平穏に隠された負の感情
ただ働きと悪夢《二》
店に戻ってからも、霊斬の思考はすべて依頼のことに使われていた。
金には困っていない。少しくらい働かなくても、いいだろうと思っている。
最近、刀の注文や修理依頼もない。作る気もないため、霊斬は床に寝転んで考え込んだ。
頭にはとりとめもない、考えとも呼べない曖昧なものが浮かぶ。
どうしたらいいか、分からなかった。ただ、とても、疲れていた。
そば屋にいく気にもなれず、霊斬はそのまま目を閉じた。
眠っている霊斬の横顔に、汗が流れる。
穏やかな寝顔だったのは、ほんの少し。その寝顔が、苦悶に満ちた表情に歪む。
――負の連鎖に取り込まれる人を増やしたくはない。今までさんざん増やしてきて、そのたびに彼らの命を奪ってきた。鏖にしてきた。俺の意思に関係なく、ただ、命じられるがままに。誰かの刃となって、命を奪い続けてきた。そんな過去は消えない。これは俺が背負わなければならない罪の塊だ。それから逃れる術など、それが軽くなることなど、ありはしない。弱音ひとつ吐かずに、過ごすしかない。
俺はもう、誰かの手足となって命を奪いたくはないんだ……。
霊斬は夢の中で、魘され続けた。
姿が見えないことを心配した千砂が、顔を出す。戸を叩いても応答がない。無礼だと思いつつ、戸を開けて中に入る。
霊斬の苦悶な表情を見るなり、起こそうと揺り動かす。
「起きな! 霊斬!」
「くるな!」
霊斬は自分の声で目を覚まし、千砂の手を無意識に払いのけた。
千砂と目が合った。
「悪い」
「どうしたんだい? そんなに汗かいて」
千砂に指摘されて、霊斬は頬に手を当てた。
彼女の言うとおり、びっしりと冷や汗をかいていた。
「嫌な夢でも見たのかい?」
「まぁ、そんなところだ。……なにをしにきた」
手拭いを持ってくると顔を拭い、肩にかける。
「様子を見にきたんだよ。店、開けていないみたいだったから」
「……そうか。新たな依頼が入った。決行日にこの近くの袋小路にこい。時刻は日暮れ。俺のことはいい。もう帰れ」
霊斬は溜息を吐くと、千砂に言う。
「はいはい」
千砂は店を後にした。
そば屋に戻って仕事をしながら、千砂は霊斬の様子がおかしいと思っていた。疑念を抱かずにはいられなかった。
――仕事が終わったら、四柳さんのところにいってみようかねぇ。
千砂はそんなことを考えながら、仕事をこなした。
そのころ、霊斬はというと一人、顔をしかめた。
悪夢を見たせいで、気分は最悪だった。
それを紛らわそうと霊斬は刀部屋へ向かい、修理を始めた。
切れ味が落ちて、錆も出ている。
持ち主は相当、刀を雑に扱っているようだ。
とにかくなにかをして、余計なことを考えずにいたかった。
霊斬はその一心で、修理に精を出した。
一方仕事を終えた千砂は、四柳の診療所を訪ねる。
「千砂です」
「ああ、嬢ちゃんか。どうした?」
「霊斬について、聞きたいことがあってね」
四柳は首をかしげた。
「霊斬のこと? おれが答えられる範囲でなら」
四柳は奥の部屋へと通した。
「霊斬のなにを聞きたいんだ?」
「知ってること全部」
「そうきたか。いったいどうして、あいつのことを知りたくなったんだ?」
千砂は今日あった出来事を、簡単に話した。
「そういうことか。あいつはあまり、自分のことは喋らない奴だぞ」
「だから、直接聞かず、きているんだよ」
千砂は苛立ちを込めた。
「そう急かすなよ。教えてやるから」
千砂が落ち着いたのを見計らって、口を開く。
「おれが霊斬と初めて会ったのは、十年前だ」
四柳は遠い目をして、当時のことを語り始めた。
肌寒い秋の夜中に、診療所の戸を、乱暴に叩く人物がいた。
「いったい誰だ! こんな時刻に!」
「遅くにすまない。手当てをしてもらえないだろうか。金ならある」
十代後半の青年が、血塗れになって立っていた。真っ黒の着物姿で、腰に太刀を帯びている。
「さっさと入れ」
四柳は命じ、奥の部屋へ通す。慣れた手つきで治療を始めた。
刀傷を全身に受けており、その中でも左腕と左脚が酷い。手早くすべての傷を縫った。
青年は大人しく治療を受けている。
「名は?」
四柳が尋ねた。
「幻鷲」
幻鷲はそれだけ答えると口を閉ざした。
しばらくすると、四柳が声をかける。
「終わったぞ。念のため、今日はここに泊まって……」
「断る。お代だ」
幻鷲は四柳の言葉を断ち切って、小判一両を渡してくる。
――どうしてこんな大金を……?
