平穏に隠された負の感情
第七章
人身売買《一》
それから七日後。霊斬の許に、一件の依頼が舞い込む。
名のある家の武士が店を訪れ、刀の修理と話を聞くことに。
「その前にひとつ、確かめたいことがございます。よろしいでしょうか?」
「うむ、なんだ?」
武士は鷹揚にうなずいて、先を促した。
「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「後悔はせぬ。他に頼める相手がいない」
「刀の状態を見とうございます」
「これだ」
霊斬が頭を下げると、鞘を抜いて刀身に目を走らせる。
相当使い込んでいるらしく、柄は汗が染みこんで変色し、切れ味が落ちていた。鞘とこすれてできた瑕もあった。
「承知いたしました」
「依頼の件だが」
「はい」
「農民やそれ以下の者どもを、集めている武家がある。それを潰してほしいのだ」
「集めている……とは?」
「探らせたところ、どうやら女、子どもを集めているようでな。それで金を儲けているのではないかと」
「……人身売買ですか」
霊斬が苦い顔をする。
「うむ」
「その武家の名は、ご存知ですか?」
「式部家だ」
武士は小判五両を差し出す。
「これは前金じゃ。成功報酬は小判十両」
「承知いたしました。では、七日後にお会いしましょう」
霊斬は小判を袖に仕舞う。
「分かった」
武士は店を去った。
霊斬はそば屋には寄らず、千砂の隠れ家に向かう。
いなければ、出直せばいいくらいの気持ちでいた。
「千砂、いるか?」
「いるよ」
千砂が顔を出し、霊斬を招き入れる。
「依頼が入った」
「どんな?」
千砂がお茶を出す。
お茶を出してくれた彼女に内心で驚きながらも、霊斬は話を続ける。
「人身売買をしていると噂の、式部家だ」
「家ごとってことかい?」
不快な顔をした千砂は、聞き返した。
「調べてみないと分からんが、おそらくは。敵の人数が分かればいい」
「できたら、人身売買の首謀者も調べてみる」
「どれくらいかかる?」
「三日」
「分かった」
霊斬はお茶を一気に飲み、隠れ家を後にした。
その夜霊斬はたすきをして刀の修理に取りかかっていた。
砥石をだんだん目の細かいものへと、変えていきながら静かに研いでいく。
その間、霊斬は考える。
使い込まれているのに、手入れがいき届いていない。
――なんらかの理由で、それもできなかったのだろうか?
今度聞いてみることにし、霊斬は研ぎ続けた。
同じころ、千砂は忍び装束に身を包み、式部家へ忍び込む。
屋敷の屋根から全体を眺めたとき、入口から数名の女子どもが入ってくるのが見えた。
部屋に入った。屋根裏に入ると、天井を一部ずらして様子を探る。
「今回は少ないな」
女らを品定めしている男が呟く。男の周りには妖艶な恰好で女が二人、侍《はべ》っている。
「だが、上玉もいるなぁ」
嫌な笑みを浮かべた男は、一人の女を強引に抱き寄せる。
残りの女達には去るように命じた。
男は女の叫びを気にせず、身ぐるみはがし始めた。
千砂は女の悲鳴に後ろ髪を引かれつつも、部屋を去った数人の女子どもらを追う。
彼女達が通されたのは座敷牢で、そこには貧しい身分の者達が身を寄せ合って座っていた。
「入れ!」
彼女達を突き飛ばすように中に入れた武家の男は、ぴしゃりと戸を閉める。
僅かに差し込む光で彼女達の表情を見ると、絶望しきった表情をしている。ろくな食事はおろか、水すら与えられていないように思えた。
千砂はこのくらいでいいかと思い、式部家を出る。
翌日の同じ時刻、千砂は再び式部家へ。
敵となりそうな人物がどれだけいるか、屋根裏を音もなく駆け回りながら数える。
奥の様子が気になり見にいくと、座敷牢の奥にいた女達の姿がない。
千砂は暗い顔をして、式部家を去った。
千砂が式部家に侵入するようになって、三日が経った。
その日も同じように、屋根裏から様子を探る。ちょうど、女を品定めしていた男の部屋を通りすぎると、声が聞こえてきた。
千砂はその場に立ち止まり、天井の板をそうっとずらすと、会話に耳を澄ませる。
「それで、女達の様子は?」
「皆、疲れ切っております」
「これから楽しい仕事があるというのに、なんともったいないことよ。のう?」
「そうでございますね」
いかにも楽しそうな男とは正反対に、答える武士の声は冷たかった。
