失恋伯爵の婚活事情

第9話 伯爵の戦い方

 ――店として使うのに良い建物を見つけたので、案内します。

 オリビエから手紙が届いた。
 茶会の席でオリビエがシルヴィアに対して「店を出したら」と言ったのは、お世辞や冗談ではなかった。「やりますか」と聞かれて、シルヴィアは「やりたいです」と素直に答えた。
 その後、オリビエはすぐに資金繰りに動き、店舗となる建物も探し始めたとのこと。

 手紙はここぞという場所が見つかったという知らせで、用件とともに日時の指定があった。「屋敷まで迎えに行きます。もしその日が不都合な場合はお知らせください」と書いてあり、シルヴィアは「大丈夫です」という旨の返信をした。それ以上何を書けば良いかわからず、考えに考えた末に、最近家に住み着いた猫との交流についてしたためた。センスのある手紙を書けるようになりたいと切実に思った。

(私、何かと人間力が低い気がします……!)

 約束の当日。
 到着を使用人に告げられ、シルヴィアはいても立ってもいられず玄関ホールを走り抜けてドアから飛び出した。

「こんにちは」

 強い光に目が眩む。
 日差しの中で、オリビエが明るい微笑みを浮かべて立っていた。
 まだ玄関までたどり着いていないと思い込んでいたシルヴィアは、想定より近い距離に動揺して「ここここ、こんにちは」と完全に挙動不審になる。
 オリビエは柔和に目を細めて、笑みを深めた。

「前回のことがあったので、今回もあなたに出迎えてもらえるのを期待していました。幸先が良いです」

 う、とシルヴィアはその場で溶け崩れそうになりながら、心を強く持とうと自分に言い聞かせる。
 シルヴィアの反応を穏やかに見守っていたオリビエは、一拍置いてから言った。

「行きましょう。建物は古いんですが、雰囲気が良いです。改築するときに、キッチン周りに最新の設備を入れれば問題ありません。最初は菓子販売やお茶から始めるとしても、将来的には営業時間を拡大して、きちんと食事のできるレストランとして営業するのにも適していると思います」

「『お店を出す』という話を、まさかこんなに短期間に進めてくださるなんて……」

「事業の一環です。採算が取れると見込んでいますし、お父上のコリン子爵にも出資して頂きます。その意味では、あなたも変に俺に気を使わないでください。仕事上のパートナーで、あなたなくして店の成功はありませんから。手紙にも書きましたが、近くなので、徒歩で行きます。街の雰囲気も感じて欲しいです」
「はい。楽しみにしていました」
「それは良かった。俺もですよ」

 シルヴィアとしてはかなり頑張って「楽しみ」と言ったのに、オリビエにはその百倍爽やかに「俺もです」と言われて、清々しいほどに完敗の気分を味わった。

 ――実は俺の身にも「呪い」がかけられています。

(あの日、「呪い」の内容は、はっきり教えてくださらなかったけど、女性に「好き」になられるのはすごく困る呪いなのだと。だから今まで、すべての女性を断り続けてきたと打ち明けてくださった……。私も例外ではなく。この方は、「好き」になってはいけないひと)

 最初は、意地悪なクリスティーヌをばっさりと振っていた「失恋伯爵」に、憧れを抱いた。
 近づくなんて畏れ多いと思っていたが、話してみたらミジンコで盛り上がってしまった。
 思いがけず家に迎えたときは、子どものように目を輝かせて、端からお菓子を食べる屈託のない姿に、幸せを感じた。

(今すぐにでも、この方を想う心を封印してしまわなければ)

 どんなに自制しようとしても、胸の中で芽吹いたその思いは、心臓を破り、空に届く豆の木のようにみるみる育ち続けている。

 シルヴィアは、青空を仰いだ。眩しい。世界にはこんなにも光が溢れている。

 そばにいたい。もっと話したい。毎日会いたい。だめなのに、願ってしまう。
 こんな自分は、この世界からいなくなってしまえばいいのに。

 * * *

 普段から街歩きをしているオリビエは一人で来たが、シルヴィアには屋敷からメイドが二人同伴して後方に付き従っている。その意味では二人きりというわけではないものの、久しぶりの外歩きには解放感があった。

 石造りの高い建物沿いに、歩道として整備された石畳を歩く。
 道路にはひっきりなしに馬車が行き交っており、その合間を縫って道を渡る紳士の姿や走り回る子どもたちが見えた。

「先日、シルヴィアさんの作ってくれたお菓子、すごく美味しかったです。夜までご馳走になってしまいましたが、料理も素晴らしかった。お母様の国の料理も取り入れてますよね。レストランを作ったとして、そういう異国風の料理も出せたら良いなって思うんですよ」

