〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
「舞ちゃんについて行かなくてよかったの?」
病院に搬送された舞は軽度の脱水症状と診断が下った。こちらに呼び寄せた舞の兄、夏木伶が到着して救急車に乗り込む直前まで、愁は舞の側を離れなかった。
『舞は伶に任せてある。俺はこれから会社戻って面倒な後始末だ』
「それにしては、電話を切った後ものんびりしてるのね」
『早く戻れって急かされると余計に戻りたくなくなる。いい歳の大人が、自分達がやらかした不始末の隠蔽しか考えてない。知恵を貸すのも馬鹿馬鹿しいだろ?』
空を仰ぐ愁につられて美夜も顔を上げる。茜色に燃えた太陽が作り出す夕焼けの世界が、どこまでも空のキャンバスに広がっていた。
「伶くんがここに到着した時、凄い形相で睨まれたんだ。私って伶くんに嫌われてる?」
『気にするな。伶の一番は舞だ。舞が俺の妹だとしても、舞の初恋が叶わなかった原因はそれだけじゃない。伶は、舞を苦しめるすべての因子が憎いんだよ』
「それって遠回しに、舞ちゃんの初恋が叶わなかった原因が私にあるって言ってない?」
『距離にすれば地球三周半くらいの遠回しには、そう言ってるかも』
地球三周半の距離ではなく、たった数センチメートルの遠回しでしかないと抗議したい気持ちを彼女は抑えた。
自惚れの戯言《たわごと》を言うなら、美夜は舞から初恋の相手を奪った女だ。舞や、舞を大事に想う伶に憎まれても致し方ない。
『でも舞は美夜に感謝してた。助けてくれてありがとうとお前に伝えてくれって。俺も妹を守ってくれた女刑事に感謝してる』
「私は警察官の職務を果たしたまで。人質を全員無傷で救出する任務を遂行しただけよ」
舞と雪枝、多感な少女達の心は様々な要因で傷付き、揺さぶられ、時に鋭い棘を覗かせる。
舞は恋敵の美夜には感謝を示せても、雪枝には謝罪をしていない。
あれだけの仕打ちの直後では、いじめの加害者である舞も雪枝に頭は下げられないだろう。雪枝も舞に詫びの言葉を述べていない。
いじめられた側はどんな仕返しをしても同情を買って許される、いじめた側はどんなに酷い仕返しを受けても自業自得。
加害者にはどれだけ罵詈雑言を浴びせても構わない、SNSによる誹謗中傷でいじめの加害者側が自殺しても自業自得、そんな世間の風潮が美夜は恐ろしかった。
立ち上がった愁のコートの裾が風にはためく。冬の夜の入り口では、北風の子どもが我が物顔で暴れていた。
こうして人間が何もしないでいる間にも太陽の位置は低くなり、燃える空の端が闇色に呑み込まれる。暖色と寒色を繋げる薄紅のベールが空を優しく包んでいた。
「次に会う時は事件の聴取だからね。逃げないでよ」
『楽しみにしてる』
影法師を引き連れて、のっぽな背中が小さくなる。
本音はあと少し、彼の隣で彼の横顔を見つめていたかった。あと少し近付けば手が触れる場所にいた彼に触れたかった。
一度も振り返らない背中を寂しく感じた女心は、美夜には制御できない厄介な代物。
沈む太陽がその身を赤く腫らして泣いていた。彼女も涙を流さず、泣いていた。
Act3.END
→Act4.風花悲恋 に続く
病院に搬送された舞は軽度の脱水症状と診断が下った。こちらに呼び寄せた舞の兄、夏木伶が到着して救急車に乗り込む直前まで、愁は舞の側を離れなかった。
『舞は伶に任せてある。俺はこれから会社戻って面倒な後始末だ』
「それにしては、電話を切った後ものんびりしてるのね」
『早く戻れって急かされると余計に戻りたくなくなる。いい歳の大人が、自分達がやらかした不始末の隠蔽しか考えてない。知恵を貸すのも馬鹿馬鹿しいだろ?』
空を仰ぐ愁につられて美夜も顔を上げる。茜色に燃えた太陽が作り出す夕焼けの世界が、どこまでも空のキャンバスに広がっていた。
「伶くんがここに到着した時、凄い形相で睨まれたんだ。私って伶くんに嫌われてる?」
『気にするな。伶の一番は舞だ。舞が俺の妹だとしても、舞の初恋が叶わなかった原因はそれだけじゃない。伶は、舞を苦しめるすべての因子が憎いんだよ』
「それって遠回しに、舞ちゃんの初恋が叶わなかった原因が私にあるって言ってない?」
『距離にすれば地球三周半くらいの遠回しには、そう言ってるかも』
地球三周半の距離ではなく、たった数センチメートルの遠回しでしかないと抗議したい気持ちを彼女は抑えた。
自惚れの戯言《たわごと》を言うなら、美夜は舞から初恋の相手を奪った女だ。舞や、舞を大事に想う伶に憎まれても致し方ない。
『でも舞は美夜に感謝してた。助けてくれてありがとうとお前に伝えてくれって。俺も妹を守ってくれた女刑事に感謝してる』
「私は警察官の職務を果たしたまで。人質を全員無傷で救出する任務を遂行しただけよ」
舞と雪枝、多感な少女達の心は様々な要因で傷付き、揺さぶられ、時に鋭い棘を覗かせる。
舞は恋敵の美夜には感謝を示せても、雪枝には謝罪をしていない。
あれだけの仕打ちの直後では、いじめの加害者である舞も雪枝に頭は下げられないだろう。雪枝も舞に詫びの言葉を述べていない。
いじめられた側はどんな仕返しをしても同情を買って許される、いじめた側はどんなに酷い仕返しを受けても自業自得。
加害者にはどれだけ罵詈雑言を浴びせても構わない、SNSによる誹謗中傷でいじめの加害者側が自殺しても自業自得、そんな世間の風潮が美夜は恐ろしかった。
立ち上がった愁のコートの裾が風にはためく。冬の夜の入り口では、北風の子どもが我が物顔で暴れていた。
こうして人間が何もしないでいる間にも太陽の位置は低くなり、燃える空の端が闇色に呑み込まれる。暖色と寒色を繋げる薄紅のベールが空を優しく包んでいた。
「次に会う時は事件の聴取だからね。逃げないでよ」
『楽しみにしてる』
影法師を引き連れて、のっぽな背中が小さくなる。
本音はあと少し、彼の隣で彼の横顔を見つめていたかった。あと少し近付けば手が触れる場所にいた彼に触れたかった。
一度も振り返らない背中を寂しく感じた女心は、美夜には制御できない厄介な代物。
沈む太陽がその身を赤く腫らして泣いていた。彼女も涙を流さず、泣いていた。
Act3.END
→Act4.風花悲恋 に続く