野いちご源氏物語 第二巻 帚木(ははきぎ)
あれは梅雨で雨が続いていたころだったわ。
占いによって、貴族の方々がしばらく内裏に泊まりこんでいらっしゃった。
当時は占いがとても重要視されていたから、源氏の君も左大臣邸には行かずに、何日も内裏の桐壺で過ごされたの。
左大臣家ではそれを残念に思われたけれど、こういうときこそ妻の実家の腕の見せどころ。
源氏の君のために美しいお着替えなどをお届けになったわ。
左大臣様のご子息で、右大臣様の婿君になっていらっしゃる方も、桐壺で源氏の君のお話し相手をしておられた。
この方はこのころ、「蔵人頭」と「近衛中将」というお役職でいらっしゃったから、二つを合わせて「頭中将様」とお呼びしましょう。
頭中将様は派手で堂々としたお美しい方よ。
源氏の君ととても仲がおよろしいの。
右大臣様は大切に頭中将様のお世話をなさっているのだけれど、頭中将様は右大臣邸にはあまり行きたがらず、あちこちの恋人のところで楽しく遊んでいらっしゃった。
婿君として右大臣邸でお暮らしになってもよいのに、独身時代と同じように左大臣邸のご自分の部屋を飾り立てて、自由気ままに暮らしていらっしゃる。
頭中将様の妹君が、源氏の君の年上の奥様ね。
源氏の君はせっかく左大臣邸に行かれても、奥様といらっしゃるより、義兄の頭中将様とご一緒に遊んでおいでの時間の方が長いくらいだったわ。
遊びでもご学問でも、何をなさってもお二人はいい勝負なの。
いつでもどこでもご一緒にいらっしゃるうちに遠慮のない間柄になって、隠し事などないような仲のよいお二人だったわ。
一日中雨が降りつづいている静かな夜、内裏もひっそりと静かだった。
源氏の君がお暮らしになる桐壺も、普段よりのんびりとしたくつろいだ雰囲気。
源氏の君は灯りの近くで書物をお読みになっていた。
いつものように遊びにいらっしゃっていた頭中将様は、近くの棚にさまざまな美しい色の紙が置かれているのを目ざとくお見つけになったの。
いくつか取り出しながら、
「女性たちからのお手紙ですね。開いて読んでもよろしいですか」
とお尋ねになる。
源氏の君は、
「当たり障りのないものならお見せするのだけれど、そこにあるものは少しまずいな」
とお許しにならない。
頭中将様が、
「まずいとおっしゃるお手紙こそ読みたい。当たり障りのないような恋文は、私でもやりとりしているのです。女性たちがあなたのつれなさを恨んだり、夕暮れ時にあなたを待ちわびていたり、そんな恋文こそ読みたいじゃありませんか」
と食い下がられるので、源氏の君は仕方なくお見せしたわ。
とはいえ、本当に隠しておかなければならないようなお手紙は、そもそもそんな人目につきやすいところにお置きにならないはず。
きっとたいしたお手紙ではなかったのでしょうね。
頭中将様は開いたお手紙をつぎつぎとご覧になって、
「あちこちから届いているではありませんか」
とおっしゃる。
「この筆跡はあの女房でしょう? こちらはあの家の姫君かな。まさかもう恋人にしてしまわれたのですか」
などと推測なさるのが当たっていたり大外れだったりして、源氏の君はおもしろいと思われた。
「もうそのくらいにしておいてください」
と源氏の君はお手紙を隠しながら、
「あなたこそたくさんの恋文をもらっているでしょう? 少し見せてくださいよ。そうすればこの棚の手紙もすべてお出しするのに」
とおっしゃる。
頭中将様は、
「お見せするほどおもしろいものはありませんよ」
なんておっしゃっていたわ。
それから頭中将様は、女性に対するご自分の考えを長々とお話しになった。
「最近ね、完璧な女性などこの世にはいないと分かってきたのですよ。もちろん字が上手な女性も和歌が上手な女性もたくさんいます。でも所詮、それらしくやっているだけなのです。そこそこおしゃれでそこそこ風流。字にしても和歌にしても、達人というほどではない。それなのに自分は人より優れていると勘違いして、他人の悪口などを平気で言うでしょう。ああいうのは本当に嫌ですね。
