平穏に隠された負の感情
人身売買《三》
千砂は無言でその場に膝をつくと、立ち上がろうとする霊斬に手を貸した。
霊斬はそれを素直に受け入れ、一歩ずつゆっくりと歩き出す。
診療所に辿り着いた。
霊斬が顔の下半分を覆っている布を下ろしている間に、千砂が戸を叩く。
「誰だ!」
「俺だ」
四柳は不機嫌そうな顔のまま、霊斬を一瞥する。
「しょうがねぇなぁ、入れ」
四柳は奥の部屋まで案内した。
千砂は霊斬を部屋までいくのに手を貸した後、すぐに前の部屋へと戻った。
「ったく、なんで早くこねぇんだよ」
「そうだな、悪い」
四柳の言葉に、霊斬はうなずく。
上着をゆっくりと脱ぐ。
「あーあ、こりゃまた酷いな」
右腕をざっくりと斬られた刀傷を見た四柳が呟く。
「そうかもしれないな」
霊斬は忌々しげに顔を歪めた。
――今になって痛んできた。
四柳は薬研で薬草を混ぜ始めた。
それからしばらくして……。
霊斬の傷は縫われ、きっちりと晒し木綿を巻きつけられた右腕を見下ろす。
「終わったぞ。無茶するなよ。そんな真似したら、きっと傷が開くからな?」
「分かった」
霊斬は布団に横になったまま、うなずいた。
四柳が掛布団をかけてやると、霊斬は首だけ動かして襖の方を見た。
四柳は前の部屋へいき、頭巾を外した千砂に声をかけた。
「終わったぞ、待たせて悪かったな」
「気にしないでおくれ」
千砂は苦笑して言うと、部屋の中に入ってきた。
「霊斬、どうだい?」
「痛む」
霊斬は痛みなど、感じさせないように苦笑する。
「強がったって、いいことはないよ?」
霊斬の強がりを、見抜いていた千砂が言った。
「ばれたか」
霊斬は顔をしかめ、ふうっと息を吐いた。
「相当、痛むだろ?」
「ああ。動いていなくても痛みが引かん」
「無傷で依頼をこなしてほしいところだけど、本人は嫌のようだし?」
千砂が苦笑する。
「嫌に決まっているだろう。そんなことできるわけがない」
霊斬はじろりと、千砂を睨みつける。
「そう怒らないで? なにも無理にしろって言ってないんだから」
千砂は心外なという顔をした。
数日後、依頼人の武士が店を訪れる。
「よくやった。捕らえられていた女子どもらも、無事に保護されたようだな」
小判十両を渡してくる。
霊斬は黙って袖に仕舞うと、武士は店を去った。
霊斬は隠し棚から黒刀を出す。その奥にあるさらに小さな隠し棚に手を伸ばす。
板を外すとひとつの黒い箱を出す。蓋を開けると、今までの依頼で受け取った金がそのまま入っていた。先ほどもらった小判十両を加え、元ある場所へ仕舞った。
依頼人が去った後、霊斬は痛む身体をゆっくりと動かして、二階へ向かう。
くるまでは起きていたが。右腕が訴える痛みに逆らうことができず、布団に倒れ込む。
初日に比べれば、動けるだけましだ。初日などはまともに動けなかった。
一日中、横になっているしかない。痛みが酷く、眠れもしなかった。落ち着いてきたのか、少し眠れるようになってきていた。
誰かが階段を上ってくる足音がする。相手が分かっていたが、念のため、霊斬は部屋の入口に視線を向ける。
階段を上ってきたのは、千砂だった。普段どおりの恰好をして、倒れ込んでいる霊斬を見て目を丸くする。
「大丈夫かい?」
「なんとかな」
霊斬は首だけを動かして、うなずいた。
「あれからどうだい? 少しはましになったかい?」
「少し眠れるようになった。見舞いにでもきたのか?」
「そりゃ、なにより。そうだよ」
千砂は安堵したように笑った。
霊斬は痛みを誤魔化すためか、ふうっと息を吐く。
首だけ動かして天井を睨む。
こうも自分の思いどおりに動かないとなると、苛立ちしか生まれてこない。
霊斬は顔をぎゅっとしかめ、震える息を吐き出す。
その様子を見ていた千砂は、よほど傷が痛むのだろうと感じ、胸を痛めた。傍にいることしかできない自分を呪いたくなる。
「千砂……」
「なんだい?」
「なにもできないからという理由で、自分を呪うな」
千砂が辛そうな顔をしていたのを見ていた霊斬が、口を開いた。
「……っ!」
千砂はただ目を見開くことしかできない。
霊斬の目は誤魔化せない。改めてそう思った瞬間だった。
「こういうとき、誰かがいてくれるだけで。ほんの少しでも、身体の痛みを忘れられるものなんだよ」
霊斬は静かな声で言う。
「……そうなのかい?」
「ああ」
