平穏に隠された負の感情
四柳《二》
表の方から声が聞こえてきた。
「幻鷲! いるかぁ?」
聞こえてきた大声に溜息を吐き、作業を中断して表へと向かった。
「静かにしろ」
霊斬は吐き捨てつつ、訪れた男を睨みつける。
「店に出てないお前が悪い」
姿を見せたのは鍛冶仲間の喜助。まともな用件であったためしがなく、霊斬は呆れている。
「それで、今日はなにをしにきた?」
「お前が通っているそば屋の娘が、可愛い子なんだって? 紹介してくれよ」
「女房持ちのお前に、紹介なんぞ誰がするか」
「相変わらずの毒舌だな」
「ったく……。もう戻るぞ」
溜息混じりに頭を掻いた霊斬は、部屋に戻ろうとする。
「じゃ、俺はそろそろ。早く女見つけろよ!」
「ああ。……黙れ、馬鹿」
霊斬は最後にぼそっと吐き捨てる。
――ただの冷やかしならくるなってんだ。
霊斬はそう思いながら、困ったように笑った。
翌日、約束した時刻きっかりに、武士がやってくる。
商い中の看板を支度中に変えてから、武士を奥へ通した。
「して、依頼は受けてもらえるのだろうか」
「はい。ひとつ、確かめたいことが」
「確かめたいこと?」
「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「もちろんだ。では、前金を」
小判五両を差し出した。
「分かりました」
霊斬は小判を袖に仕舞う。
「私が知っている限りの情報を、お教えいたす。賄賂の中心は佐田芳之助と、吉之助親子でござる」
「ありがとうございます。こちらでも、調べてみます。七日後に、ここへいらっしゃいませ」
「分かった。これも、渡しておこう」
武士は和紙を二枚、差し出した。霊斬がそれを受け取るのを見て、武士は店を出た。
霊斬は隠れ家へと足を運んだ。
「いるか?」
「なんの用だい?」
「調べてほしい奴らがいる。一緒に探るってのはどうだ?」
「それで、誰を?」
霊斬の店ほど広くはないが、壁際には畳まれた布団一式。生活には必要最低限のものが置かれていた。
「佐田芳之助と、その息子、吉之助」
霊斬は懐から二枚の和紙を取り出して、千砂に見せた。
「これは、ずいぶんと丁寧に」
千砂は思わず呟く。
それは二人の肖像画。依頼人から預かったものだ。絵師に頼んで描かせたのだろう。和紙に名まで載っている。
「俺もそう思った」
「顔は覚えたよ。それでいつ屋敷に忍び込むんだい?」
「明日の夜だな」
霊斬はそこまで言うと出ていった。
翌日の夜中。
黒装束を身に纏った霊斬と、忍び装束姿の千砂。
二人は佐田家へ忍び込み、徹底的に調べ始めた。
霊斬は廊下を歩いていく人を一人一人、観察。千砂は屋根裏へ。天井の板をずらしながら、一部屋ずつ該当する人物がいないか捜した。
千砂は脇息に寄りかかっている芳之助を見つけ、静かに様子を見守った。
しばらくして霊斬の方では、息子の吉之助が部屋に入っていくのを見た。
千砂はそのまま、様子を見ることにした。
霊斬は部屋の近くまでいき、聞き耳を立てる。
「おお、きたか。吉之助」
「父上、なに用でしょうか?」
「その前に、もう少し」
「は」
吉之助は父との距離を詰める。
「例の件、どうなっておる?」
「あの方への賄賂ですね? すでに準備は整っております」
「よし。では、あの方へ伝言だ。六日後にここでお渡しするとな」
「承知いたしました」
吉之助は座敷を後にした。
霊斬は吉之助が出てくるころには、中庭に身を潜めていた。千砂と合流し、屋敷を後にした。
隠れ家に戻ると、霊斬が口を開いた。
「決行と同じ日で、まだよかったかもしれない」
「そうだねぇ」
「じゃあ、またそば屋でな」
「はいよ」
二人はその場で別れた。
それから六日後の昼、霊斬はいつものようにそば屋を訪れる。
相変わらず店は賑やかで、大声で注文を済ませなければならないくらいだった。
「すっかり常連になったな!」
「ここのそばは美味いですから」
年上の常連客に言われ、霊斬は苦笑した。
「嬉しいことを言ってくださいますね! ありがとうございます」
千砂がそばを持ってきた。
嬉しそうに戻っていく彼女の背中を見送りながら、霊斬はそばを啜った。
それからしばらく経ち、店に依頼人が訪れる。
「お待ちしておりました」
「して、首尾は?」
「本日の夜、佐田親子がある人物に、賄賂を渡すことが分かりました」
「場所は?」
「佐田家です」
「分かった」
「ああ、忘れるところでした。私は彼らを逃がさず倒しますが、よろしいですね?」
霊斬は思い出したというように、話し出す。
「ああ」
「それから騒ぎが落ち着くまでは、近づかない方が賢明でしょう。証など、自身番に見つけさせればよいのです」
霊斬はにやりと嗤う。
「そうかもしれぬな」
依頼人は店を後にした。
霊斬は決行の時刻が近づくと、着替え始めた。黒の長着と同色の馬乗り袴を身に纏い、その上から黒の羽織を着る。短刀を懐に仕舞い、口と鼻を黒の布で隠す。黒刀を携え、佐田家へ向かった。
霊斬は早めに佐田家に忍び込む。
千砂も追ってきたようで、途中で会った。
霊斬は屋根裏に入り込む。取引が行われる座敷の天井の板をずらし、様子を見ていた。千砂には予め、その場にいるように言っておいた。