でも恋人関係になるまでは、そういう女性かどうか分からないわけですよ。屋敷の奥深くで大切に育てられている姫君のことを、こちらが何から何まで知ることはできない。仕えている者たちに聞いてみても、姫君のちょっと得意なことを何倍にもしてほめるだけですしね。おおげさに言っているのではないかと疑いながらも、親に大切に世話されている姫君なのだから、何か特技を身につけたのかもしれないとうっかり期待してしまう。それで会ってみると、まぁだいたいがっかりしますね」
源氏の君はそれをお聞きになって、思い当たることもおありだったみたい。
「達人とまではいかなくても、何か少しでも得意なことがあるならよいではないか」
とおっしゃると、頭中将様は、
「それが一番厄介なのですよ。上流の家の姫君に仕えている者たちは、その少し得意なことを何倍にもおおげさに言ってしまうのですからね。そういう姫君は女房などが大切に世話を焼いていて、短所など見せやしません。するとこちらは、なんだか完璧な女性を見つけたような気がしてしまう」
とお答えになる。
源氏の君が、
「いっそまったく何もできない女性の方がよいと言うのか」
とおからかいになると、頭中将様は、
「とんでもない。そんな女には近づきませんよ。まぁそんなのは完璧な女性と同じくらい数が少ないでしょうけれど。
上流の家の姫君は本当の姿がつかみにくくて厄介なのに対して、中流の家の姫はおもしろいですよ。長所をおおげさに言ったり短所を隠したりされることが少なくて、それぞれの女性の本当の姿が一番よく伝わってくるものです。あとは下流の家の娘ですが、それは私たちには関わりがありませんから」
とおっしゃった。
あまりに詳しそうにお話しなさるので、源氏の君はつい、
「その上流や中流や下流というのはどのように分けるのです。高い身分の家に生まれたのに落ちぶれて貧しい暮らしをしている場合や、逆にたいした家の出身でもないのに、上級貴族にまで出世してぜいたくな暮らしをしている場合はどうするのだ」
とお尋ねになった。
ちょうどそこへ、二人の若い貴族がいらっしゃったの。
このお二人は源氏の君や頭中将様ほどご身分は高くないのだけれど、今どきなおしゃれな方々で、お話も上手でいらっしゃる。
頭中将様は歓迎なさって、源氏の君のご質問を一緒に考えようとお誘いになったわ。
占いによって、貴族の方々がしばらく内裏に泊まりこんでいらっしゃった。
当時は占いがとても重要視されていたから、源氏の君も左大臣邸には行かずに、何日も内裏の桐壺で過ごされたの。
左大臣家ではそれを残念に思われたけれど、こういうときこそ妻の実家の腕の見せどころ。
源氏の君のために美しいお着替えなどをお届けになったわ。
左大臣様のご子息で、右大臣様の婿君になっていらっしゃる方も、桐壺で源氏の君のお話し相手をしておられた。
この方はこのころ、「蔵人頭」と「近衛中将」というお役職でいらっしゃったから、二つを合わせて「頭中将様」とお呼びしましょう。
頭中将様は派手で堂々としたお美しい方よ。
源氏の君ととても仲がおよろしいの。
右大臣様は大切に頭中将様のお世話をなさっているのだけれど、頭中将様は右大臣邸にはあまり行きたがらず、あちこちの恋人のところで楽しく遊んでいらっしゃった。
婿君として右大臣邸でお暮らしになってもよいのに、独身時代と同じように左大臣邸のご自分の部屋を飾り立てて、自由気ままに暮らしていらっしゃる。
頭中将様の妹君が、源氏の君の年上の奥様ね。
源氏の君はせっかく左大臣邸に行かれても、奥様といらっしゃるより、義兄の頭中将様とご一緒に遊んでおいでの時間の方が長いくらいだったわ。
遊びでもご学問でも、何をなさってもお二人はいい勝負なの。
いつでもどこでもご一緒にいらっしゃるうちに遠慮のない間柄になって、隠し事などないような仲のよいお二人だったわ。
一日中雨が降りつづいている静かな夜、内裏もひっそりと静かだった。
源氏の君がお暮らしになる桐壺も、普段よりのんびりとしたくつろいだ雰囲気。
源氏の君は灯りの近くで書物をお読みになっていた。
いつものように遊びにいらっしゃっていた頭中将様は、近くの棚にさまざまな美しい色の紙が置かれているのを目ざとくお見つけになったの。
いくつか取り出しながら、
「女性たちからのお手紙ですね。開いて読んでもよろしいですか」
とお尋ねになる。
源氏の君は、