「褒めて頂けるのは嬉しいんですが、私は母が作った料理以外知らないんです。もし本当にレストランで異国風と銘打ったメニューを揃えるなら、一度は現地に行ってみたいですね。とはいっても、母に呪いをかけた国には足を踏み入れたくないので、その隣国あたりで。料理は似ているはずです」

「良いですね。隣のイルルカンナは、比較的平和なはずです。俺ももう一度行きたい。そのときは一緒に……」

 会話の流れで、笑いながら言いかけたオリビエは、そこで口をつぐむ。
 透き通るような、煌めきを零す青い瞳が、その光を閉じ込めたまま凍りつく。
 彼の瞳の奥で、まさに自分が同じ表情をしているのがシルヴィアには見えた。
 シルヴィアは目を伏せて、歩くのに集中することにした。

「失礼」

 低い囁きが耳をかする。何かと顔を上げたところで、ごく軽い力で肩を抱き寄せられた。
 仄かな温もりが、手のひらから肩に伝わってくる。
 前方から歩いてきていた男性と、動線が重なっていたらしい。オリビエのおかげで、ぶつかることなくやり過ごすことができた。
 手はすぐに離れていき、歩き始める。

「迂闊なことを言ってすみません。あなたの呪いが解けて、自由に旅に出られれば良いなと俺も願っています。自由にとはいっても、護衛は必要だと思うのですが。俺は以前旅に出た経験もあるので、それなりに使えるはずです。そういう意味で……」

 まだ何か言いかけていたが、シルヴィアは焦りのあまり、言葉をかぶせてしまった。

「わかっています。私も、オリビエ様との旅行だったら楽しそうだなって思ったんですけど。仕事上の付き合いと他の何かを混同したらまずいと、警戒してしまいました。警戒といっても、オリビエ様ではなく、主に自分をです。せっかくオリビエ様は私の呪いが効かない相手なのに、信頼を失いたくありません。きちんと、適切な距離を置いて、良き友人になりたいと考えています」

(笑いましょう、私)

 願っても手に入らないひとを、わがままで困らせてはいけない。
 少し固くなったが、笑えたと思う。そのつもりだったのに、オリビエの横顔が歪んだ。

「俺は。今まで、『呪い』に従順に生きてきました。それでこの呪いをかけた相手の溜飲が下がるなら、甘んじて受けようという投げやりな思いもありました。これまで他人から寄せられる好意をずいぶん裏切ってきた自覚もあるので、自分は幸せになる資格はないとも思っていました。こんな話をされてもあなたも困ると思いますが、俺はそういう自分に対して、今怒りを覚えています」

 怒り。
 シルヴィアは足を止めて、横を行くオリビエを見上げた。

「これまで女性に好きになられたこと自体は、オリビエ様の『落ち度』ではないはずです。失恋伯爵と揶揄されるほどに相手を突き放してきたのが『呪い』のせいもあるなら、それを持って『幸せになる資格はない』というのは……。まさに、呪いに生き方をねじまげられているように見えるのですが」

 青い宝玉のように透明感のある瞳に、見つめ返される。
 やがて、かたちの良い唇が、かすれたような声をもらした。

「誰かのせいにするのは楽です。俺は普段の振る舞いで他人を傷つけ続けてきて、罪悪感はありました。同時に『どうせ誰も俺の気持ちなど本当には考えようとしない』という、この世界に対する深い憎しみも抱えています。悪いのは自分ではなく『呪い』なのだ。『他人』なのだ。『この世界』なのだ。そういう感情と慣れ親しむこと。俺はずっと『そこ』にいました。ですが……、絶望はどんな解決策も生みません。もっと『呪い』と向き合うべきだったし、解こうと力を尽くすべきでした。もし今の俺の生き方がねじ曲げられているのだとすれば、それは『呪い』によってではなく、自分自身によってです」

 そして、人を愛することのできない人間になってしまった。

 その呟きが耳をかすったとき、頭はほとんど何も考えていなかった。
 手を伸ばして、頬に触れる。
 驚いたような瞳を見上げてシルヴィアは告げた。

「あなたはひとを傷つけると言いますが、それだけのひとであれば、ひとから好かれたりはしません。愛は、あると思うのです。あなたの中に。あなたのそばにいるだけで、私はとても幸せなんです」

 視線が絡み、オリビエが何かをいいかけた。そのとき。

「あら珍しい、引きこもりのシルヴィアじゃないの。そんなところで何をしているの」

 聞き覚えのある声に名を呼ばれて、シルヴィアは息を止めた。

(クリスティーヌ……!)
< 9 / 13 >

この作品をシェア

pagetop