平穏に隠された負の感情

侵される日常《三》

 それをあえて受けた霊斬は、脇腹から鮮血を流す。焼けるような痛みに、顔をしかめるだけに留める。
 攻撃を受けても表情が(とぼ)しい霊斬を、従六は不思議に思った。何故それだけの表情でやりすごせるのか、分からない。
 互いに息が上がっている。そろそろ、決着をつけた方がいいかもしれないと霊斬は思った。
 霊斬は右脚を刺そうと、攻撃を繰り出す。
 反応が遅れてしまった従六は、それを受けてしまう。
「ぐああああ!」
 肉を断つ嫌な音と、強引に刺してくる感覚とが、その身を襲い、従六は叫ぶ。
 黒刀を抜くまで、その叫び声は続いた。
 負傷した右脚でなんとか立とうとしたが、がたがたと右脚が震える。左脚に全体重をかけることで、ようやくなんとか立てた。
 そんな状態でも従六の双眸からは、戦意が消えていない。そんな彼に感心しつつ、霊斬は黒刀を右肩に向かって振り下ろす。
 身体の釣り合いを取ることで、精いっぱいな従六。それを受け止めるだけの力がなかった。焼けるような痛みが襲い、鮮血が溢れ出す。
 従六はその攻撃を受けた後、戦意を無くし、畳に膝をつく。
 従六の四肢は血塗れ。
 霊斬は立っているものの両腕や左肩、脇腹に傷を負う。そこからぽたぽたと鮮血が流れ落ちる。
 ピーッと笛の音が聞こえる。
 霊斬は無言で黒刀を仕舞うと、その場から去った。
 
 千砂も屋敷を後にして、霊斬と合流した。
「誰だ! おい、待て!」
 間違って岡っ引きに追いかけられ、霊斬と千砂は必死で逃げる。
 霊斬が途中で転ぶ。
「俺のことはいいから、先にいけ」
 千砂は唇をぎゅっと噛んで、指示に従った。
 霊斬はなんとか体勢を立て直すと、屋根に上って身を隠した。
「うん? どこにいったんだ?」
 岡っ引きは辺りをきょろきょろしたが、見つけられずその場から去った。
 霊斬は大きく息を吐くと、顔をしかめる。
「早くいかなければ……」
 霊斬はふらつきながら、四柳の診療所を目指した。
 
 それからしばらく歩き、ようやく四柳の診療所に辿り着く。
 そこまでに何度血を吐き、倒れそうになっただろう。今の霊斬には分からなかった。
「霊斬!」
 慌てた四柳の声が聞こえるが、それに答えることができない。
 霊斬はその場に倒れてしまった。
 
 四柳と先にきていた千砂は、二人で霊斬を運び込む。
 四柳は治療に専念した。
「こんなになってまで……。どうしてもっと早くこなかったんだ。……この馬鹿」
 四柳は言いながら治療を続ける。
 出血を止めるため、傷を縫う。
 幾度も繰り返し両腕と左肩を縫い終えると、混ぜて潰した薬草を塗る。
 その上から丁寧に、晒し木綿を巻いていく。
 その手つきは慣れたものだ。傷を労わるように優しさも込められている。
 
 それからしばらくして――。
「嬢ちゃん、終わったぞ」
「まだ、目が覚めないのかい?」
「ああ。もう一晩ってところだろうな」
「そうかい」
「なにがあった? 詳しく聞かせろ」
 四柳の声には怒りが滲んでいる。
 千砂は見たまま、すべてを話す。
「馬鹿が。さっさと終わらせりゃあいいのに」
「依頼には応えないとね」
 四柳は食い下がる。
「そんなこと言ってられねぇよ。本当に身体がもたねぇよ」
 四柳は苛立ちをあらわにした。
「でも、そのとおりだよ」
 千砂はその言葉に同意する。
 
 翌日の夜、霊斬はようやく目を開ける。
「ここは……?」
 霊斬は掠れた声を出す。
「おう、目が覚めたか」
 四柳の顔がぼんやりと見える。霊斬は何度か瞬《まばた》きをした。
「嬢ちゃん、霊斬の馬鹿が目を覚ましたぞ」
「馬鹿は……余計だ」
 霊斬は掠れた声で、突っ込みを入れた。
「無理に喋るんじゃないよ」
 千砂が枕元まできた。
 霊斬は黙ったまま、顔をしかめる。傷が痛むのだ。
「お前は無茶ばかりしやがる。少しは、おれの言うことを聞け」
「……断る」
「なにをお!」
「四柳さん! 落ち着いて!」
 千砂の声で四柳は冷静になる。
「おい、霊斬。今回、お前は気を失った」
「……そうなのか」
「なんで驚かないんだい?」
「予想は、していたからな」
「なんだい! つまらないね!」
 千砂は鼻を鳴らす。
「霊斬よ。お前、人を怒らすの、天才じゃないか?」
 四柳は苦笑する。
「……それを言われても、嬉しくない」
 霊斬は大きく息を吸う。
「まだ痛むだろう?」
「ああ」
 霊斬は溜息を吐く。
「少しは懲りたかい?」
「いや、まったく」
 霊斬は苦笑する。
 四柳と千砂は顔を見合わせ、苦笑した。
 
 それからしばらく経ったある日。霊斬は少しずつ身体を動かせるようになったが、店を閉めていた。
 にもかかわらず、戸を叩く音がする。
「開いていますよ」
 霊斬は言いながら、表に向かう。
「久しいですね」
 姿を見せたのは依頼人の武士。
「では、奥に」
 霊斬は武士を案内する。
 霊斬は正座を、武士は胡座をかいて座ると、本題に入った。
「実に見事な手際でした。兄は医者にいったきり。兄の妻は心を病んだとのこと。ああ、実に愉快です」
 その様子を冷ややかに見ながら、霊斬は愛想笑いを浮かべる。
「そうでございますか」
「成功したお代を」
 武士は小判十五両を渡す。
 霊斬は黙ってそれを受け取り、袖に仕舞う。
「ひとつ、お尋ねしたいことが」
「なんでしょう?」
 笑顔のまま、武士が応じた。
「……実の兄に刃を向けましたね?」
「何故そう思われたのですか?」
 武士は見破られたことに、動揺する。
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