平穏に隠された負の感情
侵される日常《五》
それからさらに七日後。
霊斬は自らの舌を血が出るほど噛み、叫びを押し殺していた。
「ぐっ……!」
炎で真っ赤に焼けた鉄の棒を、背中に押しつけられる。肉が焼ける音と臭いが、斬られるよりも嫌な痛みが全身を襲う。
それが終わると同時に水をかけられ、僅かだが痛みが弱まる。
大きく息を吐いていると、同じ問いが告げられる。霊斬は決して答えなかった。
それから霊斬は火傷の痛みのせいで、一睡もできなかった。空腹と痛みに耐え続けた。
霊斬はこのとき思った。二度と消えない咎人の証をつけられてしまった、と。
なにも言わないが故に。焼き鏝をあてられてもなお、決して口を割らない。
嫌なものだが、痛みに慣れている霊斬にとっては、刀傷が火傷に変わっただけだと思っていた。
かなり痛むが、耐えるしかないのだろうなと、他人事のように思っていた。
そのころからもう、聞かれることはなかった。一方的な暴力に耐える日々を余儀なくされた。
腹の右側を殴られる。ただの拳ではなく、武装でもしているのか、なにかが突き刺さった。
腹からは鮮血が溢れ出す。男の手をよく見ると大きな棘がついた布を拳に巻いていた。
――どうりで血が出るわけだ。
霊斬は内心で思った。
腹の左側に先ほどと同じ痛みが襲う。思わず、血を吐き出した。続いて腹の真ん中。深く棘が喰い込み、一息に抜かれた。
「がはっ!」
霊斬は咳き込んだ。
戸が開く音がして、暴力を振るう男が代わる。男は鞭を持っていた。
出会い頭に、腹に一発。火傷でまだ痛みの引かない背中に一発。
「ぐっ!」
これには、霊斬は呻き声を上げた。当たり前だ。まだ痛んでいる部分を叩かれたのだから。
縛られた両腕にそれぞれ一発。鞭が肉を叩く鋭い音が、何度も何度も響いた。
霊斬が自身番から出られたのは、十四日後だった。
地獄のような日々が終わったことに、霊斬はただただ安堵していた。それを感じさせまいとするかのように、火傷が痛む。それだけでなく、全身が痛みに声なき悲鳴を上げていた。
先の依頼でぼろぼろだった。一方的な暴力を受け、霊斬はまともに歩けなかった。
「幻鷲!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、四柳と千砂。
意識だけはなんとか保とうと躍起になる。
「刀屋幻鷲! 取り調べの結果、因縁引受人との接点は見られず、嫌疑は晴れた!」
その声を受けて、どよめきが起こる。
「え? こいつ、素行が悪いとかじゃなかったの?」
「女に手を出したって言うのは?」
「こいつの店の品が偽物だって言うのは?」
「今の地位になるために不正を下したって言うのは?」
「それはすべて噂であろう。こちらで調べたがそのような事実はなかった! これにて以上!」
同心はそれだけ言って、自身番に戻っていった。
「ちぇ。ひとつでもぼろ出せばよかったのにな。あいつのこと大嫌いだし」
「あんなに顔立ちが整っている人、疑いがかけられても仕方ないけど。でも、お咎めなしって、おかしいわよねぇ?」
誰かが吐き捨てた。
その声を聞いた千砂は思う。
――なにも知らないで……! 他人が煩いのよ! 霊斬はこんな状態になっても、沈黙を貫いて、なんとか生き抜いているのに。いい加減にして!
