平穏に隠された負の感情
違和感《三》
箱鞴を押し、刀を押し込む。
真っ赤になるまで熱を加えると、すぐに引っ張り出して水桶に浸す。
ジュッ、という音とともに水蒸気が上がる。
それを引き上げると、まだ赤い刀身を金槌で何度も叩く。カン、カン、カン、という音が小気味よい。
水に浸しては金槌で叩き、形を整えていく。理想の形に満足しつつ、水に浸す。
丁寧に研いで仕上げると、鞘に仕舞って自分の後ろに置く。
たすきを解くと、辺りが薄暗いことに気づいた。
――朝から飲まず食わずで、作業していたのか……。
霊斬は顔を洗ってから、腹を満たすためにそば屋へ足を向けた。
「あら、旦那! いらっしゃい! 奥へどうぞ!」
霊斬に気づいた千砂が、声をかけてきた。
賑やかな店の中をよそに、無言で席に腰をかける。
「ご注文は?」
「そばをひとつ」
「二日もこもって仕事を?」
「ああ」
刀を直している間は、時を忘れてしまう。そのことを痛感した瞬間だった。
「仕事熱心なのはいいと思います。けれど、しっかり食べないと。倒れてからでは遅いんですよ?」
千砂は苦笑しつつ、きっと霊斬を睨んできた。
「そう言えば、名乗っていなかったな。すまない。俺は鍛冶町で店を営んでいる幻鷲と言う」
霊斬は苦笑しつつ、見上げる。
「あら、それはご丁寧に。私はここで働いてる千砂と申します。今後ともご贔屓に」
「ったくよお! 今名乗るって笑えるじゃねぇか! 最初に名乗らなきゃなあ?」
その様子を見ていたほかの客が大声で笑い出す。周りがどっと笑いに包まれる。
「ただ名乗っただけだろうが」
霊斬は苦笑しながら、お茶を飲む。
「そんな人達は放っておいて、食べてください!」
にこりと微笑んだ千砂は、盆に乗ったそばを机に置いた。
「まあいいさ。いただきます」
霊斬は手を合わせてから、食べ始めた。
その様子を嬉しそうに見つめた千砂は、ほかの客の空いた器を下げ始める。
――ここのそばはやっぱり美味いな。
食べ終わるまで箸が止まらなかった。
かなり早く食べ終えてしまったことに、周りの客らが驚く。
「この後、急ぎの用でもあるのかってくらい、早い食いっぷりだったなぁ」
「いや、とくに用はないんだが。こんなに早く食べたことはないんだよ。俺が一番驚いている」
客の声に、霊斬は苦笑した。
「あら? もう食べたんですか? しかも、残さずに! いやあ、嬉しいですね!」
千砂が空いた盆を下げた。
「そんなに喜ぶようなことか?」
霊斬は首をかしげる。
「喜びますよ! いろんなお客見てきましたし。ちゃんと食べない人とか、文句を言ってきたりとか」
「それは……。面倒な連中だったわけか」
霊斬は渋い顔をする。
「まあ、全員が悪いってわけじゃないんですけれど。こうやって楽しいお話もできるというのが、すごく嬉しくて」
千砂は鼻歌を歌いながら、厨に引っ込んだ。よほど嬉しかったのが伝わってきた。
霊斬は銭を置いて、店を後にした。
夕方、園田が店に顔を出す。店に招き入れるや、園田は口を開いた。
「早くきてすまぬが、刀は直っておるか?」
「はい。こちらでございます」
霊斬はさっそく、刀を見せる。
「たしかに」
「失礼ですが、私に修理の依頼をしたのは口実でしょうか?」
「……はい。しかし、武士の恥でもあり、どう話したらよいものかと」
「そのままで結構です。決して他言はいたしません」
「我が主はある理由で、賊に命を狙われている」
「賊……ですか」
「うむ。こちらでも調べたが、とあるお方の指金らしい」
「では、とあるお方についてお尋ねします。あなた方とは、どういったご関係ですか?」
「主とは義兄弟に当たる。だが、その方の母がどうも地位に固執しているようだ。主も私も彼らに、憎しみがある。しかしそれを、どこへ向けたらよいか分からぬ」
「そうでございましたか。承知いたしました。それからひとつ、確かめたいことがございます」
「なんだ?」
「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「もちろん。依頼内容は賊の退治と、できればこの状況の打開だ」
「承知いたしました。決行の際に、私の邪魔だけはなさらぬよう」
霊斬は言葉こそ丁寧なものの、喧嘩を売った。
「分かっておるわ」
その言葉が気に喰わなかったのだろう。園田は刀を持って、店を後にした。
気分を変えようと、霊斬は店を出た。
依頼について考えつつ、町での噂話に耳をかたむける。
そこには女将らしき女と、どこかの店の主らしき男が話をしていた。
「小料理屋の下手人って、あの暗い噂で有名な富川家の者らしいよ」
「あ、聞いたことある。父親の不祥事かなんかで、誰か武士辞めさせられたんじゃなかったか?」
「そうらしいねぇ。憂さ晴らしに呑んでたみたいだけど。喧嘩に苛立っちまって、死人が出たとか」
それまで黙っていた霊斬が口を開く。
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
「いいぜ。そいつ、いったん逃げたのに、また小料理屋に戻ってきたらしいんだ。でも、隠れていられなくてまた逃げたって」