「狂治郎様」
「なんじゃ?」
「いつまでかようなことを、続けるおつもりですか」
「なんじゃと?」
「女子らを売り、里が三つも崩壊しているのですぞ!」
千砂はその内容に驚くと同時に、この武士の勇気を讃えたくなった。
「だからなんだ?」
「もう十分ではございませんか! これ以上続けても意味がありませぬ!」
「黙れ! お前はこの家を出ろ。ただし、このことは決して他言するな」
「……承知いたしました」
千砂は敵が一人減ったことに、少しだけ安堵する。
これ以上女達の悲しい顔を見るのが嫌で、そのまま屋敷を後にした。
そのころ霊斬はというと、刀の研磨を終え、休憩していた。
霊斬は顔をしかめる。
ゆっくりと床に寝転び、依頼のことに頭を巡らす。
しばらくすると、戸を叩く音が聞こえてくる。
「開いているぞ」
霊斬が身を起こして応じると、普段どおりの恰好をした千砂が入ってきた。
「ああ、終わったのか」
霊斬はお茶を入れると、急須と茶碗をふたつのせた盆を用意した。奥の部屋の床に彼女が座ると、その傍らにお茶を置く。
――珍しいこともあるもんだね。
千砂は内心で思いながらも、本心とは別のことを口にした。
「よかったら、これどうぞ」
千砂は手に持っていた、小さな包みを開く。
中には団子が二本、入っていた。
「美味そうだな。いただこう」
霊斬は座ると、団子を一本手に取る。
「最悪な家だった」
「最悪?」
団子を食べている霊斬が尋ねた。
「女子どもを集めて、どこかに売っているのは確かだよ。ちょうど、女達が屋敷に連れ込まれるのを見た。その中でもいい女を見つけると、自分のものにしている」
「それで?」
霊斬は彼女の最悪の意味に気づいて納得し、先を促した。
「敵は式部狂治郎をはじめ、およそ十人。女達の保護は自身番に任せてもいいかい?」
「ああ」
霊斬は団子をつまむ。
二人がお茶を飲み終えると、千砂が店を後にした。
――今回はなにも聞いてこなかったな。
そんなことを思いつつ、霊斬は最後の仕上げに取りかかった。
名のある家の武士が店を訪れ、刀の修理と話を聞くことに。
「その前にひとつ、確かめたいことがございます。よろしいでしょうか?」
「うむ、なんだ?」
武士は鷹揚にうなずいて、先を促した。
「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「後悔はせぬ。他に頼める相手がいない」
「刀の状態を見とうございます」
「これだ」
霊斬が頭を下げると、鞘を抜いて刀身に目を走らせる。
相当使い込んでいるらしく、柄は汗が染みこんで変色し、切れ味が落ちていた。鞘とこすれてできた瑕もあった。
「承知いたしました」
「依頼の件だが」
「はい」
「農民やそれ以下の者どもを、集めている武家がある。それを潰してほしいのだ」
「集めている……とは?」
「探らせたところ、どうやら女、子どもを集めているようでな。それで金を儲けているのではないかと」
「……人身売買ですか」
霊斬が苦い顔をする。
「うむ」
「その武家の名は、ご存知ですか?」
「式部家だ」
武士は小判五両を差し出す。
「これは前金じゃ。成功報酬は小判十両」
「承知いたしました。では、七日後にお会いしましょう」
霊斬は小判を袖に仕舞う。
「分かった」
武士は店を去った。
霊斬はそば屋には寄らず、千砂の隠れ家に向かう。
いなければ、出直せばいいくらいの気持ちでいた。
「千砂、いるか?」
「いるよ」
千砂が顔を出し、霊斬を招き入れる。
「依頼が入った」
「どんな?」
千砂がお茶を出す。
お茶を出してくれた彼女に内心で驚きながらも、霊斬は話を続ける。
「人身売買をしていると噂の、式部家だ」
「家ごとってことかい?」
不快な顔をした千砂は、聞き返した。
「調べてみないと分からんが、おそらくは。敵の人数が分かればいい」
「できたら、人身売買の首謀者も調べてみる」
「どれくらいかかる?」
「三日」
「分かった」
霊斬はお茶を一気に飲み、隠れ家を後にした。
その夜霊斬はたすきをして刀の修理に取りかかっていた。
砥石をだんだん目の細かいものへと、変えていきながら静かに研いでいく。
その間、霊斬は考える。
使い込まれているのに、手入れがいき届いていない。
――なんらかの理由で、それもできなかったのだろうか?