「世話になった」
幻鷲は足を引き摺りながら、診療所を去る。
四柳はその場に立ち尽くした。
外で冷たい風がびゅうっと吹いた。
「どうしてあのころの霊斬が、小判を持っていたのか? 未だに謎だが、おれとの出会いはそんな感じだ」
「他に知っていることは?」
「ない」
即答だった。
「話してくれてよかったよ」
「お安いご用さ」
「手間、取らせて悪かったね」
「気にするな」
千砂はその言葉を聞いて、診療所を後にした。
それから四日後の夜、霊斬は黒一色の長着と馬乗り袴を身に纏う。
その上から黒の羽織を着る。隠し棚から取り出した、黒刀を腰に下げる。黒い布で鼻と口を覆う。
袋小路に足を運ぶと、次郎もきたところだった。
「よくきたな。お前には最後まで、見届けてもらう。こいつの案内に従ってくれ」
霊斬は千砂に、依頼内容を話していた。千砂が次郎の前まで進み出た。
金には困っていない。少しくらい働かなくても、いいだろうと思っている。
最近、刀の注文や修理依頼もない。作る気もないため、霊斬は床に寝転んで考え込んだ。
頭にはとりとめもない、考えとも呼べない曖昧なものが浮かぶ。
どうしたらいいか、分からなかった。ただ、とても、疲れていた。
そば屋にいく気にもなれず、霊斬はそのまま目を閉じた。
眠っている霊斬の横顔に、汗が流れる。
穏やかな寝顔だったのは、ほんの少し。その寝顔が、苦悶に満ちた表情に歪む。
――負の連鎖に取り込まれる人を増やしたくはない。今までさんざん増やしてきて、そのたびに彼らの命を奪ってきた。鏖にしてきた。俺の意思に関係なく、ただ、命じられるがままに。誰かの刃となって、命を奪い続けてきた。そんな過去は消えない。これは俺が背負わなければならない罪の塊だ。それから逃れる術など、それが軽くなることなど、ありはしない。弱音ひとつ吐かずに、過ごすしかない。
俺はもう、誰かの手足となって命を奪いたくはないんだ……。
霊斬は夢の中で、魘され続けた。
姿が見えないことを心配した千砂が、顔を出す。戸を叩いても応答がない。無礼だと思いつつ、戸を開けて中に入る。
霊斬の苦悶な表情を見るなり、起こそうと揺り動かす。
「起きな! 霊斬!」
「くるな!」
霊斬は自分の声で目を覚まし、千砂の手を無意識に払いのけた。
千砂と目が合った。
「悪い」
「どうしたんだい? そんなに汗かいて」
千砂に指摘されて、霊斬は頬に手を当てた。
彼女の言うとおり、びっしりと冷や汗をかいていた。
「嫌な夢でも見たのかい?」
「まぁ、そんなところだ。……なにをしにきた」
手拭いを持ってくると顔を拭い、肩にかける。
「様子を見にきたんだよ。店、開けていないみたいだったから」
「……そうか。新たな依頼が入った。決行日にこの近くの袋小路にこい。時刻は日暮れ。俺のことはいい。もう帰れ」
霊斬は溜息を吐くと、千砂に言う。
「はいはい」
千砂は店を後にした。
そば屋に戻って仕事をしながら、千砂は霊斬の様子がおかしいと思っていた。疑念を抱かずにはいられなかった。