「幻鷲! いるかぁ?」
聞こえてきた大声に溜息を吐き、作業を中断して表へと向かった。
「静かにしろ」
霊斬は吐き捨てつつ、訪れた男を睨みつける。
「店に出てないお前が悪い」
姿を見せたのは鍛冶仲間の喜助。まともな用件であったためしがなく、霊斬は呆れている。
「それで、今日はなにをしにきた?」
「お前が通っているそば屋の娘が、可愛い子なんだって? 紹介してくれよ」
「女房持ちのお前に、紹介なんぞ誰がするか」
「相変わらずの毒舌だな」
「ったく……。もう戻るぞ」
溜息混じりに頭を掻いた霊斬は、部屋に戻ろうとする。
「じゃ、俺はそろそろ。早く女見つけろよ!」
「ああ。……黙れ、馬鹿」
霊斬は最後にぼそっと吐き捨てる。
――ただの冷やかしならくるなってんだ。
霊斬はそう思いながら、困ったように笑った。
翌日、約束した時刻きっかりに、武士がやってくる。
商い中の看板を支度中に変えてから、武士を奥へ通した。
「して、依頼は受けてもらえるのだろうか」
「はい。ひとつ、確かめたいことが」
「確かめたいこと?」
「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「もちろんだ。では、前金を」
小判五両を差し出した。
「分かりました」
霊斬は小判を袖に仕舞う。
「私が知っている限りの情報を、お教えいたす。賄賂の中心は佐田芳之助と、吉之助親子でござる」
「ありがとうございます。こちらでも、調べてみます。七日後に、ここへいらっしゃいませ」
「分かった。これも、渡しておこう」
武士は和紙を二枚、差し出した。霊斬がそれを受け取るのを見て、武士は店を出た。
霊斬は隠れ家へと足を運んだ。
「いるか?」
「なんの用だい?」
「調べてほしい奴らがいる。一緒に探るってのはどうだ?」
「それで、誰を?」
霊斬の店ほど広くはないが、壁際には畳まれた布団一式。生活には必要最低限のものが置かれていた。
「佐田芳之助と、その息子、吉之助」
霊斬は懐から二枚の和紙を取り出して、千砂に見せた。
「これは、ずいぶんと丁寧に」
千砂は思わず呟く。
それは二人の肖像画。依頼人から預かったものだ。絵師に頼んで描かせたのだろう。和紙に名まで載っている。
「俺もそう思った」
「顔は覚えたよ。それでいつ屋敷に忍び込むんだい?」
「明日の夜だな」
霊斬はそこまで言うと出ていった。
翌日の夜中。
黒装束を身に纏った霊斬と、忍び装束姿の千砂。
二人は佐田家へ忍び込み、徹底的に調べ始めた。
霊斬は廊下を歩いていく人を一人一人、観察。千砂は屋根裏へ。天井の板をずらしながら、一部屋ずつ該当する人物がいないか捜した。
千砂は脇息に寄りかかっている芳之助を見つけ、静かに様子を見守った。
しばらくして霊斬の方では、息子の吉之助が部屋に入っていくのを見た。
千砂はそのまま、様子を見ることにした。
霊斬は部屋の近くまでいき、聞き耳を立てる。
「おお、きたか。吉之助」
「父上、なに用でしょうか?」
「その前に、もう少し」
「は」
吉之助は父との距離を詰める。
「例の件、どうなっておる?」
「あの方への賄賂ですね? すでに準備は整っております」
「よし。では、あの方へ伝言だ。六日後にここでお渡しするとな」
「承知いたしました」
吉之助は座敷を後にした。
霊斬は吉之助が出てくるころには、中庭に身を潜めていた。千砂と合流し、屋敷を後にした。
隠れ家に戻ると、霊斬が口を開いた。
「決行と同じ日で、まだよかったかもしれない」
「そうだねぇ」
「じゃあ、またそば屋でな」
「はいよ」
二人はその場で別れた。
それから六日後の昼、霊斬はいつものようにそば屋を訪れる。
相変わらず店は賑やかで、大声で注文を済ませなければならないくらいだった。
「すっかり常連になったな!」
「ここのそばは美味いですから」
年上の常連客に言われ、霊斬は苦笑した。
「嬉しいことを言ってくださいますね! ありがとうございます」
千砂がそばを持ってきた。
嬉しそうに戻っていく彼女の背中を見送りながら、霊斬はそばを啜った。
それからしばらく経ち、店に依頼人が訪れる。
「お待ちしておりました」
「して、首尾は?」
「本日の夜、佐田親子がある人物に、賄賂を渡すことが分かりました」
「場所は?」
「佐田家です」
「分かった」
「ああ、忘れるところでした。私は彼らを逃がさず倒しますが、よろしいですね?」
霊斬は思い出したというように、話し出す。
「ああ」
「それから騒ぎが落ち着くまでは、近づかない方が賢明でしょう。証など、自身番に見つけさせればよいのです」
霊斬はにやりと嗤う。
「そうかもしれぬな」
依頼人は店を後にした。
霊斬は決行の時刻が近づくと、着替え始めた。黒の長着と同色の馬乗り袴を身に纏い、その上から黒の羽織を着る。短刀を懐に仕舞い、口と鼻を黒の布で隠す。黒刀を携え、佐田家へ向かった。
霊斬は早めに佐田家に忍び込む。
千砂も追ってきたようで、途中で会った。
霊斬は屋根裏に入り込む。取引が行われる座敷の天井の板をずらし、様子を見ていた。千砂には予め、その場にいるように言っておいた。