平穏に隠された負の感情
違和感《二》
「幻鷲の旦那は、真面目だからな!」
「鍛冶町に住んでるのに、偏屈じゃあねぇしよ」
その一言で周囲がどっと笑いだした。
「そう見えるか?」
霊斬はそれに負けないよう、声を張り上げる。
「おうよ! 真面目じゃなきゃ、鍛冶なんてできねぇだろ!」
「まあ、人によるかもしれないが」
「嫁になりたいって女は多いだろ? なんで一人も迎えないんだ?」
お茶を飲みながら、上機嫌な客が尋ねてくる。
「家に誰かがずっといるのは勘弁してほしいんだよ」
――何より、俺は誰かを守ったり、誰かを想えない。
内心とは裏腹に、霊斬は苦笑した。
「ふうん。偏屈じゃなくても、変わり者なのは間違いねぇな」
「よ、変わり者の旦那!」
「そんなんで、盛り上がるんじゃねぇよ」
席を立って叫んだ男の前までいき、頭を軽く叩いた。
それでも、お互いに笑っていた。
そばを流し込み、霊斬は店を出た。
店に戻り、少し眠った。
預かった刀を直しながら、違和感を覚えた。
――どうしてあの武士は、名乗りもせずに修理を依頼した?
刀の状態もそこまで悪くない。霊斬が七日と猶予を持たせたのは、その武士が怪しかったせい。
それに修理だけで、あれほどの金を出したことも気になる。
武士の放った一言からも、霊斬の別の顔を知っているような気がした。
――疑問はいくつもあるが、そればかりを考えるわけにもいくまい。
霊斬は刀を直す手を早めた。
刀を直し終えて、伸びをすると霊斬は夜が明けていることに気づく。差し込んでくる日の光を浴びて、僅かに目を細めた。
よくあることなので気にならない。少ししか寝ていないので、さすがに疲れが溜まる。眠気覚ましに顔を洗って、仕事を再開した。
平穏な世だからこそ、嫉妬、憎悪といった闇が表面化してきているのだろう。
下手人、斬られた者、遺された家族。下手人はもちろん危険だが、さらに危険なのは、遺された家族ではないか。
下手人を憎むだけならいい。手を下せば、必ず後悔する。罪の重さに耐えきれず、自死を選ぶしかなくなる。いいことなどひとつもない。自分のことが可愛い人が大半だから、心が保てなくなってしまう。
かなり前だが、そういう状態になって自死した男を、見たことがある。復讐のために準備をし、それを達成してもなにも報われず、泣き喚きながら死んだ。
その死を受けて霊斬は、哀しい負の連鎖に取り込まれ、狂ってしまったのだと思った。
人を憎むだけなら誰でもできる。人を殺めるともなれば、誰もができることではない。ただ一人を殺めるためだけに、自らの人生を捧げる。
そんなことをしても、誰一人喜ばないのにもかかわらず。やられずにはいられなくなる。
実行する前に、その想いを吐き出す場所。そして、自らの手を穢す前に、頼れるところがひとつでもあれば。自分の心に、折り合いをつける機会を与えれば、止められるのではないか。
方法はこの世のありとあらゆる闇を、人を殺めないことを条件に肩代わりする。普通の人では耐えきれない、苦痛と罪の重さを代わりに引き受ける。哀しい連鎖に取り込まれる人を一人でも減らすために。
裏の世では〝因縁引受人〟。あるいは見えないものを斬るという意味で、〝霊斬〟の名で知られている。
依頼人が金を持っているのであれば、報酬として受け取る。なければ無償で行う。
ただし依頼人に二度と後悔しない、と堅く約束させる。それと、刀の修理を以て。
その日の夜、霊斬は黒の長着と、同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、同色の羽織を着る。懐に短刀を仕舞う。黒の布で鼻と口を隠すと、武家屋敷に足を向けた。
手がかりを得ようと屋根裏に潜り込む。
一番賑やかな部屋の襖を僅かに開け、様子を窺う。
酒を呑み、ある男の愚痴で持ちきりだ。そこには刀の修理を頼んでいった男の姿もあった。商売柄か、人の顔は憶えてしまう。
その男は太刀を持っていたため、修理した刀の持ち主は別にいる。
霊斬はその場から離れた。
屋敷の屋根に腰かけ、考え込む。調べにきたものの、謎が深まるばかり。
――どうしたらいいもんかな……。
霊斬は曇天の空を眺めながら、店に戻った。
翌日の夕方、曇天の空を睨みつけた霊斬。
そんな彼が出かけようとしたときに、文を見つけた。
手に取って見ると、可愛らしい字が目を惹いた。
『依頼をしてきた男は園田綱吉。刀の持ち主は富川義徳。園田家とは主従関係にある。信じれば、此度で死ぬことはない』
「いったい誰が……?」
霊斬は首をかしげることしかできなかった。
霊斬は謎の文について考えるのをやめ、修理を始めた。刀部屋にこもる日々が始まる。
入ってすぐに目につくのは、箱鞴と鉄床。その右側には水桶と金箸がある。
それらを避けるように空いた、真ん中の空間に腰を下ろす。
袖をたすきで縛ると、慣れた手つきで刀を手に取って作業を始めた。
「鍛冶町に住んでるのに、偏屈じゃあねぇしよ」
その一言で周囲がどっと笑いだした。
「そう見えるか?」
霊斬はそれに負けないよう、声を張り上げる。
「おうよ! 真面目じゃなきゃ、鍛冶なんてできねぇだろ!」
「まあ、人によるかもしれないが」
「嫁になりたいって女は多いだろ? なんで一人も迎えないんだ?」
お茶を飲みながら、上機嫌な客が尋ねてくる。
「家に誰かがずっといるのは勘弁してほしいんだよ」
――何より、俺は誰かを守ったり、誰かを想えない。
内心とは裏腹に、霊斬は苦笑した。
「ふうん。偏屈じゃなくても、変わり者なのは間違いねぇな」
「よ、変わり者の旦那!」
「そんなんで、盛り上がるんじゃねぇよ」
席を立って叫んだ男の前までいき、頭を軽く叩いた。
それでも、お互いに笑っていた。
そばを流し込み、霊斬は店を出た。
店に戻り、少し眠った。
預かった刀を直しながら、違和感を覚えた。
――どうしてあの武士は、名乗りもせずに修理を依頼した?