「だったら、逃げたままでいればよかったのにな」
真っ赤になるまで熱を加えると、すぐに引っ張り出して水桶に浸す。
ジュッ、という音とともに水蒸気が上がる。
それを引き上げると、まだ赤い刀身を金槌で何度も叩く。カン、カン、カン、という音が小気味よい。
水に浸しては金槌で叩き、形を整えていく。理想の形に満足しつつ、水に浸す。
丁寧に研いで仕上げると、鞘に仕舞って自分の後ろに置く。
たすきを解くと、辺りが薄暗いことに気づいた。
――朝から飲まず食わずで、作業していたのか……。
霊斬は顔を洗ってから、腹を満たすためにそば屋へ足を向けた。
「あら、旦那! いらっしゃい! 奥へどうぞ!」
霊斬に気づいた千砂が、声をかけてきた。
賑やかな店の中をよそに、無言で席に腰をかける。
「ご注文は?」
「そばをひとつ」
「二日もこもって仕事を?」
「ああ」
刀を直している間は、時を忘れてしまう。そのことを痛感した瞬間だった。
「仕事熱心なのはいいと思います。けれど、しっかり食べないと。倒れてからでは遅いんですよ?」
千砂は苦笑しつつ、きっと霊斬を睨んできた。
「そう言えば、名乗っていなかったな。すまない。俺は鍛冶町で店を営んでいる幻鷲と言う」
霊斬は苦笑しつつ、見上げる。
「あら、それはご丁寧に。私はここで働いてる千砂と申します。今後ともご贔屓に」
「ったくよお! 今名乗るって笑えるじゃねぇか! 最初に名乗らなきゃなあ?」
その様子を見ていたほかの客が大声で笑い出す。周りがどっと笑いに包まれる。
「ただ名乗っただけだろうが」
霊斬は苦笑しながら、お茶を飲む。
「そんな人達は放っておいて、食べてください!」
にこりと微笑んだ千砂は、盆に乗ったそばを机に置いた。
「まあいいさ。いただきます」
霊斬は手を合わせてから、食べ始めた。
その様子を嬉しそうに見つめた千砂は、ほかの客の空いた器を下げ始める。
――ここのそばはやっぱり美味いな。
食べ終わるまで箸が止まらなかった。
かなり早く食べ終えてしまったことに、周りの客らが驚く。
「この後、急ぎの用でもあるのかってくらい、早い食いっぷりだったなぁ」
「いや、とくに用はないんだが。こんなに早く食べたことはないんだよ。俺が一番驚いている」
客の声に、霊斬は苦笑した。
「あら? もう食べたんですか? しかも、残さずに! いやあ、嬉しいですね!」
千砂が空いた盆を下げた。
「そんなに喜ぶようなことか?」
霊斬は首をかしげる。
「喜びますよ! いろんなお客見てきましたし。ちゃんと食べない人とか、文句を言ってきたりとか」
「それは……。面倒な連中だったわけか」
霊斬は渋い顔をする。
「まあ、全員が悪いってわけじゃないんですけれど。こうやって楽しいお話もできるというのが、すごく嬉しくて」
千砂は鼻歌を歌いながら、厨に引っ込んだ。よほど嬉しかったのが伝わってきた。
霊斬は銭を置いて、店を後にした。
夕方、園田が店に顔を出す。店に招き入れるや、園田は口を開いた。
「早くきてすまぬが、刀は直っておるか?」
「はい。こちらでございます」
霊斬はさっそく、刀を見せる。
「たしかに」
「失礼ですが、私に修理の依頼をしたのは口実でしょうか?」
「……はい。しかし、武士の恥でもあり、どう話したらよいものかと」
「そのままで結構です。決して他言はいたしません」
「我が主はある理由で、賊に命を狙われている」
「賊……ですか」
「うむ。こちらでも調べたが、とあるお方の指金らしい」
「では、とあるお方についてお尋ねします。あなた方とは、どういったご関係ですか?」
「主とは義兄弟に当たる。だが、その方の母がどうも地位に固執しているようだ。主も私も彼らに、憎しみがある。しかしそれを、どこへ向けたらよいか分からぬ」
「そうでございましたか。承知いたしました。それからひとつ、確かめたいことがございます」
「なんだ?」
「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「もちろん。依頼内容は賊の退治と、できればこの状況の打開だ」
「承知いたしました。決行の際に、私の邪魔だけはなさらぬよう」
霊斬は言葉こそ丁寧なものの、喧嘩を売った。
「分かっておるわ」
その言葉が気に喰わなかったのだろう。園田は刀を持って、店を後にした。
気分を変えようと、霊斬は店を出た。
依頼について考えつつ、町での噂話に耳をかたむける。
そこには女将らしき女と、どこかの店の主らしき男が話をしていた。
「小料理屋の下手人って、あの暗い噂で有名な富川家の者らしいよ」
「あ、聞いたことある。父親の不祥事かなんかで、誰か武士辞めさせられたんじゃなかったか?」
「そうらしいねぇ。憂さ晴らしに呑んでたみたいだけど。喧嘩に苛立っちまって、死人が出たとか」
それまで黙っていた霊斬が口を開く。
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
「いいぜ。そいつ、いったん逃げたのに、また小料理屋に戻ってきたらしいんだ。でも、隠れていられなくてまた逃げたって」
「だったら、逃げたままでいればよかったのにな」