平穏に隠された負の感情
第八章
鍛冶屋の異変《一》
それから一月後のある日。霊斬の怪我は先の依頼を受けた直後に比べだいぶ回復し、動けるようになっていた。
霊斬は店を開けずに、奥の部屋の床に座ってぼんやりとしていた。
戸をどんどんと叩く音が聞こえてくる。
「開いている」
霊斬が不満げに応じると、慌てた様子の喜助が入ってきた。
「幻鷲!」
「なんだ? 騒がしい」
霊斬は不機嫌そうに喜助を眺める。
「俺の店の商品が……全部売れた」
「ほう、それはよかったな。……今、全部って言ったか?」
霊斬は流そうとして、もう一度聞き返す。
「装飾品を含めて全部さ」
喜助は相変わらず困ったのか、今にも泣きそうな子どものような顔をしている。
――そんな情けない顔するなよ。
と思いながら霊斬は、話を続ける。
「お前の刀の価値はどれくらいだ?」
「店にあるのはほとんど足軽が使うような、雑刀ばかりさ。銭……よくて銀くらいだ」
「商品は足りているのか?」
「あっても刀の二、三本だ。装飾品は注文すれば届くだろうけれど、それでも数日かかる。新しい刀を作って前のように商売するには、一月以上かかるんじゃねぇかな」
「金は足りるが、時が足りないのか……。買い取っていったのはいつだ?」
「今し方だ。これからあくせく働かないと、追いつかねぇよ~」
「そうか」
「なぁ、幻鷲」
「なんだ?」
「本当にいるのかな? 〝因縁引受人〟」
「どうしてそんなことを?」
「今の状況、一人ならどうにでもなった。だがな、家族がいる。
店にあるもんが全部売れたからって、急激に潤うわけじゃない。金は毎日出ていく。
自分でなんとかしなきゃいけねぇのは、分かってる。でも、どうしようもねぇんだよ。
毎日、少しずつ売れてくれれば、家族も困らずに暮らしていけたんだ! それなのに。こんな日がくるとはなぁ……」
――これは喜助に限った話ではないかもしれない。
霊斬は勘に頼り、喜助に尋ねる。
「修理前の刀はあるか?」
喜助はきょとんとした。
「え? あるけど……?」
「それを持って、今夜この近くにある袋小路にいくといい」
「なんでだよ?」
「〝因縁引受人〟に会えるかもしれない」
「ありがとうな、幻鷲!」
喜助は顔を輝かせて礼を言うと、慌ただしく出ていった。
――本当に、うるさい奴だ。
霊斬は溜息混じりに笑った。
それからしばらくして、霊斬はそば屋へ向かう。
「いらっしゃい!」
そば屋では〝因縁引受人〟の話題で持ちきりだった。
常連客の一人が霊斬に声をかけてくる。
「幻鷲さん! 今朝の瓦版、見たか?」
「見ていないが、なにを騒いでいる?」
「〝因縁引受人、人身売買に終止符、打つ〟だってさ!」
霊斬ははしゃいでいる常連客の話を流し、いつもの席に着く。
「会ってみたいな、〝因縁引受人〟」
「どんな人なんだろうな」
「男だと思う? それとも女か?」
「男だと思う」
「女だったら意外だよな」
と想像の〝因縁引受人〟の話題に花が咲く。
こうも盛り上がってしまうと、霊斬の肩身が狭くなる。
「はぁ……」
霊斬は思わず、溜息を吐く。
「どうぞ。元気出してください」
千砂がお茶とともに、そばを持ってくる。
「ああ」
千砂が小声で言う。
「あたしだって、溜息を吐きたいぐらいさ」
その言葉に苦笑した霊斬は、そばを啜る。
そんな霊斬に常連客の一人が声をかけてくる。
「幻鷲さん、ちょいといいかい?」
「なんだ?」
「喜助のこと、聞いたか?」
「商品が一気に売れたって話か」
「ああ。実は僕のところも、そうなったんだ。幻鷲さんのところは大丈夫かい?」
「俺は幸い、いつもと同じだ」
「自分がなんとかするしかないんだよな。独り身でよかったよ」
「そうか。頑張れよ」
その常連客は離れた。
霊斬は無言でそばを啜った。
その帰り道、どこかに走っていく岡っ引きに、声をかけられる。
「刀屋! ちょっと退いてくれ!」
「そんなに慌てて、どうしたんですか?」
霊斬は道を譲って、声をかける。
「近くの鍛冶屋に骸がある、って言うんでな。旦那に呼ばれたんだよ」
「そうですか」
霊斬は岡っ引きと別れた。
霊斬はその足で、骸があるという鍛冶屋に向かう。
物陰に身を隠しながら、鍛冶屋を眺める。
岡っ引きと定町廻り同心の会話に耳を澄ませた。
「こりゃあ……ひでぇ」
現場を見た岡っ引きの一言。
「そうだな」
骸の近くにしゃがみ込み、観察していた定町廻り同心が同意。
背中から刀で斬りつけられ、うつ伏せの状態で骸が転がる。地面には夥《おびただ》しい鮮血が流れている。
「商品はひとつも残っていないのか?」
「へ、へえ」
店の中を見た岡っ引きがうなずく。
「盗みにでも入られたか……? うん?」
定町廻り同心は骸の陰から、なにかが入った袋を見つける。ずしりと重いそれを持ち上げ、中身を見ると大量の銭と少量の銀が入っていた。
「商品をすべて、買い込んだ……?」
定町廻り同心は、難しい顔をして考え込んだ。
骸となった人物の顔をよく見ると、昼間そば屋で話をした独り身の男であった。
霊斬は複雑な思いを抱えたまま、死因を推測する。