千砂は怒りのあまり泣きそうになった。
「嬢ちゃん、泣くな」
四柳が小声で言う。
「え?」
「泣けば、あいつらの思う壺だ。ここは堪えてくれ」
四柳の言葉にうなずいた千砂は、顔を拭った。
三人はゆっくりとその場を後にした。
二人に両脇を支えられ診療所へ連れていかれた。
治療を受けているときの記憶は断片的で、霊斬はいつの間にか目を閉じた。
霊斬が眠っている間、千砂と治療を終えた四柳が話している。
「連中はなにを考えているんだ。霊斬を亡き者にする気か!」
四柳は怒っていた。傷が癒え切っていない霊斬の身体を、完膚なきまでに痛めつけたことを。
「鍛冶職人があれだけの怪我をしていれば、怪しまれるけれど。連行まではしなくてもよかったはず。……それで具合は?」
千砂も怒りをあらわにしつつ、尋ねる。
「殴打した傷が大半だが、一か所背中に大きな火傷の痕があった。それと腹に三か所の傷。これはなにか尖ったもので刺されたようになっている。それにかなり衰弱している」
四柳は冷静に告げた。
「奴ら、霊斬をあるかないかも分からない程度の疑惑で、拷問したってのかい!」
「どうやら、そうらしい」
四柳は溜息を吐き、内心で怒っていた。
「いつ目覚めるんだい?」
「五日のうちには、目覚めると思うぞ」
五日と聞いた千砂は、その程度でよかったと安堵した。
「じゃあ、あたしはこれで」
「ああ、霊斬が目覚めたら、知らせる」
「頼んだよ」
千砂は診療所を去った。
それから五日後、霊斬は横向きのまま、うっすらと目を開けた。
「ここは……診療所か?」
霊斬は細い声しか出せない。
「そうだ。大丈夫か?」
四柳の優しい声が耳朶を打つ。
「……なんとかな」
「霊斬!」
四柳の助手から知らせを受けた千砂が、急いできたのか肩で息をしながら入ってきた。
「千砂か」
霊斬は無意識に、千砂に向かって手を伸ばす。
その様子を見ていた四柳は、そうっとその場を後にした。
四柳は二人きりにさせた方がいいと思い、気を遣った。
それに二人きりでなにを話すのか、興味もあった。
この二人は不思議な関係ではあるので、これからどうなるのか、四柳はひそかに楽しみにしている。
霊斬は自らの舌を血が出るほど噛み、叫びを押し殺していた。
「ぐっ……!」
炎で真っ赤に焼けた鉄の棒を、背中に押しつけられる。肉が焼ける音と臭いが、斬られるよりも嫌な痛みが全身を襲う。
それが終わると同時に水をかけられ、僅かだが痛みが弱まる。
大きく息を吐いていると、同じ問いが告げられる。霊斬は決して答えなかった。
それから霊斬は火傷の痛みのせいで、一睡もできなかった。空腹と痛みに耐え続けた。
霊斬はこのとき思った。二度と消えない咎人の証をつけられてしまった、と。
なにも言わないが故に。焼き鏝をあてられてもなお、決して口を割らない。
嫌なものだが、痛みに慣れている霊斬にとっては、刀傷が火傷に変わっただけだと思っていた。
かなり痛むが、耐えるしかないのだろうなと、他人事のように思っていた。
そのころからもう、聞かれることはなかった。一方的な暴力に耐える日々を余儀なくされた。
腹の右側を殴られる。ただの拳ではなく、武装でもしているのか、なにかが突き刺さった。
腹からは鮮血が溢れ出す。男の手をよく見ると大きな棘がついた布を拳に巻いていた。
――どうりで血が出るわけだ。
霊斬は内心で思った。
腹の左側に先ほどと同じ痛みが襲う。思わず、血を吐き出した。続いて腹の真ん中。深く棘が喰い込み、一息に抜かれた。
「がはっ!」
霊斬は咳き込んだ。
戸が開く音がして、暴力を振るう男が代わる。男は鞭を持っていた。
出会い頭に、腹に一発。火傷でまだ痛みの引かない背中に一発。
「ぐっ!」
これには、霊斬は呻き声を上げた。当たり前だ。まだ痛んでいる部分を叩かれたのだから。
