平穏に隠された負の感情
何者?《三》
「いらっしゃいませ。刀の修理でしたら、つい先ほど終わったところでございます。お持ちいたしましょうか?」
「頼む」
武士は店に入っても笠は取らず、居間の床に胡座をかく。
「こちらでございます」
霊斬は言いながら、刀を恭しく差し出した。
「よい出来だな」
「ありがとうございます」
霊斬が頭を下げると、武士が重々しく口にした。
「……そなたが〝因縁引受人〟か?」
「はい」
「なら、こんなものは不要か。ここに小判十両ある。依頼をしたい」
武士が笠を外し、床にことんと小判を置いた。
「その前にひとつ、確かめたいことがございます。人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「後悔はしない」
「では、依頼内容を、お聞かせください」
「ある男を懲らしめてから、自身番に突き出してやりたい」
「ある男とは?」
「わが家にまつわるあらぬ噂を流す輩、十兵衛という男だ」
「その方に会ったことは?」
「顔は見たことがある。私は十兵衛を見張っていた。あの男は武士だというのに賄賂で得た金を、女遊びや賭けで使っている。ろくでもない輩だ。前に酒に酔った十兵衛がわが家のことを容赦なく馬鹿にしたため、肩を斬ってしまった。近くの鍛冶屋に言伝を残したが。このような遠回しなやり方でしか、お主に会えなかったのだ」
「刀に血がついておりましたが……?」
「正気に戻ったのが、刀を仕舞った後だった」
「そういうことでしたか」
霊斬は一人、納得する。
「というと?」
その武士が口を挟んだ。
「いえ。では、噂はただのほらであったと。でしたら、その人物が立ち寄りそうな場所はどこですか?」
霊斬はその言葉を聞き流し、話を進めた。
「光里家近くにある自分の屋敷か、賭け場か……」
「ありがとうございます。では七日後にお会いしましょう」
霊斬は武士と別れた。
霊斬はいつもの恰好で、夜中江戸で一番大きな賭け場に足を伸ばす。
戸を開けて中に入ると、五つほどの集団に分かれ、それぞれ賭けに興じている。
商人、下級武士など身分関係なく。
「次はいくら賭けますかい? 十兵衛の旦那?」
という声を聞く。
霊斬は静かに歩み寄ろうとするが、別の男に声をかけられる。
「そこの兄ちゃんよ。少し遊んでいかないか?」
誘ってきた男は、十兵衛の右隣で賭けをしていた。
「ああ」
霊斬は男についていった。
男はその賭け場の仕切り人らしかった。
その集団に加わると、たまたまだが、十兵衛と背中合わせになった。
霊斬は賭けをしながら、十兵衛の方に聞き耳を立てた。
「有り金、全部かけてやらぁ!」
「おっと、十兵衛の旦那、大きく出たな!」
その話を聞いた霊斬は、思わず苦笑する。
――勝てるかどうかも分からない、賭けだろうが。有り金を使い果たすほど、馬鹿な話はないな。
「兄ちゃんの番だぜ」
言われてかけ金を出す。銭五枚である。
「あっちの旦那とは大違いだな」
賭けを続けながら、霊斬は話を進めた。
「有り金をなくす奴は、結構多いのか?」
「ああ。大金をかけるころあいを間違えて、零になっちまうのさ。でも、いつの間にか金を貯めて戻ってくる。その繰り返しさ。あの十兵衛って男もそう」
「あーあ、また負けちまったよ」
そんな中、十兵衛の落胆の声が聞こえた。
話していた男と顔を見合わせ、苦笑した。
「さて、俺はこれで上がるぞ」
「なに言ってんだい! これからがいいところだってのに」
「引き際も肝心だろう」
「それもそうだな」
霊斬は十兵衛を一瞥する。
十兵衛は有り金をすべて使ってしまったことを、おいおいと泣いていた。どうやら、近くで酒でも引っかけたらしい。座っているとき、とても酒臭かった。
十兵衛を鼻で嗤った霊斬は、賭け場を後にした。
霊斬が目を覚ましたのは、ちょうど夕餉時だった。
「それにしたって、寝すぎだろうよ……」
溜息を吐いて、身体を起こす。
着替えを済ますと、眠気覚ましに散歩に出かけた。
頬にあたる夜風が、心地いい。
――夜はやはりこうでなくては。
のんびりと夜道を歩いた。
夜目が利く霊斬は、わざわざ提灯を持って歩いたりはしない。敵に対しての目晦ましも含め、闇に紛れるようにしているのだ。
翌日、霊斬は完成させた刀を並べ、店番をしていると一人の武士がやってくる。
「いらっしゃいませ」
「この刀を研いでもらいたい」
「承知いたしました」
その間武士にお茶を出し待たせる。
霊斬は受け取った刀を手に奥の部屋へと入った。
丁寧に何度か砥いでから、武士の許へ向かう。砥いで仕上げるまで、それほど時はかからなかった。
「お待たせいたしました」
武士は刀を受け取ると、鞘を抜いて状態を確かめる。
「いい腕だな」
「ありがとうございます」
武士はお代を渡してくる。
霊斬がそれを受け取ると、店を出ていった。
霊斬はその武士が引き戸を閉めるまで、頭を下げていた。
その後霊斬は、二日ぶりにそば屋へ。
「いらっしゃい! あら、旦那。こちらへどうぞ」
霊斬はいつもの席に座る。
注文を済ませ、そばを待つ。
その間、常連客の一人が声をかけてきた。
「二日も、店、開けてなかったらしいじゃねぇか。大丈夫なのか?」