「当たり障りのないものならお見せするのだけれど、そこにあるものは少しまずいな」
とお許しにならない。
頭中将様が、
「まずいとおっしゃるお手紙こそ読みたい。当たり障りのないような恋文は、私でもやりとりしているのです。女性たちがあなたのつれなさを恨んだり、夕暮れ時にあなたを待ちわびていたり、そんな恋文こそ読みたいじゃありませんか」
と食い下がられるので、源氏の君は仕方なくお見せしたわ。
とはいえ、本当に隠しておかなければならないようなお手紙は、そもそもそんな人目につきやすいところにお置きにならないはず。
きっとたいしたお手紙ではなかったのでしょうね。
頭中将様は開いたお手紙をつぎつぎとご覧になって、
「あちこちから届いているではありませんか」
とおっしゃる。
「この筆跡はあの女房でしょう? こちらはあの家の姫君かな。まさかもう恋人にしてしまわれたのですか」
などと推測なさるのが当たっていたり大外れだったりして、源氏の君はおもしろいと思われた。
「もうそのくらいにしておいてください」
と源氏の君はお手紙を隠しながら、
「あなたこそたくさんの恋文をもらっているでしょう? 少し見せてくださいよ。そうすればこの棚の手紙もすべてお出しするのに」
とおっしゃる。
頭中将様は、
「お見せするほどおもしろいものはありませんよ」
なんておっしゃっていたわ。
それから頭中将様は、女性に対するご自分の考えを長々とお話しになった。
「最近ね、完璧な女性などこの世にはいないと分かってきたのですよ。もちろん字が上手な女性も和歌が上手な女性もたくさんいます。でも所詮、それらしくやっているだけなのです。そこそこおしゃれでそこそこ風流。字にしても和歌にしても、達人というほどではない。それなのに自分は人より優れていると勘違いして、他人の悪口などを平気で言うでしょう。ああいうのは本当に嫌ですね。
でも恋人関係になるまでは、そういう女性かどうか分からないわけですよ。屋敷の奥深くで大切に育てられている姫君のことを、こちらが何から何まで知ることはできない。仕えている者たちに聞いてみても、姫君のちょっと得意なことを何倍にもしてほめるだけですしね。おおげさに言っているのではないかと疑いながらも、親に大切に世話されている姫君なのだから、何か特技を身につけたのかもしれないとうっかり期待してしまう。それで会ってみると、まぁだいたいがっかりしますね」
源氏の君はそれをお聞きになって、思い当たることもおありだったみたい。
「達人とまではいかなくても、何か少しでも得意なことがあるならよいではないか」
とおっしゃると、頭中将様は、
「それが一番厄介なのですよ。上流の家の姫君に仕えている者たちは、その少し得意なことを何倍にもおおげさに言ってしまうのですからね。そういう姫君は女房などが大切に世話を焼いていて、短所など見せやしません。するとこちらは、なんだか完璧な女性を見つけたような気がしてしまう」
とお答えになる。
源氏の君が、
「いっそまったく何もできない女性の方がよいと言うのか」
とおからかいになると、頭中将様は、
「とんでもない。そんな女には近づきませんよ。まぁそんなのは完璧な女性と同じくらい数が少ないでしょうけれど。
上流の家の姫君は本当の姿がつかみにくくて厄介なのに対して、中流の家の姫はおもしろいですよ。長所をおおげさに言ったり短所を隠したりされることが少なくて、それぞれの女性の本当の姿が一番よく伝わってくるものです。あとは下流の家の娘ですが、それは私たちには関わりがありませんから」
とおっしゃった。
あまりに詳しそうにお話しなさるので、源氏の君はつい、
「その上流や中流や下流というのはどのように分けるのです。高い身分の家に生まれたのに落ちぶれて貧しい暮らしをしている場合や、逆にたいした家の出身でもないのに、上級貴族にまで出世してぜいたくな暮らしをしている場合はどうするのだ」
とお尋ねになった。
ちょうどそこへ、二人の若い貴族がいらっしゃったの。
このお二人は源氏の君や頭中将様ほどご身分は高くないのだけれど、今どきなおしゃれな方々で、お話も上手でいらっしゃる。
頭中将様は歓迎なさって、源氏の君のご質問を一緒に考えようとお誘いになったわ。