――仕事が終わったら、四柳さんのところにいってみようかねぇ。
千砂はそんなことを考えながら、仕事をこなした。
そのころ、霊斬はというと一人、顔をしかめた。
悪夢を見たせいで、気分は最悪だった。
それを紛らわそうと霊斬は刀部屋へ向かい、修理を始めた。
切れ味が落ちて、錆も出ている。
持ち主は相当、刀を雑に扱っているようだ。
とにかくなにかをして、余計なことを考えずにいたかった。
霊斬はその一心で、修理に精を出した。
一方仕事を終えた千砂は、四柳の診療所を訪ねる。
「千砂です」
「ああ、嬢ちゃんか。どうした?」
「霊斬について、聞きたいことがあってね」
四柳は首をかしげた。
「霊斬のこと? おれが答えられる範囲でなら」
四柳は奥の部屋へと通した。
「霊斬のなにを聞きたいんだ?」
「知ってること全部」
「そうきたか。いったいどうして、あいつのことを知りたくなったんだ?」
千砂は今日あった出来事を、簡単に話した。
「そういうことか。あいつはあまり、自分のことは喋らない奴だぞ」
「だから、直接聞かず、きているんだよ」
千砂は苛立ちを込めた。
「そう急かすなよ。教えてやるから」
千砂が落ち着いたのを見計らって、口を開く。
「おれが霊斬と初めて会ったのは、十年前だ」
四柳は遠い目をして、当時のことを語り始めた。
肌寒い秋の夜中に、診療所の戸を、乱暴に叩く人物がいた。
「いったい誰だ! こんな時刻に!」
「遅くにすまない。手当てをしてもらえないだろうか。金ならある」
十代後半の青年が、血塗れになって立っていた。真っ黒の着物姿で、腰に太刀を帯びている。
「さっさと入れ」
四柳は命じ、奥の部屋へ通す。慣れた手つきで治療を始めた。
刀傷を全身に受けており、その中でも左腕と左脚が酷い。手早くすべての傷を縫った。
青年は大人しく治療を受けている。
「名は?」
四柳が尋ねた。
「幻鷲」
幻鷲はそれだけ答えると口を閉ざした。
しばらくすると、四柳が声をかける。
「終わったぞ。念のため、今日はここに泊まって……」
「断る。お代だ」
幻鷲は四柳の言葉を断ち切って、小判一両を渡してくる。
――どうしてこんな大金を……?
「世話になった」
幻鷲は足を引き摺りながら、診療所を去る。
四柳はその場に立ち尽くした。
外で冷たい風がびゅうっと吹いた。
「どうしてあのころの霊斬が、小判を持っていたのか? 未だに謎だが、おれとの出会いはそんな感じだ」
「他に知っていることは?」
「ない」
即答だった。
「話してくれてよかったよ」
「お安いご用さ」
「手間、取らせて悪かったね」
「気にするな」
千砂はその言葉を聞いて、診療所を後にした。
それから四日後の夜、霊斬は黒一色の長着と馬乗り袴を身に纏う。
その上から黒の羽織を着る。隠し棚から取り出した、黒刀を腰に下げる。黒い布で鼻と口を覆う。
袋小路に足を運ぶと、次郎もきたところだった。
「よくきたな。お前には最後まで、見届けてもらう。こいつの案内に従ってくれ」
霊斬は千砂に、依頼内容を話していた。千砂が次郎の前まで進み出た。