平穏に隠された負の感情
侵される日常《二》
そのまま依頼人の部屋を探し、様子を見にいくことに。
「ああ! いらいらする!」
依頼人の怒号で部屋の位置を割り出した千砂。
天井の板をずらして様子を見る。
依頼人は部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。
今の生活に嫌気がさしていることは、その態度で分かった。
――七日、意地でも我慢してもらわないとね。
千砂は屋敷を後にした。
翌日、同じ時刻、千砂は再び宗崎家に忍び込む。
従六の部屋に向かう。
「旦那様」
「なんだ?」
「夕餉の支度が整いましたが、こちらでお召し上がりに?」
「ああ」
「かしこまりました」
襖が閉まる音が聞こえる。
「一人の方が落ち着くなぁ」
その独り言を聞いた千砂は、妻も嫌になったのかねと、思わずにはいられなかった。
千砂は依頼人の部屋へ向かい、天井の板をずらす。
部屋がかなり汚いと分かり、首をかしげる。
――昨晩、発狂でもしたのだろうか?
そう思わせるに足るほど、部屋は荒れている。あれでは足の踏み場も、ないだろう。ぐちゃぐちゃになった部屋の真ん中に、依頼人が座っていた。
「疲れた」
それはそうだろう。あれだけのものを、引っ張り出したのだから。
千砂は屋敷を後にした。
霊斬は依頼された刀の、修理をしている。
切れ味を元に戻そうと、粗めの砥石を使って丁寧に研ぐ。今度は目の細かい砥石に切り替え、同じように研ぐ。丁寧に仕上げる。
「よし」
霊斬はその出来に納得すると、鞘に仕舞った。
翌日隠れ家を訪れると、千砂がお茶を飲んでいた。
「どうしたんだい?」
「調べは?」
霊斬は静かな声で聞く。
「ついたよ」
千砂はお茶を飲む。
「ならさっさと」
「まあ、そう焦りなさんな」
千砂は霊斬の言葉を遮り、お茶を出す。
「……それで?」
霊斬がお茶を飲みながら尋ねる。
「依頼人も宗崎従六も最低な男だったよ」
「というと?」
霊斬が先を促す。
「依頼人はどうにかならないかって、部屋のものに当たってる。宗崎の方は、夫婦仲、兄弟仲、ともに冷え切っているようでね」
「想像以上だな」
霊斬は溜息を吐き、お茶を飲む。
話の内容とは裏腹に、のほほんとした空気が漂う。
「念のため数日、夜だけ少し様子を見るかい?」
霊斬は考え込む。
「……いや、いい。それでお前が身体を壊すのは困る」
「おや? 一応、心配してくれるんだね」
「そりゃな」
霊斬はそっけなく言って、お茶を飲んだ。
それから数日後、依頼人が店を訪れる。
「そういえば、これを忘れていました」
武士は小判五両を渡す。
霊斬は黙ってそれを袖に仕舞い、代わりに修理した刀を差し出す。
依頼人は出来を見もせず、腰に帯びる。
「刀に血がついておりましたが、なにかあったのですか?」
「なんでもありません。それで、従六のことは調べがついたのですか?」
霊斬は静かな声で答える。
「大方は、ですが」
「そなたから見て、従六はどのような人だと思いますか?」
武士がどこか嬉しそうな顔をした。
「最低な男です」
嬉しそうにする問いがそれかと、内心で呆れながらも霊斬は答える。
「そうですか」
武士はその言葉を聞いて、嬉しそうに店を出ていった。