刀の状態もそこまで悪くない。霊斬が七日と猶予を持たせたのは、その武士が怪しかったせい。
それに修理だけで、あれほどの金を出したことも気になる。
武士の放った一言からも、霊斬の別の顔を知っているような気がした。
――疑問はいくつもあるが、そればかりを考えるわけにもいくまい。
霊斬は刀を直す手を早めた。
刀を直し終えて、伸びをすると霊斬は夜が明けていることに気づく。差し込んでくる日の光を浴びて、僅かに目を細めた。
よくあることなので気にならない。少ししか寝ていないので、さすがに疲れが溜まる。眠気覚ましに顔を洗って、仕事を再開した。
平穏な世だからこそ、嫉妬、憎悪といった闇が表面化してきているのだろう。
下手人、斬られた者、遺された家族。下手人はもちろん危険だが、さらに危険なのは、遺された家族ではないか。
下手人を憎むだけならいい。手を下せば、必ず後悔する。罪の重さに耐えきれず、自死を選ぶしかなくなる。いいことなどひとつもない。自分のことが可愛い人が大半だから、心が保てなくなってしまう。
かなり前だが、そういう状態になって自死した男を、見たことがある。復讐のために準備をし、それを達成してもなにも報われず、泣き喚きながら死んだ。
その死を受けて霊斬は、哀しい負の連鎖に取り込まれ、狂ってしまったのだと思った。
人を憎むだけなら誰でもできる。人を殺めるともなれば、誰もができることではない。ただ一人を殺めるためだけに、自らの人生を捧げる。
そんなことをしても、誰一人喜ばないのにもかかわらず。やられずにはいられなくなる。
実行する前に、その想いを吐き出す場所。そして、自らの手を穢す前に、頼れるところがひとつでもあれば。自分の心に、折り合いをつける機会を与えれば、止められるのではないか。
方法はこの世のありとあらゆる闇を、人を殺めないことを条件に肩代わりする。普通の人では耐えきれない、苦痛と罪の重さを代わりに引き受ける。哀しい連鎖に取り込まれる人を一人でも減らすために。
裏の世では〝因縁引受人〟。あるいは見えないものを斬るという意味で、〝霊斬〟の名で知られている。
依頼人が金を持っているのであれば、報酬として受け取る。なければ無償で行う。
ただし依頼人に二度と後悔しない、と堅く約束させる。それと、刀の修理を以て。
その日の夜、霊斬は黒の長着と、同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、同色の羽織を着る。懐に短刀を仕舞う。黒の布で鼻と口を隠すと、武家屋敷に足を向けた。
手がかりを得ようと屋根裏に潜り込む。
一番賑やかな部屋の襖を僅かに開け、様子を窺う。
酒を呑み、ある男の愚痴で持ちきりだ。そこには刀の修理を頼んでいった男の姿もあった。商売柄か、人の顔は憶えてしまう。
その男は太刀を持っていたため、修理した刀の持ち主は別にいる。
霊斬はその場から離れた。
屋敷の屋根に腰かけ、考え込む。調べにきたものの、謎が深まるばかり。
――どうしたらいいもんかな……。
霊斬は曇天の空を眺めながら、店に戻った。
翌日の夕方、曇天の空を睨みつけた霊斬。
そんな彼が出かけようとしたときに、文を見つけた。
手に取って見ると、可愛らしい字が目を惹いた。
『依頼をしてきた男は園田綱吉。刀の持ち主は富川義徳。園田家とは主従関係にある。信じれば、此度で死ぬことはない』
「いったい誰が……?」
霊斬は首をかしげることしかできなかった。
霊斬は謎の文について考えるのをやめ、修理を始めた。刀部屋にこもる日々が始まる。
入ってすぐに目につくのは、箱鞴と鉄床。その右側には水桶と金箸がある。
それらを避けるように空いた、真ん中の空間に腰を下ろす。
袖をたすきで縛ると、慣れた手つきで刀を手に取って作業を始めた。