失恋伯爵の婚活事情
【本編】

第1話 魔性の令嬢と、失恋伯爵

 オリビエ・エバンス伯爵は、二十一歳になった今でも結婚どころか婚約する兆しすらない。
 言い寄る女性をことごとくかわし、持ち込まれる縁談もすべて蹴り続け、ついたあだ名が「失恋伯爵」。
 文字通り、思いを寄せる女性すべてを失恋させてしまう。

 溢れんばかりの才知と、天使の彫像のごとき麗しさを備えた彼は、このまま国内最後の大物独身貴族と成り果てるのだ、と専らの噂。

 * * *

 心が折れた。
 結局、何をしても無駄なのだ。

 シルヴィアは、黒髪白磁の肌に、赤い唇。
 異国出身の母譲りの美貌は、評判が高い。子爵令嬢という絶妙な身分と相まって、ひとたび外に出れば貴族階級は言うに及ばず、豪商の息子といった階層の相手までもがさかんに言い寄ってくる。

 その勢い、降れば土砂降りのごとく。

 これはシルヴィアにとっては災難の類で、まったく迷惑な話なのだが、「目障りだ」という理由で貴族令嬢たちの逆鱗に触れた。
 嫉妬ややっかみのみならず「公爵令嬢のクリスティーヌ様から『あなたまさか、あの魔性の女・シルヴィアの肩を持つ気? もしそうなら、父上にお願いしてあなたの家を取り潰すわ』とまで言われてしまって……!」と、下級貴族の友人たちに涙ながらに訴えられる始末。「シルヴィアと仲良くしたら仲間はずれにしてやる!」という脅しが令嬢たちの間ではまかり通っているのだとか。

 シルヴィアの心情としては「クリスティーヌ様にバレないように、これからも友情を育もうね」とよほど言いたかったのだが、脅しの内容が真に迫っていて大変過酷であり、実行されたら友人たちは夜逃げ、一家離散の最悪のシナリオに巻き込まれることが予想された。
 結局のところ「お元気で……」と、もともと少ない友人たちとの別れを決断するに至った。

(もう、お茶会も夜会もこりごりだわ。男性に囲まれ、女性に睨まれ、友達はいない)

 もともと社交的な性格でもなく、ろくに顔出しはしていなかったが、いまや招かれても足を運ばなくなってしまった。

 理由、男性にモテすぎて、有力な女性に睨まれているから。
 この「モテる」は気の所為ではなく、れっきとした事情があるのである。

 シルヴィアの亡き母は、呪術の国イルルカンナ出身。
 その美貌に目をつけられ、国王から「妾に」と望まれたものの、承服できずに逃げ出してきたという。そのときに、たまたま諸国を巡り歩いていた若き父と出会い恋に落ちたが、振られた腹いせに王からある呪いをかけられていた。

 すなわち、「周囲の男を惑わす」魅了の呪い。
 数多の男に言い寄られてなお、真実の愛を貫き通し唯一人だけを愛しぬくことができるものか、と。

 母はその呪いに負けることなく、息を引き取るそのときまで、夫ただ一人を愛し抜いた。
 呪いには打ち勝った、そう見えた。

 その死後、なぜか呪いは娘のシルヴィアに引き継がれてしまった。
 つまり現状の不可解な「モテ」は、決してシルヴィアの魅力に男たちがよろめいているのではない。
 単純に、近づくと呪いに巻き込まれてしまうだけなのだ。

 おかげで、外に出れば危険だらけ。
 誰に話しかけられても、馬車に押し込まれて誘拐されるのではないか、物陰に引きずり込まれてしまうのではないかと、緊張しかない。
 父が控えめに持ち込んでくる縁談も、血の気がひくばかりで乗り気になど到底なれず。
 未来に思いを馳せても、暗澹とした気持ちにしかならなくなってしまった。

(私はこのまま、家から出ることもできずに、人目を忍んで生きていくしかないのよ)

 諦めながら鬱々としていた矢先に、ふっと思い出した。
 かの有名な「失恋伯爵」オリヴィエ・エバンスの名を。
 すべての女性につれない態度と噂の美男子である。

 いかなる事情があってそれほどの冷酷ぶりを発揮しているのかはわからないが、「誰のことも好きにはならない」のなら、シルヴィアにとってはうってつけではないだろうか。

「それほど強固な意志を持つ方なら、呪いにも負けないかもしれない。私が告白をしても、無様に振られるだけ……! これまで私の謎の『モテ』をやっかんでいたご令嬢方も、伯爵にけんもほろろに冷たく袖にされる私の姿に、胸のすく思いかもしれない。うまくいけば『しょせん、たいしたことがないわね』と私へのやっかみも消えていじめが減って、友達とはまた会えるようになるかも……」