今度聞いてみることにし、霊斬は研ぎ続けた。
同じころ、千砂は忍び装束に身を包み、式部家へ忍び込む。
屋敷の屋根から全体を眺めたとき、入口から数名の女子どもが入ってくるのが見えた。
部屋に入った。屋根裏に入ると、天井を一部ずらして様子を探る。
「今回は少ないな」
女らを品定めしている男が呟く。男の周りには妖艶な恰好で女が二人、侍《はべ》っている。
「だが、上玉もいるなぁ」
嫌な笑みを浮かべた男は、一人の女を強引に抱き寄せる。
残りの女達には去るように命じた。
男は女の叫びを気にせず、身ぐるみはがし始めた。
千砂は女の悲鳴に後ろ髪を引かれつつも、部屋を去った数人の女子どもらを追う。
彼女達が通されたのは座敷牢で、そこには貧しい身分の者達が身を寄せ合って座っていた。
「入れ!」
彼女達を突き飛ばすように中に入れた武家の男は、ぴしゃりと戸を閉める。
僅かに差し込む光で彼女達の表情を見ると、絶望しきった表情をしている。ろくな食事はおろか、水すら与えられていないように思えた。
千砂はこのくらいでいいかと思い、式部家を出る。
翌日の同じ時刻、千砂は再び式部家へ。
敵となりそうな人物がどれだけいるか、屋根裏を音もなく駆け回りながら数える。
奥の様子が気になり見にいくと、座敷牢の奥にいた女達の姿がない。
千砂は暗い顔をして、式部家を去った。
千砂が式部家に侵入するようになって、三日が経った。
その日も同じように、屋根裏から様子を探る。ちょうど、女を品定めしていた男の部屋を通りすぎると、声が聞こえてきた。
千砂はその場に立ち止まり、天井の板をそうっとずらすと、会話に耳を澄ませる。
「それで、女達の様子は?」
「皆、疲れ切っております」
「これから楽しい仕事があるというのに、なんともったいないことよ。のう?」
「そうでございますね」
いかにも楽しそうな男とは正反対に、答える武士の声は冷たかった。
「狂治郎様」
「なんじゃ?」
「いつまでかようなことを、続けるおつもりですか」
「なんじゃと?」
「女子らを売り、里が三つも崩壊しているのですぞ!」
千砂はその内容に驚くと同時に、この武士の勇気を讃えたくなった。
「だからなんだ?」
「もう十分ではございませんか! これ以上続けても意味がありませぬ!」
「黙れ! お前はこの家を出ろ。ただし、このことは決して他言するな」
「……承知いたしました」
千砂は敵が一人減ったことに、少しだけ安堵する。
これ以上女達の悲しい顔を見るのが嫌で、そのまま屋敷を後にした。
そのころ霊斬はというと、刀の研磨を終え、休憩していた。
霊斬は顔をしかめる。
ゆっくりと床に寝転び、依頼のことに頭を巡らす。
しばらくすると、戸を叩く音が聞こえてくる。
「開いているぞ」
霊斬が身を起こして応じると、普段どおりの恰好をした千砂が入ってきた。
「ああ、終わったのか」
霊斬はお茶を入れると、急須と茶碗をふたつのせた盆を用意した。奥の部屋の床に彼女が座ると、その傍らにお茶を置く。
――珍しいこともあるもんだね。
千砂は内心で思いながらも、本心とは別のことを口にした。
「よかったら、これどうぞ」
千砂は手に持っていた、小さな包みを開く。
中には団子が二本、入っていた。
「美味そうだな。いただこう」
霊斬は座ると、団子を一本手に取る。
「最悪な家だった」
「最悪?」
団子を食べている霊斬が尋ねた。
「女子どもを集めて、どこかに売っているのは確かだよ。ちょうど、女達が屋敷に連れ込まれるのを見た。その中でもいい女を見つけると、自分のものにしている」
「それで?」
霊斬は彼女の最悪の意味に気づいて納得し、先を促した。
「敵は式部狂治郎をはじめ、およそ十人。女達の保護は自身番に任せてもいいかい?」
「ああ」
霊斬は団子をつまむ。
二人がお茶を飲み終えると、千砂が店を後にした。
――今回はなにも聞いてこなかったな。
そんなことを思いつつ、霊斬は最後の仕上げに取りかかった。