平穏に隠された負の感情

身分を越えた恨み《五》

「家を保つには、それしかなかったんじゃ!」
「体面ばかり気にするから、このような結果を招く! 貴様の思いどおりにはならん!」
「そこまで言うのか。ならば……」
 重五郎が刀に手をかけた。
 霊斬は黒刀を引き、静かに構えた。
 誰の合図もなしに、同時に斬り込む。
 霊斬は左肩、重五郎は右肩から血を流す。
 それでも両者の動きは止まらない。
 男はすぐに己との力の差に感づいた。
 こちらが斬ろうと思って繰り出している攻撃が躱される。
 自分を斬らないよう、ぎりぎりのところで斬りかかってくる。
 いっそ一息に斬ってほしいと、懇願したくなるような苦痛に苛ませるつもりなのかと。
 斬らないなどという芸当。見せられてしまったら、もう二度と刀は持つまい。そう思ってしまった。
 こちらの方が有利であるのに、それを感じさせない動きと並々ならぬ殺意。相手が負傷しているのに、それを感じないのだ。
 霊斬は宙に投げた黒刀を右手で受け取り、逆手に構え、下から斬り上げた。新たな鮮血が飛ぶ。
 斬り結ぶたびに、全身から鮮血が噴出する。
 それでもお互い動きは止めない。
 片方は斬る、もう片方は斬らない。
 そんな主張の異なる刃が、斬り合いを繰り広げる。
 突き出された刀を右肩で受け止めた霊斬は、痛みに顔をしかめ、黒刀を薙ぐ。
 両腕に赤い筋が刻まれ、鮮血が噴き出す。
 鍔迫り合いの状態になったが、互いに一歩も引かなかった。
「くっ!」
 霊斬は痛みを堪えながら重五郎の刀を弾き返し、急所を外して腹を斬り裂く。
 重五郎は怯んだが、体勢を立て直し、再度左肩を斬りつけてきた。
 その攻撃を受けた霊斬は、血を吐く。
 重五郎も血を吐きながら、動きは止めない。
 再度攻撃を繰り出す。
 それを霊斬が、なんとか防ぐ。
 かなり出血しているのもあり、僅かにふらついた霊斬。
 重五郎からの下から切り上げた攻撃を、腹に受けてしまい、新たな鮮血が飛び散る。
 霊斬は仕返しとばかりに、左脚を刺し貫く。
 お互いの鮮血で染まりあいながら、先に動きを止めたのは重五郎。畳に膝をついた。
「……せめて、死を」
「断る」
 霊斬はその懇願を、冷ややかな言葉で返す。
 死なないぎりぎりのところまで、追い詰める。
 霊斬は全身に傷を負いながらも、なんとか立っていた。
 ピーッと笛の音が聞こえてくる。
「自身番がくる。事実のみを話せ」
 霊斬は口許をぐいっと手の甲で拭う。
 鼻と口を布で隠し、脚を引き摺りながら、その場を去った。
 それまでの光景を見ていた千砂は、胸を痛めながらその場を後にした。
 
 そのころ、かなりの雨が降っていた。
 利津家の帰り道、霊斬を見つけた千砂は、呼び止めた。
「霊斬」
「きていたのか」
 霊斬は黒刀を杖代わりにして、なんとか歩いていた。
 千砂は雨に血に、(まみ)れるのも構わず、霊斬の左腕を肩に回す。
「汚れるぞ」
「うるさい」
 千砂はぼそっと吐き捨てた。
 霊斬は思わず、布の下で苦笑する。
 二人ともびしょ濡れになりながら、四柳のいる場所までゆっくりと確実に歩いていく。
 
 やっとの思いで四柳の診療所に、辿り着くと霊斬が戸を叩く。
「なんだってんだよ!」
 怒鳴った四柳は、霊斬の様子を見て顔色を変える。
「すぐに奥へ」
 千砂は霊斬を運んだ後、前の部屋で待つことになった。
 
「今回は一段と派手にやったな」
 全身血塗れで、ずぶ濡れの霊斬を見るなり、四柳が呆れる。
「刀傷だけだ」
「多すぎだ、馬鹿野郎」
 四柳がそんな突っ込みを入れる。
 霊斬はなんとか上着を脱ぐ。複数の真新しい刀傷が目を引いた。
 左肩に二か所、右肩から腕にかけて無造作に傷つけられた刀傷が複数。左肩から腕も同様。腹にも新しい刀傷がある。
 両脚の裾をまくると、痛々しい刀傷がある。
「頼む」
「喋るなよ」
 四柳は傷を縫う。
 薬草を塗り込んだ布を当て、晒し木綿で巻くまでを慣れた手つきでこなした。それでもだいぶかかった。
 傷を縫っている間は、彼にとっても苦痛だったはず。霊斬はなんとか堪えてみせた。
「終わった」
 四柳は霊斬に、布団をかける。
「そうか」

「嬢ちゃん、入っていいぞ」
 その声を聞いた千砂が、そうっと入ってくる。
 霊斬は横になったまま、首だけを向けた。
「大丈夫かい?」
「なんとかな」
「相変わらず、そっけない返事だねぇ」
「悪いか?」
「いや、あんたらしいと思っただけさ」
 このとき四柳が静かに部屋を去っていたが、二人は気づかなかった。
 
「……どうして利津家の家族の様子まで、調べさせたんだい?」
 千砂は重苦しい沈黙の中、切り出した。
「言ってしまえば、勘だ。情報は多いに越したことはない。……短い間だったが、そこで暮らしていたからだ」
「え……」
 霊斬が静かな声で語った。
「最初は忘れていた。利津家という名を聞いた瞬間、嫌な予感がした。何故か分からず、困惑するばかりだった」
「それでいつ、思い出したんだい?」
「雑魚どもの相手をしているとき、納屋が目に入った。それから中庭。それらを見た瞬間に、思い出した」
「……そうかい」
 霊斬が溜息を吐く。
 「……俺はかつての兄の顔を見て、気が変わった。こいつだけでも斬らなければ、と。
 憎い相手だ、当然だよな。いくら人の死を、闇を、背負っても構わない。俺は己の道を()くだけだ」
「兄を斬って気が済んだ、なんて顔をしていないよ? まだまだ言いたいことがありそうな顔をしているけれど?」
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