縛られた両腕にそれぞれ一発。鞭が肉を叩く鋭い音が、何度も何度も響いた。
霊斬が自身番から出られたのは、十四日後だった。
地獄のような日々が終わったことに、霊斬はただただ安堵していた。それを感じさせまいとするかのように、火傷が痛む。それだけでなく、全身が痛みに声なき悲鳴を上げていた。
先の依頼でぼろぼろだった。一方的な暴力を受け、霊斬はまともに歩けなかった。
「幻鷲!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、四柳と千砂。
意識だけはなんとか保とうと躍起になる。
「刀屋幻鷲! 取り調べの結果、因縁引受人との接点は見られず、嫌疑は晴れた!」
その声を受けて、どよめきが起こる。
「え? こいつ、素行が悪いとかじゃなかったの?」
「女に手を出したって言うのは?」
「こいつの店の品が偽物だって言うのは?」
「今の地位になるために不正を下したって言うのは?」
「それはすべて噂であろう。こちらで調べたがそのような事実はなかった! これにて以上!」
同心はそれだけ言って、自身番に戻っていった。
「ちぇ。ひとつでもぼろ出せばよかったのにな。あいつのこと大嫌いだし」
「あんなに顔立ちが整っている人、疑いがかけられても仕方ないけど。でも、お咎めなしって、おかしいわよねぇ?」
誰かが吐き捨てた。
その声を聞いた千砂は思う。
――なにも知らないで……! 他人が煩いのよ! 霊斬はこんな状態になっても、沈黙を貫いて、なんとか生き抜いているのに。いい加減にして!
千砂は怒りのあまり泣きそうになった。
「嬢ちゃん、泣くな」
四柳が小声で言う。
「え?」
「泣けば、あいつらの思う壺だ。ここは堪えてくれ」
四柳の言葉にうなずいた千砂は、顔を拭った。
三人はゆっくりとその場を後にした。
二人に両脇を支えられ診療所へ連れていかれた。
治療を受けているときの記憶は断片的で、霊斬はいつの間にか目を閉じた。
霊斬が眠っている間、千砂と治療を終えた四柳が話している。
「連中はなにを考えているんだ。霊斬を亡き者にする気か!」
四柳は怒っていた。傷が癒え切っていない霊斬の身体を、完膚なきまでに痛めつけたことを。
「鍛冶職人があれだけの怪我をしていれば、怪しまれるけれど。連行まではしなくてもよかったはず。……それで具合は?」
千砂も怒りをあらわにしつつ、尋ねる。
「殴打した傷が大半だが、一か所背中に大きな火傷の痕があった。それと腹に三か所の傷。これはなにか尖ったもので刺されたようになっている。それにかなり衰弱している」
四柳は冷静に告げた。
「奴ら、霊斬をあるかないかも分からない程度の疑惑で、拷問したってのかい!」
「どうやら、そうらしい」
四柳は溜息を吐き、内心で怒っていた。
「いつ目覚めるんだい?」
「五日のうちには、目覚めると思うぞ」
五日と聞いた千砂は、その程度でよかったと安堵した。
「じゃあ、あたしはこれで」
「ああ、霊斬が目覚めたら、知らせる」
「頼んだよ」
千砂は診療所を去った。
それから五日後、霊斬は横向きのまま、うっすらと目を開けた。
「ここは……診療所か?」
霊斬は細い声しか出せない。
「そうだ。大丈夫か?」
四柳の優しい声が耳朶を打つ。
「……なんとかな」
「霊斬!」
四柳の助手から知らせを受けた千砂が、急いできたのか肩で息をしながら入ってきた。
「千砂か」
霊斬は無意識に、千砂に向かって手を伸ばす。
その様子を見ていた四柳は、そうっとその場を後にした。
四柳は二人きりにさせた方がいいと思い、気を遣った。
それに二人きりでなにを話すのか、興味もあった。
この二人は不思議な関係ではあるので、これからどうなるのか、四柳はひそかに楽しみにしている。