決行当日。霊斬は黒の長着と、同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、黒の羽織を着る。同色の布で鼻と口を隠す。黒刀を腰に下げると、宗崎家へ向かう。
霊斬は下仕えの者に裏口を開けさせ、そいつを昏倒。
千砂に聞いていた、従六の部屋を目指して駆ける。
新たな敵に見つかり、騒がれる前に倒す。
霊斬の身体に、新たな返り血がかかる。
霊斬は気にせず、一直線に部屋を目指した。
襖を開けると、じろりと睨む従六と目が合った。
同時刻千砂はすでに、屋根裏から屋敷に入り込む。
十六の部屋の天井の板を外し、様子を見ていた。
「なに奴だ」
従六は右手を刀の柄に置く。
「誰でもよかろう」
霊斬が冷ややかな声で応じる。
霊斬は黙って黒刀を抜く。それに従六も倣う。
「やあ!」
従六が右手で刀をつかんで、斬りかかってくる。霊斬には左肩か左腕を庇っているのだろうと思った。
その攻撃を躱し、左肩を狙うも、従六の刀に阻まれる。
霊斬が攻撃し、従六が防ぐ。
そんな斬り合いが幾度となく続く。
互いに一滴の血も流さない。刀同士のぶつかり合う音だけが屋敷内に響き渡る。
斬り合いからしばらくして、その形勢に変化が。
霊斬が黒刀を振り下ろし、従六の左肩を斬りつけたのだ。
着物が切れ、鮮血とともに晒し木綿が顔を覗かせる。
依頼人に斬られたのかもしれないと、霊斬は推測を立てる。けれど、口にはしなかった。
それをきっかけに、切り結ぶたびに、一筋の鮮血が飛び散る。
自分のものか、従六のものか分からぬ鮮血と、互いに紅く染まっていく刀。
霊斬は相手を斬らないよう、両肩、両腕、両脚に狙いを定める。一方、従六は首と腹を狙っている。
従六は首に向かって突きを繰り出してきた。霊斬はそれを半歩右にずれて躱す。
続いて腹に向かって一閃。その刀を受け止め、左側に向かって弾き返した。
従六が持っていかれそうになる刀を、引き戻している。その間に霊斬は、右肩と右腕を斬りつけた。
「ぐううっ!」
右手ではなく左手で、刀をつかんだ従六は痛みに呻いた。
霊斬はさらにたたみかける。左脚を斬りつけようとしたが、刀に阻まれる。
今度は従六が脇腹を狙って、突きを繰り出してきた。
「ああ! いらいらする!」
依頼人の怒号で部屋の位置を割り出した千砂。
天井の板をずらして様子を見る。
依頼人は部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。
今の生活に嫌気がさしていることは、その態度で分かった。
――七日、意地でも我慢してもらわないとね。
千砂は屋敷を後にした。
翌日、同じ時刻、千砂は再び宗崎家に忍び込む。
従六の部屋に向かう。
「旦那様」
「なんだ?」
「夕餉の支度が整いましたが、こちらでお召し上がりに?」
「ああ」
「かしこまりました」
襖が閉まる音が聞こえる。
「一人の方が落ち着くなぁ」
その独り言を聞いた千砂は、妻も嫌になったのかねと、思わずにはいられなかった。
千砂は依頼人の部屋へ向かい、天井の板をずらす。
部屋がかなり汚いと分かり、首をかしげる。
――昨晩、発狂でもしたのだろうか?
