平穏に隠された負の感情
四柳《四》
霊斬は四柳から離れると、左隣の柱に背を預けて座った。
「横にならなくて大丈夫か?」
「この方が楽だ」
霊斬は言いながら、革袋を差し出す。
冷えていたはずの革袋は、生ぬるくなっていた。
「ちょっと待ってろ」
四柳は部屋を去った。
霊斬は千砂の穏やかな寝顔を、眺めながら思う。
――一人で生きていくためとはいえ、どうして命を懸ける? 他に方法はいくらでもあるはずだ。
そう思わずにいられなかった。
四柳は革袋の水を替えながら、一人思案する。
――霊斬の焦った顔なんて、初めて見た。
理由はともかく、そのような部分があったことに安堵している自分に苦笑する。
――さて、あの二人はどうなることやら。
四柳は明けてきた空を見上げた。
「霊斬」
「ん」
霊斬は革袋を受け取り、右肩に当てる。
「嬢ちゃんのこと、心配か?」
「まあな。……しくじった」
――素直だな。
四柳は内心で思いながらも、話を続ける。
「仕事のとき、ずっと一人だったのは、誰も巻き込みたくなかったからか?」
「そうだ。正直、あいつがいくと言い出したときは止めた。だが、聞かなかった」
霊斬は苦笑する。
「あの子は強情なところがあるんだな。……お前も、少し眠れよ」
「ああ」
うなずいた霊斬を見る。
眠っている千砂にも視線を向けると、四柳は部屋を出ていった。
霊斬が目を覚ます。
差し込んでくる光から、すでに日が傾き始めていることを悟る。
傷が痛み、思わず顔をしかめた。
「ん……」
「起きたか」
「ここは……どこだい?」
「四柳の診療所だ」
「……そうかい。あんたは……怪我したのかい」
千砂は霊斬をちらりと見た。
「まあな。……すまなかった」
「あんたが謝るようなことじゃないよ。怪我したくらいで」
「だがな……」
食い下がろうとした霊斬を、千砂を止めた。
「あたしがついていく、って言ったんだ。これくらい、覚悟してた」
「……そうか。次から怪我、するなよ」
――頼むから。
霊斬は内心で続けた。
「あんたに心配されるのも、なんだか気持ちが悪いから、そうしようかね」
「なんだよ、それ」
「仲がいいな」
四柳が部屋に入ってくる。
「どうしてそう見えるんだ」
霊斬は溜息を吐く。
「嬢ちゃん、具合はどうだ?」
「少しずきずきするけど、だいぶ楽になったよ」
「そりゃあ、なによりだ。霊斬は?」
「いくらかましになった」
「そうか」
四柳は新しい革袋を差し出す。
古い革袋と交換した霊斬は、右肩に当てる。
それを見た四柳は部屋を出ていった。
「あの勢いで突進されたら、打ち身のひとつやふたつできそうだね」
「そうかもしれないな」
「聞きたいんだけど、自分のことを一番に、考えたことはあるかい?」
「戦い以外なら……ない。今さら自分のために生きるなんて、できない。そうでなければ、こんな裏稼業、始めたりなんかしなかっただろうよ」
「そうかい。あんたはあたしと真逆だね」
「真逆?」
「あんたは、他人のために、生きる。あたしは自分のために」
千砂はゆっくりと言い、霊斬に視線を向けた。
「なら、どうして俺についてきた?」
「あんたに、興味が湧いたからさ」
「それだけの理由で……」
「あんたならなんとかしてくれるって、見捨てないってどこかで思っていたからね」
千砂はしてやったりと言わんばかりに笑った。
「お前って奴は……」
霊斬は困ったような顔をして千砂を見つめた。
数日後、武士が店を訪れる。
奥へ通すと、武士が口を開いた。
「あの騒ぎの後、賄賂として受け取るという書状が見つかった」
「そうですか」
「報酬だ」
武士は言いながら小判十五両を差し出す。
「また、なにかありましたら、おいでください」
霊斬は頭を下げると、小判を袖に仕舞う。
それからしばらく経ち、霊斬は微睡ながら、幼いころのことを思い出していた。
名すら呼ばれず、兄ばかり可愛がられていている。
自分のことを、なんとも思っていない親。
けれど彼らの様子を見て、それも普通なのかと思っていた。
どうして自分だけと思わずにいられなかった。なんで生きていかなきゃいけないのだろうと、幾度も幾度も、思っていた。