――今のところは、斬られたことによる出血死か。
霊斬はその場から静かに去った。
霊斬は店を開けずに、奥の部屋の床に座ってぼんやりとしていた。
戸をどんどんと叩く音が聞こえてくる。
「開いている」
霊斬が不満げに応じると、慌てた様子の喜助が入ってきた。
「幻鷲!」
「なんだ? 騒がしい」
霊斬は不機嫌そうに喜助を眺める。
「俺の店の商品が……全部売れた」
「ほう、それはよかったな。……今、全部って言ったか?」
霊斬は流そうとして、もう一度聞き返す。
「装飾品を含めて全部さ」
喜助は相変わらず困ったのか、今にも泣きそうな子どものような顔をしている。
――そんな情けない顔するなよ。
と思いながら霊斬は、話を続ける。
「お前の刀の価値はどれくらいだ?」
「店にあるのはほとんど足軽が使うような、雑刀ばかりさ。銭……よくて銀くらいだ」
「商品は足りているのか?」
「あっても刀の二、三本だ。装飾品は注文すれば届くだろうけれど、それでも数日かかる。新しい刀を作って前のように商売するには、一月以上かかるんじゃねぇかな」
「金は足りるが、時が足りないのか……。買い取っていったのはいつだ?」
「今し方だ。これからあくせく働かないと、追いつかねぇよ~」
「そうか」
「なぁ、幻鷲」
「なんだ?」
「本当にいるのかな? 〝因縁引受人〟」
「どうしてそんなことを?」
「今の状況、一人ならどうにでもなった。だがな、家族がいる。
店にあるもんが全部売れたからって、急激に潤うわけじゃない。金は毎日出ていく。
自分でなんとかしなきゃいけねぇのは、分かってる。でも、どうしようもねぇんだよ。
毎日、少しずつ売れてくれれば、家族も困らずに暮らしていけたんだ! それなのに。こんな日がくるとはなぁ……」
――これは喜助に限った話ではないかもしれない。
霊斬は勘に頼り、喜助に尋ねる。
「修理前の刀はあるか?」
喜助はきょとんとした。
「え? あるけど……?」
「それを持って、今夜この近くにある袋小路にいくといい」
「なんでだよ?」
「〝因縁引受人〟に会えるかもしれない」
「ありがとうな、幻鷲!」
喜助は顔を輝かせて礼を言うと、慌ただしく出ていった。
――本当に、うるさい奴だ。
霊斬は溜息混じりに笑った。
それからしばらくして、霊斬はそば屋へ向かう。
「いらっしゃい!」
そば屋では〝因縁引受人〟の話題で持ちきりだった。
常連客の一人が霊斬に声をかけてくる。
「幻鷲さん! 今朝の瓦版、見たか?」
「見ていないが、なにを騒いでいる?」
「〝因縁引受人、人身売買に終止符、打つ〟だってさ!」
霊斬ははしゃいでいる常連客の話を流し、いつもの席に着く。
「会ってみたいな、〝因縁引受人〟」
「どんな人なんだろうな」
「男だと思う? それとも女か?」
「男だと思う」
「女だったら意外だよな」
と想像の〝因縁引受人〟の話題に花が咲く。
こうも盛り上がってしまうと、霊斬の肩身が狭くなる。
「はぁ……」
霊斬は思わず、溜息を吐く。
「どうぞ。元気出してください」
千砂がお茶とともに、そばを持ってくる。
「ああ」
千砂が小声で言う。
「あたしだって、溜息を吐きたいぐらいさ」
その言葉に苦笑した霊斬は、そばを啜る。
そんな霊斬に常連客の一人が声をかけてくる。
「幻鷲さん、ちょいといいかい?」
「なんだ?」
「喜助のこと、聞いたか?」
「商品が一気に売れたって話か」
「ああ。実は僕のところも、そうなったんだ。幻鷲さんのところは大丈夫かい?」
「俺は幸い、いつもと同じだ」
「自分がなんとかするしかないんだよな。独り身でよかったよ」
「そうか。頑張れよ」
その常連客は離れた。
霊斬は無言でそばを啜った。
その帰り道、どこかに走っていく岡っ引きに、声をかけられる。
「刀屋! ちょっと退いてくれ!」
「そんなに慌てて、どうしたんですか?」
霊斬は道を譲って、声をかける。
「近くの鍛冶屋に骸がある、って言うんでな。旦那に呼ばれたんだよ」
「そうですか」
霊斬は岡っ引きと別れた。
霊斬はその足で、骸があるという鍛冶屋に向かう。
物陰に身を隠しながら、鍛冶屋を眺める。
岡っ引きと定町廻り同心の会話に耳を澄ませた。
「こりゃあ……ひでぇ」
現場を見た岡っ引きの一言。
「そうだな」
骸の近くにしゃがみ込み、観察していた定町廻り同心が同意。
背中から刀で斬りつけられ、うつ伏せの状態で骸が転がる。地面には夥《おびただ》しい鮮血が流れている。
「商品はひとつも残っていないのか?」
「へ、へえ」
店の中を見た岡っ引きがうなずく。
「盗みにでも入られたか……? うん?」
定町廻り同心は骸の陰から、なにかが入った袋を見つける。ずしりと重いそれを持ち上げ、中身を見ると大量の銭と少量の銀が入っていた。
「商品をすべて、買い込んだ……?」
定町廻り同心は、難しい顔をして考え込んだ。
骸となった人物の顔をよく見ると、昼間そば屋で話をした独り身の男であった。
霊斬は複雑な思いを抱えたまま、死因を推測する。
――今のところは、斬られたことによる出血死か。
霊斬はその場から静かに去った。