霊斬は痛みを押し殺しながらも、笑みを見せた。
「ありがとう」
霊斬はそれを素直に受け入れ、一歩ずつゆっくりと歩き出す。
診療所に辿り着いた。
霊斬が顔の下半分を覆っている布を下ろしている間に、千砂が戸を叩く。
「誰だ!」
「俺だ」
四柳は不機嫌そうな顔のまま、霊斬を一瞥する。
「しょうがねぇなぁ、入れ」
四柳は奥の部屋まで案内した。
千砂は霊斬を部屋までいくのに手を貸した後、すぐに前の部屋へと戻った。
「ったく、なんで早くこねぇんだよ」
「そうだな、悪い」
四柳の言葉に、霊斬はうなずく。
上着をゆっくりと脱ぐ。
「あーあ、こりゃまた酷いな」
右腕をざっくりと斬られた刀傷を見た四柳が呟く。
「そうかもしれないな」
霊斬は忌々しげに顔を歪めた。
――今になって痛んできた。
四柳は薬研で薬草を混ぜ始めた。
それからしばらくして……。
霊斬の傷は縫われ、きっちりと晒し木綿を巻きつけられた右腕を見下ろす。
「終わったぞ。無茶するなよ。そんな真似したら、きっと傷が開くからな?」
「分かった」
霊斬は布団に横になったまま、うなずいた。
四柳が掛布団をかけてやると、霊斬は首だけ動かして襖の方を見た。
四柳は前の部屋へいき、頭巾を外した千砂に声をかけた。
「終わったぞ、待たせて悪かったな」
「気にしないでおくれ」
千砂は苦笑して言うと、部屋の中に入ってきた。
「霊斬、どうだい?」
「痛む」
霊斬は痛みなど、感じさせないように苦笑する。
「強がったって、いいことはないよ?」
霊斬の強がりを、見抜いていた千砂が言った。
「ばれたか」
霊斬は顔をしかめ、ふうっと息を吐いた。
「相当、痛むだろ?」
「ああ。動いていなくても痛みが引かん」
「無傷で依頼をこなしてほしいところだけど、本人は嫌のようだし?」
千砂が苦笑する。
「嫌に決まっているだろう。そんなことできるわけがない」
霊斬はじろりと、千砂を睨みつける。
「そう怒らないで? なにも無理にしろって言ってないんだから」
千砂は心外なという顔をした。
数日後、依頼人の武士が店を訪れる。
「よくやった。捕らえられていた女子どもらも、無事に保護されたようだな」
小判十両を渡してくる。
霊斬は黙って袖に仕舞うと、武士は店を去った。
霊斬は隠し棚から黒刀を出す。その奥にあるさらに小さな隠し棚に手を伸ばす。
板を外すとひとつの黒い箱を出す。蓋を開けると、今までの依頼で受け取った金がそのまま入っていた。先ほどもらった小判十両を加え、元ある場所へ仕舞った。
依頼人が去った後、霊斬は痛む身体をゆっくりと動かして、二階へ向かう。
くるまでは起きていたが。右腕が訴える痛みに逆らうことができず、布団に倒れ込む。
初日に比べれば、動けるだけましだ。初日などはまともに動けなかった。
一日中、横になっているしかない。痛みが酷く、眠れもしなかった。落ち着いてきたのか、少し眠れるようになってきていた。
誰かが階段を上ってくる足音がする。相手が分かっていたが、念のため、霊斬は部屋の入口に視線を向ける。
階段を上ってきたのは、千砂だった。普段どおりの恰好をして、倒れ込んでいる霊斬を見て目を丸くする。
「大丈夫かい?」
「なんとかな」
霊斬は首だけを動かして、うなずいた。
「あれからどうだい? 少しはましになったかい?」
「少し眠れるようになった。見舞いにでもきたのか?」
「そりゃ、なにより。そうだよ」
千砂は安堵したように笑った。
霊斬は痛みを誤魔化すためか、ふうっと息を吐く。
首だけ動かして天井を睨む。
こうも自分の思いどおりに動かないとなると、苛立ちしか生まれてこない。
霊斬は顔をぎゅっとしかめ、震える息を吐き出す。
その様子を見ていた千砂は、よほど傷が痛むのだろうと感じ、胸を痛めた。傍にいることしかできない自分を呪いたくなる。
「千砂……」
「なんだい?」
「なにもできないからという理由で、自分を呪うな」
千砂が辛そうな顔をしていたのを見ていた霊斬が、口を開いた。
「……っ!」
千砂はただ目を見開くことしかできない。
霊斬の目は誤魔化せない。改めてそう思った瞬間だった。
「こういうとき、誰かがいてくれるだけで。ほんの少しでも、身体の痛みを忘れられるものなんだよ」
霊斬は静かな声で言う。
「……そうなのかい?」
「ああ」
霊斬は痛みを押し殺しながらも、笑みを見せた。
「ありがとう」