「二日くらい閉めたって、商売に影響出ねぇよ」
「頼む」
武士は店に入っても笠は取らず、居間の床に胡座をかく。
「こちらでございます」
霊斬は言いながら、刀を恭しく差し出した。
「よい出来だな」
「ありがとうございます」
霊斬が頭を下げると、武士が重々しく口にした。
「……そなたが〝因縁引受人〟か?」
「はい」
「なら、こんなものは不要か。ここに小判十両ある。依頼をしたい」
武士が笠を外し、床にことんと小判を置いた。
「その前にひとつ、確かめたいことがございます。人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
「後悔はしない」
「では、依頼内容を、お聞かせください」
「ある男を懲らしめてから、自身番に突き出してやりたい」
「ある男とは?」
「わが家にまつわるあらぬ噂を流す輩、十兵衛という男だ」
「その方に会ったことは?」
「顔は見たことがある。私は十兵衛を見張っていた。あの男は武士だというのに賄賂で得た金を、女遊びや賭けで使っている。ろくでもない輩だ。前に酒に酔った十兵衛がわが家のことを容赦なく馬鹿にしたため、肩を斬ってしまった。近くの鍛冶屋に言伝を残したが。このような遠回しなやり方でしか、お主に会えなかったのだ」
「刀に血がついておりましたが……?」
「正気に戻ったのが、刀を仕舞った後だった」
「そういうことでしたか」
霊斬は一人、納得する。
「というと?」
その武士が口を挟んだ。
「いえ。では、噂はただのほらであったと。でしたら、その人物が立ち寄りそうな場所はどこですか?」
霊斬はその言葉を聞き流し、話を進めた。
「光里家近くにある自分の屋敷か、賭け場か……」
「ありがとうございます。では七日後にお会いしましょう」
霊斬は武士と別れた。
霊斬はいつもの恰好で、夜中江戸で一番大きな賭け場に足を伸ばす。
戸を開けて中に入ると、五つほどの集団に分かれ、それぞれ賭けに興じている。
商人、下級武士など身分関係なく。
「次はいくら賭けますかい? 十兵衛の旦那?」
という声を聞く。
霊斬は静かに歩み寄ろうとするが、別の男に声をかけられる。
「そこの兄ちゃんよ。少し遊んでいかないか?」
誘ってきた男は、十兵衛の右隣で賭けをしていた。
「ああ」
霊斬は男についていった。
男はその賭け場の仕切り人らしかった。
その集団に加わると、たまたまだが、十兵衛と背中合わせになった。
霊斬は賭けをしながら、十兵衛の方に聞き耳を立てた。
「有り金、全部かけてやらぁ!」
「おっと、十兵衛の旦那、大きく出たな!」
その話を聞いた霊斬は、思わず苦笑する。
――勝てるかどうかも分からない、賭けだろうが。有り金を使い果たすほど、馬鹿な話はないな。
「兄ちゃんの番だぜ」
言われてかけ金を出す。銭五枚である。
「あっちの旦那とは大違いだな」
賭けを続けながら、霊斬は話を進めた。
「有り金をなくす奴は、結構多いのか?」
「ああ。大金をかけるころあいを間違えて、零になっちまうのさ。でも、いつの間にか金を貯めて戻ってくる。その繰り返しさ。あの十兵衛って男もそう」
「あーあ、また負けちまったよ」
そんな中、十兵衛の落胆の声が聞こえた。
話していた男と顔を見合わせ、苦笑した。
「さて、俺はこれで上がるぞ」
「なに言ってんだい! これからがいいところだってのに」
「引き際も肝心だろう」
「それもそうだな」
霊斬は十兵衛を一瞥する。
十兵衛は有り金をすべて使ってしまったことを、おいおいと泣いていた。どうやら、近くで酒でも引っかけたらしい。座っているとき、とても酒臭かった。
十兵衛を鼻で嗤った霊斬は、賭け場を後にした。
霊斬が目を覚ましたのは、ちょうど夕餉時だった。
「それにしたって、寝すぎだろうよ……」
溜息を吐いて、身体を起こす。
着替えを済ますと、眠気覚ましに散歩に出かけた。
頬にあたる夜風が、心地いい。
――夜はやはりこうでなくては。
のんびりと夜道を歩いた。
夜目が利く霊斬は、わざわざ提灯を持って歩いたりはしない。敵に対しての目晦ましも含め、闇に紛れるようにしているのだ。
翌日、霊斬は完成させた刀を並べ、店番をしていると一人の武士がやってくる。
「いらっしゃいませ」
「この刀を研いでもらいたい」
「承知いたしました」
その間武士にお茶を出し待たせる。
霊斬は受け取った刀を手に奥の部屋へと入った。
丁寧に何度か砥いでから、武士の許へ向かう。砥いで仕上げるまで、それほど時はかからなかった。
「お待たせいたしました」
武士は刀を受け取ると、鞘を抜いて状態を確かめる。
「いい腕だな」
「ありがとうございます」
武士はお代を渡してくる。
霊斬がそれを受け取ると、店を出ていった。
霊斬はその武士が引き戸を閉めるまで、頭を下げていた。
その後霊斬は、二日ぶりにそば屋へ。
「いらっしゃい! あら、旦那。こちらへどうぞ」
霊斬はいつもの席に座る。
注文を済ませ、そばを待つ。
その間、常連客の一人が声をかけてきた。
「二日も、店、開けてなかったらしいじゃねぇか。大丈夫なのか?」
「二日くらい閉めたって、商売に影響出ねぇよ」