そう思わせるに足るほど、部屋は荒れている。あれでは足の踏み場も、ないだろう。ぐちゃぐちゃになった部屋の真ん中に、依頼人が座っていた。
「疲れた」
それはそうだろう。あれだけのものを、引っ張り出したのだから。
千砂は屋敷を後にした。
霊斬は依頼された刀の、修理をしている。
切れ味を元に戻そうと、粗めの砥石を使って丁寧に研ぐ。今度は目の細かい砥石に切り替え、同じように研ぐ。丁寧に仕上げる。
「よし」
霊斬はその出来に納得すると、鞘に仕舞った。
翌日隠れ家を訪れると、千砂がお茶を飲んでいた。
「どうしたんだい?」
「調べは?」
霊斬は静かな声で聞く。
「ついたよ」
千砂はお茶を飲む。
「ならさっさと」
「まあ、そう焦りなさんな」
千砂は霊斬の言葉を遮り、お茶を出す。
「……それで?」
霊斬がお茶を飲みながら尋ねる。
「依頼人も宗崎従六も最低な男だったよ」
「というと?」
霊斬が先を促す。
「依頼人はどうにかならないかって、部屋のものに当たってる。宗崎の方は、夫婦仲、兄弟仲、ともに冷え切っているようでね」
「想像以上だな」
霊斬は溜息を吐き、お茶を飲む。
話の内容とは裏腹に、のほほんとした空気が漂う。
「念のため数日、夜だけ少し様子を見るかい?」
霊斬は考え込む。
「……いや、いい。それでお前が身体を壊すのは困る」
「おや? 一応、心配してくれるんだね」
「そりゃな」
霊斬はそっけなく言って、お茶を飲んだ。
それから数日後、依頼人が店を訪れる。
「そういえば、これを忘れていました」
武士は小判五両を渡す。
霊斬は黙ってそれを袖に仕舞い、代わりに修理した刀を差し出す。
依頼人は出来を見もせず、腰に帯びる。
「刀に血がついておりましたが、なにかあったのですか?」
「なんでもありません。それで、従六のことは調べがついたのですか?」
霊斬は静かな声で答える。
「大方は、ですが」
「そなたから見て、従六はどのような人だと思いますか?」
武士がどこか嬉しそうな顔をした。
「最低な男です」
嬉しそうにする問いがそれかと、内心で呆れながらも霊斬は答える。
「そうですか」
武士はその言葉を聞いて、嬉しそうに店を出ていった。
決行当日。霊斬は黒の長着と、同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、黒の羽織を着る。同色の布で鼻と口を隠す。黒刀を腰に下げると、宗崎家へ向かう。
霊斬は下仕えの者に裏口を開けさせ、そいつを昏倒。
千砂に聞いていた、従六の部屋を目指して駆ける。
新たな敵に見つかり、騒がれる前に倒す。
霊斬の身体に、新たな返り血がかかる。
霊斬は気にせず、一直線に部屋を目指した。
襖を開けると、じろりと睨む従六と目が合った。
同時刻千砂はすでに、屋根裏から屋敷に入り込む。
十六の部屋の天井の板を外し、様子を見ていた。
「なに奴だ」
従六は右手を刀の柄に置く。
「誰でもよかろう」
霊斬が冷ややかな声で応じる。
霊斬は黙って黒刀を抜く。それに従六も倣う。
「やあ!」
従六が右手で刀をつかんで、斬りかかってくる。霊斬には左肩か左腕を庇っているのだろうと思った。
その攻撃を躱し、左肩を狙うも、従六の刀に阻まれる。
霊斬が攻撃し、従六が防ぐ。
そんな斬り合いが幾度となく続く。
互いに一滴の血も流さない。刀同士のぶつかり合う音だけが屋敷内に響き渡る。
斬り合いからしばらくして、その形勢に変化が。
霊斬が黒刀を振り下ろし、従六の左肩を斬りつけたのだ。
着物が切れ、鮮血とともに晒し木綿が顔を覗かせる。
依頼人に斬られたのかもしれないと、霊斬は推測を立てる。けれど、口にはしなかった。
それをきっかけに、切り結ぶたびに、一筋の鮮血が飛び散る。
自分のものか、従六のものか分からぬ鮮血と、互いに紅く染まっていく刀。
霊斬は相手を斬らないよう、両肩、両腕、両脚に狙いを定める。一方、従六は首と腹を狙っている。
従六は首に向かって突きを繰り出してきた。霊斬はそれを半歩右にずれて躱す。
続いて腹に向かって一閃。その刀を受け止め、左側に向かって弾き返した。
従六が持っていかれそうになる刀を、引き戻している。その間に霊斬は、右肩と右腕を斬りつけた。
「ぐううっ!」
右手ではなく左手で、刀をつかんだ従六は痛みに呻いた。
霊斬はさらにたたみかける。左脚を斬りつけようとしたが、刀に阻まれる。
今度は従六が脇腹を狙って、突きを繰り出してきた。