528ヘルツの奇跡
 その時急に、スマホの着信音が部屋に響いた。ビックリして持ってたジュースを落としそうになってしまった。

 鳴ったのは朔間くんのスマホ。彼は画面を確認して、悪い、って言うと電話に出ながら部屋を出ていった。

 誰からなんだろう?

 そう思いながらオレンジジュースを飲んでいると、五分もしないうちに朔間くんは戻ってきた。

「ごめん、親からかかってきた」

「え! 大丈夫? すぐ帰る?」

「いや、特になにもないから。最近うるさいんだよ、母親」

 朔間くんはそう言いながら座ると、自分のアイスコーヒーを一口飲んだ。

「今は部活やってないから、塾に行かせたいみたいで」

 そういえば朔間くんは、陸上の凄い選手だって聞いた。でも転校してきて、陸上部には入部していない。どうしてなんだろう?

「朔間くんは、もう陸上部には入らないの?」

 私の質問に彼は答えず、じっとモニターの動画を見つめていた。

「……なんか、気持ちが途切れちゃったんだ」

 呟くような静かな声。さっきまで聞こえていた別の部屋の歌声も、曲が終わったのか聞こえなくなっていた。

「走るのが好きだった。今でも好きだ。前の中学の陸上部ではいい記録も出せて、仲間も出来て、楽しかった。でも、父親の転勤が急に決まって引っ越す事になっちゃって……陸上部辞めたくなかったから俺は引っ越したくなかったけど、そんなの出来なくて……」

 朔間くんは自分のアイスコーヒーにまた手を伸ばす。氷が溶け始めていて、上の方が薄い色になってしまっている。

「転校してきて、陸上部のヤツとか顧問の先生が入部しろって言ってくるけど、でも……なんか、やる気になれなくて……」

 ……なんだか朔間くんは、迷子になっているように感じる。

 陸上部だったし男の子だから、私よりずっとしっかりした大きい体格をしているのに。少し前のめりに背を丸めて座る朔間くんは、何処に行ったらいいのか分からず心細そうに、不安そうに見える。大きいのに、小さく見える。
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