 これまでどんな美女も、いと高き身分の女性も振り続けてきたというエバンス伯爵のこと。
 シルヴィアが好意を示しても、さぞや見事に冷たくあしらってくれるに違いない。

 社会復帰の第一歩として、まずは伯爵に振られてみよう。
 儚い希望に活路を見出すべく、シルヴィアは決意をした。
 
 * * *

 「自己中な女性は嫌いです」というのが、その日のオリビエ・エバンス伯爵の断り文句であった。
 それを耳にした誰もが、共通の思いで息を呑み、言葉を失っていた。

(もっと他に、言い方があるだろうに……!!)

 ところは公爵邸における晩餐会、主催は公爵令嬢クリスティーヌ。

「ずっと以前からお慕いしておりましたの。今後はこれまで以上に親しく当家に足を運んで頂けたらと思いますわ」

 この状況でその申し出は実に断りにくい、という押し出しの強さで言い放った今宵の主役であるクリスティーヌに対し、オリビエはこともなげに言ったのだ。「自己中な女性は嫌いです」と。聞き間違いようもなく、はっきりと。

「え?」

 クリスティーヌは、笑顔のまま首を傾げて、聞き返した。
 それを、オリビエは大変冷ややかに受け止めた。

「聞き返されたということは、もう一度言ってみろという意味ですか? もちろんやぶさかではありませんが。『自己中な女性は嫌い』なんです。家同士の繋がりや派閥や事業の関係性を抜きに、お嬢様と私で個人的な付き合いをしたいということであれば、拒否します」

 辺りが静まり返るほどの辛辣さであった。
 その場に居合わせた多くの者が、同じ思いを抱いたのは想像に難くない。「断るにももっと違う言い方が」「穏便に」「傷つけないように」「もう少し相手を気遣って」優雅に暇乞いを告げた彼を追いかけ、肩に掴みかかって進言する者もいた。

「相手は王家にも近しい間柄の公爵令嬢なのだぞ。口のきき方には気をつけるべきだ、伯爵」

 すると、「失恋伯爵」ことオリビエはかたちの良い唇をつりあげて、実に魅力的な微笑みを浮かべながら答えたのだ。

「ご忠告ありがとう。もう百万回くらい同じことを言われている。『君はもっと言い方に気をつけるべきだ』と。だけどね、気をつけようが気をつけまいが、結局のところ『断固として断る』時点で恨みを買うのは避けられない。なぜなら『相手の思い通りにならない現実を突きつける』のだから。愛の告白というのは、実に野蛮な習慣だと思う。藪から棒に現れたご令嬢方が、こぞって私に『自分の思い通りになれ』と言ってくる。それを断ろうものなら『冷たい』の大合唱。こちらからお願いしたわけでもないのに勝手に見初められ、勝手に悪評を広められる。かといって、優しく断れば『含みをもたせた』と言われる。実際にその(てい)で『諦めきれない』なんて言われて追いかけられもする」

 そこで目を細め、忠告してきた紳士をまっすぐに見据えて、言い切る。

「『言い方に気をつけろ』としたり顔で言ってくる相手のことが、私は不思議でならないよ。他人から『自分の思い通りになれ』と言われた時点ですでに私は十分に傷を負っていると思うんだけど。その私に『もっと優しくしろ』『相手を思いやれ』『傷つけるな』と。誰も私の立場に立ってものを考えたりはしない。なぜか? 『人から好かれる』ことの暴力性については多くの人間が見て見ぬふりだ。好きでもない相手に好かれても『ありがとう』と言うのが礼儀であり、受け止められないことに関しては『ごめんなさい』と申し訳なさそうにすべきだという思想が徹底されている。愛を告白されて傷つく人間なんか人間ではないと言わんばかりだ。実に――実に不愉快だ」

 それでも君はもう少し周りに優しくすべきなんだ。

 絞り出すように呟かれた言葉に対し、オリビエは澄み切った(ウォーター)青石(・サファイア)の如き瞳に冷え冷えとした光を湛え「心に留めておくよ」と答えてその場を立ち去った。

 美しく、気難しく、それでいてひとを惹きつけてやまない失恋伯爵。

 かのひとに自信満々で告白した挙げ句「ひと前で手ひどく振られた」ことに激しい憎悪を抱いた公爵令嬢クリスティーヌは、復讐を決意する。

 何がなんでもあの男を跪かせてやる、と。

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