いくら思い返しても、悪いことをしていないという答えになり、困惑するだけだった。
「横にならなくて大丈夫か?」
「この方が楽だ」
霊斬は言いながら、革袋を差し出す。
冷えていたはずの革袋は、生ぬるくなっていた。
「ちょっと待ってろ」
四柳は部屋を去った。
霊斬は千砂の穏やかな寝顔を、眺めながら思う。
――一人で生きていくためとはいえ、どうして命を懸ける? 他に方法はいくらでもあるはずだ。
そう思わずにいられなかった。
四柳は革袋の水を替えながら、一人思案する。
――霊斬の焦った顔なんて、初めて見た。
理由はともかく、そのような部分があったことに安堵している自分に苦笑する。
――さて、あの二人はどうなることやら。
四柳は明けてきた空を見上げた。
「霊斬」
「ん」
霊斬は革袋を受け取り、右肩に当てる。
「嬢ちゃんのこと、心配か?」
「まあな。……しくじった」
――素直だな。
四柳は内心で思いながらも、話を続ける。
「仕事のとき、ずっと一人だったのは、誰も巻き込みたくなかったからか?」
「そうだ。正直、あいつがいくと言い出したときは止めた。だが、聞かなかった」
霊斬は苦笑する。
「あの子は強情なところがあるんだな。……お前も、少し眠れよ」
「ああ」
うなずいた霊斬を見る。
眠っている千砂にも視線を向けると、四柳は部屋を出ていった。
霊斬が目を覚ます。
差し込んでくる光から、すでに日が傾き始めていることを悟る。
傷が痛み、思わず顔をしかめた。
「ん……」
「起きたか」
「ここは……どこだい?」
「四柳の診療所だ」
「……そうかい。あんたは……怪我したのかい」
千砂は霊斬をちらりと見た。
「まあな。……すまなかった」
「あんたが謝るようなことじゃないよ。怪我したくらいで」
「だがな……」
食い下がろうとした霊斬を、千砂を止めた。
「あたしがついていく、って言ったんだ。これくらい、覚悟してた」
「……そうか。次から怪我、するなよ」
――頼むから。
霊斬は内心で続けた。
「あんたに心配されるのも、なんだか気持ちが悪いから、そうしようかね」
「なんだよ、それ」
「仲がいいな」
四柳が部屋に入ってくる。
「どうしてそう見えるんだ」
霊斬は溜息を吐く。
「嬢ちゃん、具合はどうだ?」
「少しずきずきするけど、だいぶ楽になったよ」
「そりゃあ、なによりだ。霊斬は?」
「いくらかましになった」
「そうか」
四柳は新しい革袋を差し出す。
古い革袋と交換した霊斬は、右肩に当てる。
それを見た四柳は部屋を出ていった。
「あの勢いで突進されたら、打ち身のひとつやふたつできそうだね」
「そうかもしれないな」
「聞きたいんだけど、自分のことを一番に、考えたことはあるかい?」
「戦い以外なら……ない。今さら自分のために生きるなんて、できない。そうでなければ、こんな裏稼業、始めたりなんかしなかっただろうよ」
「そうかい。あんたはあたしと真逆だね」
「真逆?」
「あんたは、他人のために、生きる。あたしは自分のために」
千砂はゆっくりと言い、霊斬に視線を向けた。
「なら、どうして俺についてきた?」
「あんたに、興味が湧いたからさ」
「それだけの理由で……」
「あんたならなんとかしてくれるって、見捨てないってどこかで思っていたからね」
千砂はしてやったりと言わんばかりに笑った。
「お前って奴は……」
霊斬は困ったような顔をして千砂を見つめた。
数日後、武士が店を訪れる。
奥へ通すと、武士が口を開いた。
「あの騒ぎの後、賄賂として受け取るという書状が見つかった」
「そうですか」
「報酬だ」
武士は言いながら小判十五両を差し出す。
「また、なにかありましたら、おいでください」
霊斬は頭を下げると、小判を袖に仕舞う。
それからしばらく経ち、霊斬は微睡ながら、幼いころのことを思い出していた。
名すら呼ばれず、兄ばかり可愛がられていている。
自分のことを、なんとも思っていない親。
けれど彼らの様子を見て、それも普通なのかと思っていた。
どうして自分だけと思わずにいられなかった。なんで生きていかなきゃいけないのだろうと、幾度も幾度も、思っていた。
いくら思い返しても、悪いことをしていないという答えになり、困惑するだけだった。