〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 鬱屈とした殺人衝動を宿した水穂は、殺人のトリガーともストッパーともなる恋を抱えていた。恋の相手は常人とは言い難い殺人者だが、あの秘めた恋が水穂の心の柔らかい部分を形作っていたように美夜は思う。

水穂が本当に殺人衝動をもて余し、殺す人間を選ばなければ、トイレに隠れていた中学生を発見した時点でとっくに少女を殺している。

 実際に水穂がここで殺した人間は巻田だけ。 いくらでも傷付ける機会があった中学生は無傷だった。
雪枝を可哀想と溢した水穂は、まだ他者を気遣う心を忘れていない。雪枝のストッパーの役目は九条が引き受けている。

 しかし知佳はどうだろう。彼女には人の心が皆無だ。
トリガーやストッパーともなる恋も、ウィークポイントも見当たらない。情に訴えかける作戦も煽って逆上させる作戦も、知佳には通用しないだろう。

残る手段は実力行使。その時まで残り、1分を切っていた。

 九条が美夜に一瞥をくれた。彼の背後には涙で濡らした顔を伏せた雪枝がいる。
目の表情だけで彼は何かを伝えてきた。読み取れる感情は、雪枝を侮辱する知佳への静かな怒りだ。

九条の意図を察した美夜は、姿勢を低くしたまま彼に背を向ける。

「父親が残した借金地獄で金もない、綺麗な顔もない、親の人格は最悪。環境に恵まれない側として生まれてきた私の気持ちは、誰にもわからない。美人で頭も良さそうなあんたにもわからないでしょうね」
「……そうね。わかりたくもない。それで事件を起こして世の中に仕返しをしたつもり? 無関係な人に八つ当たりしても、あなたのその顔は退屈そうね」

 知佳の話相手をしながら、彼女は銃を持つ片手を後ろに回す。
インカム越しに真紀の声で囁かれるカウントダウンに呼応して、先ほどから空を騒がすプロペラの音がだんだん大きくなる。

5、4、3、2、1……。頭上を震わせるヘリコプターの音に知佳は左右を見回した。

「この音……ヘリ?」
「シンデレラになれなかった、いじわるな姉を迎えに来たカボチャの馬車よ」
「はぁ? 何言ってるの?」
「窓の外を見てみなさい」

 言われるまま知佳がカーテンを開けた。西に傾き始めた太陽の陽射しが教室に差し込むと、グレーの床に一筋の光の道が現れる。

ヘリの登場に気をとられた知佳の視線がこちらを逸れた今が、最大のチャンス。知佳が空けた窓から流れる風がカーテンを大きく揺らした。

 最後のトリガーを引いたのは九条だ。美夜の銃を使用して九条が解き放った一撃は無防備な知佳の右肩に命中し、飛び散った鮮血が乳白色のカーテンを赤く染めた。

悲鳴を上げながら知佳が膝から崩れ落ちる。撃たれた右肩は力を失い、右手を滑り落ちた銃は美夜の手で回収された。
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