伸ばして触れてみた。やはり高くて、普通には座れない。
「失礼」
気付いた店員に脇を抱えられてさっと椅子に座らされてしまう。きゃっと声がもれたが、それ以上の抗議は飲み込んだ。
そうしてもらわねば話が先に進まなかったのは、リーズロッテとてよくわかっている。
「オーダーはどうしましょうか。子どもの食べやすいもの、何かあったかな……」
「べつに子ども向けじゃなくても構わなくてよ。わたくしはべつに」
(オーダー!? そっか、料理は自動的に運ばれてくるのではなくて、自分で選ぶものなのね……!)
選べるだろうかと不安になりながらも、おどおどしていると思われないように強気を装う。店員はそれ以上つっこんでくることなく、思案顔で言った。
「好き嫌いはあります? どうしても食べられないものとか。あと、このお店の料理って、数人での取り分けを想定しているから皿ごとの量が多いんです。そんなにたくさんはいらないですよね。どうしようかな」
声に耳を傾けている間に、寝ていた猫が目を開けた。
深い、緑色。
双眸に宝石が埋め込まれているかのような、圧倒的に強い輝き。
一瞬、自分が店員と会話していたのも忘れて、リーズロッテはその瞳を見つめた。
吸い込まれる。
周囲から、音が消えた。
真っ暗な空間で、自分と猫だけで向き合っている。そんな光景が胸の中に広がった。
(聖獣……?)
「飲み物はミント水でいいわ。料理は適当にお願い」
思い出して、店員に告げる。
この生き物に、他の人間は近づけない方が良いのではないか? という直感があった。
禍々しさはないが、ちりちりと神経を細かく刺激してくる空気が落ち着かない。
「にゃあ」
リーズロッテの視線の先で、猫は一声鳴いた。
猫そのものの鳴き声であったが、リーズロッテの耳はもっと違う声を拾ってしまっていた。
“よく来たな”
耳朶に響き、鼓膜を震わせる麗しの低音。男性のもの。
それは、目の前の猫から聞こえてきた。