聖獣さまの番認定が重い。~不遇の令嬢と最強の魔法使い、だいたいもふもふ~

第9話 封印の鍵

 物語の中で、カエルは言うのです。

「王女様と一緒に食事をして、王女様のベッドで一緒に寝たいのです!」

 それは王女様には、到底受け入れられる要求ではありませんでした。何しろ相手はカエルなのです。
 いっそのこと、つまみ上げて外の沼に投げ捨ててこようかしら、とまで思ってしまいました。

       ~童話「カエルの王子様」より抜粋~

 * * * * * * *

“うまいな! 前からうまそうだとは思っていたんだ。そっちの鶏肉も食べてみたい”

 にゃ、と前足でリーズロッテの手元に置かれた皿を示して、ジェラさんが身を乗り出した。
 リーズロッテの耳には「にゃ」ともうひとつ、人間の男性のような声が二重に聞こえている状態である。
 それが「魔力」絡みだというのは、第一声から感覚的にわかっていた。

(体の内側で、わたくしの「魔力」が反応している。この声は、魔力のないひとには聞こえないんじゃないかしら。それこそ「にゃあ」としか)

 カウンターの上に並んだ皿に目を落として、ジェラさんの示した皿の鶏肉をフォークで突き刺してから、リーズロッテはジェラさんに目を向けた。
 薄暗い照明の下、鎮座している姿は大きめの猫に見える。
 猫はふつう、魔力を使って話しかけてはこない。
 つまりこの猫は?

「食べたことなかったの? ずっとここに住んでいるのよね?」

“住んでるっていうか、祀られている? 聖獣だし”

 リーズロッテの質問に対し、深緑の瞳をきらりと輝かせて、ジェラさんは妙に得意げに言い切った。
 猫ひげまで、ぴんっとまっすぐになる。

(聖獣?)

「でも……、そこから動けないっていうのは、祀られているというより、もっとこう、『封印されている』に近いものを感じる……。なぜカフェのカウンター上なのかは、わからないけど」
「にゃ?」

 なんの話だ? と言わんばかりに首を傾げられてしまった。猫語で。人間語がなかった。

(いま絶対、何かごまかした。聞かれたくない話題だったみたい……)

 すらすらと要求を口にするくせに、いざリーズロッテから説明を求めると、突然に猫化するのだ。猫化というか、猫なのだが。
 聞き出せたのは「ずっとこの場所から動けなかった」ということで、自分の声が聞こえる相手がここまで来るのを、長らく待っていたらしい。

「この鶏肉、レモンクリームよ? 猫は柑橘系は苦手じゃなかったかしら」

“猫じゃねーよ。聖獣だよ。ん。うまい”

 リーズロッテの差し出したフォークの先にかぶりついて、咀嚼して、ご満悦の様子で喋る。
 ジェラさんはカウンターに置かれた皿に口を近づけての「犬食い(※猫食い)」をするのは絶対イヤだとつっぱねているので、リーズロッテがフォークを口元まで運んで食べさせてあげているのだ。
 近くで見ても、素晴らしい毛並みの猫。思わず撫でたくなるのを堪える。

(猫……? 聖獣……聖獣とは?)

“リズに飯食わせてもらうと、生き返る。魔力がすげー回復していく。あとは一緒に寝てもらったら完璧だな”

 ミント水の入ったコップに口をつけていたリーズロッテは、危うくふきだしかけた。仮にもリーズロッテは「伯爵令嬢」であり、そんな不調法あってはならない。猫(※聖獣)以外誰も見ていないとはいえ、あくまでもつんと気高くしていなければ。
 リーズロッテは咳払いで喉を整え、尋ねた。

「一緒に寝るって、同衾するということ? どうして? それで何がどうして回復するの?」

“リズ。童話の「カエルの王子様」って知らない? カエルが王女様と一緒に食事をして、一緒に寝たがる話。あの話のラストは感動的だね。王女の愛で人間に戻れるんだ”

 少し考えてみた。
 その童話はたしかに有名で、リーズロッテも知っていたが、少しばかりジェラさんとは見解が異なる。そんな甘い話ではなかったように、記憶している。

「あの童話、カエルが人間に戻ったのは、王女の『愛』ではなく、『憤怒』もしくは『殺意』よね。何度読み返しても、王女様にはカエルを好きになった形跡がないのよ。それなのに、どうして王女様は結婚してしまったのかしら」

“素直じゃないだけで、実は好きだったんじゃないか”

「ものすごくポジティヴなことを言っているけど、壁に叩きつけて殺してしまったら、その先の関係はもうないわよね? たまたま呪いが解けたけど、お姫様としては絶対予想外の斜め過ぎる展開だったと思う。全力の殺意を向けたカエルが、死なないどころか、人間の姿になるなんて。わたくしだったら、その時点で自分の死を覚悟する」

 本気で殺そうとした相手が、ダメージもなくけろっとした状態で「結婚しよう」と言ってくるなんて、恐ろしすぎる。確実に裏があるとしか思えない。
 もしかして、王女は復讐を恐れて結婚を承諾したのだろうか。

“俺とリズの魔力の相性が良いのは、確かなんだけどな。リズも、俺と「会話」しているうちに、どんどん魔力が開花していく感覚があるだろ。その体の中で行き場を失って、荒れ狂っていた魔法が、いま正常な流れを取り戻しつつある”

 ジェラさんの指摘を受けて、実感のあったリーズロッテは、ひとまず頷いた。

「それは、そうですね。いままで『魔力』があると言われても、全然使えなかったの。だけどいま、ジェラさんの声を聞くために耳を澄ませているうちに、全身に流れができているみたい。まだ、意識して使える気はしないけれど」

 自分の小さな手をカウンターの上に広げて、視線を落とす。
 体内で血がざわめいて、しきりと何かを訴えかけてきている。胸がドキドキと鳴っている。
 指先まで力が巡って、いまにも外に迸り出そうな感覚。

(何かが変わりそう)

 この流れに身を任せてみたい。
 願った瞬間。
 蠱惑的な男の声が、囁きかけてきた。

“いまのリズは、本来の姿じゃないな。大きすぎる魔力に阻害されて、捻じ曲げられている。俺にはわかるよ。リズは俺と一緒にいれば、あるべき姿を取り戻せる。本当の自分に会いたいと思わない?”

 願いと望みを、見透かされた。
 リズは恐ろしいものを見る目で、ジェラさんを見た。

「どうすれば……」

“うん。俺と一緒に食事して、一緒に寝るのが良いと思う。俺たちはお互いが封印の鍵みたいなものだ”

 一拍考えてから、リズは不審さを隠しもせず、ジェラさんに厳しく言う。

「それ、カエルが王子様に戻る方法だわ。それとも、ジェラさんもそれが本来の姿じゃなくて、中にひとがいるとでも? 仕上げにわたくしに刺されでもしたら、人間に戻るの?」

 にゃあ、とは言わなかった。
 ただ、そのとき、ジェラさんの毛むくじゃらの猫顔が、明らかに笑みを形作った。闇夜を思わせる艷やかな毛を震わせ、深緑の瞳を怪しく輝かせて。
 ぞくりと、背中に悪寒。
 魅入られそうになる。

(自称「聖獣」だけど、本当に? 何かもっと違うものが封印されているのでは?)

 言葉を失って見つめ合っていたとき、不意に声がかけられた。

「お姫様、迎えにきたよ。夜遊びはもうこのくらいにして、帰るよ」

 視線の呪縛から逃れて、ぱっと振り返る。
 穏やかに微笑んでいる、男装姿のジャスティーンが立っていた。
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