〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
桜田通りを眺めながら冷えた両手に息を吹き掛ける。通りを行き交う真っ赤なテールランプは警告を示す心のサイレンに見えて、彼女の吐息は溜息に変わる。
濃藍《こいあい》の街に現れたのっぽの人影が、だんだん大きく近付いてきた。
『デートの待ち合わせにしては色気のない場所だな』
「警察に色気も何もないでしょう」
警視庁本部前で向かい合う神田美夜と木崎愁はどちらも無表情だ。今の美夜は警察官、愁は重要参考人。とうとう、この立場で彼と対峙する日が来てしまった。
「会社が大変な時に呼び出してごめん」
『大変なのは社長と幹部連中だけ。俺は会見のセッティングと根回しが終われば用済み。面倒な後処理を途中で抜けられて感謝してる』
夏木コーポレーション本社で夏木会長と徳田社長による謝罪会見が15時から行われた。
10年前のリゾートホテル開発事業において計画の反対を訴える館山市民との間にトラブルが発生していたこと、ホテルとショッピングモールの建設予定地にあった宿泊施設や飲食店などの店舗への嫌がらせ行為と住民の立ち退き強要を、夏木コーポレーション側は概《おおむ》ね認めた。
「会見は観たよ。夏木会長の謝罪は原稿をそのまま読んだだけの薄っぺらい言葉だったね」
『あの人は心から悪いと思っちゃいねぇよ。誠意ある謝罪を夏木十蔵に求めるだけ無駄』
夜の街に背を向けて二人は警視庁本部の建物内に入る。ロビーからエレベーターホールに向かうまでにも感じた複数の視線に、おそらく愁も気付いている。
ここは警察の中枢部、あらゆる場所で美夜と愁に対する監視の目が光っていた。
「でも会見を観た滝本は泣いてた。誠意がなくても夏木十蔵に頭を下げさせた滝本をネットの住民は英雄と称賛してる」
『馬鹿馬鹿しいな』
「そうね。馬鹿馬鹿しい」
10年を費やした復讐の成功の瞬間を滝本航大は泣いて喜んでいた。
美夜には生まれ故郷への思い入れも地元愛もない。悪夢の記憶しかない埼玉の地元を離れたくて、彼女は東京に逃れてきた。
犯罪者の十字架を背負ってまで、夏木十蔵から館山を取り戻そうとした滝本の気持ちは理解に苦しむ。
犯した罪は許されないが、滝本を含む反対派メンバーの捨て身の立てこもり事件は世論を味方につけた。現状、夏木コーポレーションと夏木十蔵に味方する者はいない。
『立てこもりの動画が出回ったタイミングで会社の株価が下がり始めた。取引先もうちからの引き上げを検討してるようだ。このままだと、いずれ夏木コーポレーションは沈む』
「倒産してくれた方が良いと思ってる?」
『真面目に働いてる社員達には悪いが、夏木十蔵の権力の象徴が崩れるなら俺はせいせいする』
監視の視線を避けてようやく二人きりになれた場所はエレベーターの中。しかしエレベーター内部に取り付けられた防犯カメラの瞳が美夜と愁を睨み付けていた。
「舞ちゃんの様子はどう?」
『一晩病院泊まって今は家で寝てる。いじめの件でも騒がれてるからな。しばらくは外に出せねぇよ』
夏木十蔵は会見で舞のいじめ問題への言及を避けた。
立てこもりの犯人グループに加担した大橋雪枝の行動も問題とされ、舞と雪枝への非難だけでなく、雪枝の父親が勤めるハウジング会社もSNSや匿名掲示板を中心に槍玉《やりだま》に挙げられている。
濃藍《こいあい》の街に現れたのっぽの人影が、だんだん大きく近付いてきた。
『デートの待ち合わせにしては色気のない場所だな』
「警察に色気も何もないでしょう」
警視庁本部前で向かい合う神田美夜と木崎愁はどちらも無表情だ。今の美夜は警察官、愁は重要参考人。とうとう、この立場で彼と対峙する日が来てしまった。
「会社が大変な時に呼び出してごめん」
『大変なのは社長と幹部連中だけ。俺は会見のセッティングと根回しが終われば用済み。面倒な後処理を途中で抜けられて感謝してる』
夏木コーポレーション本社で夏木会長と徳田社長による謝罪会見が15時から行われた。
10年前のリゾートホテル開発事業において計画の反対を訴える館山市民との間にトラブルが発生していたこと、ホテルとショッピングモールの建設予定地にあった宿泊施設や飲食店などの店舗への嫌がらせ行為と住民の立ち退き強要を、夏木コーポレーション側は概《おおむ》ね認めた。
「会見は観たよ。夏木会長の謝罪は原稿をそのまま読んだだけの薄っぺらい言葉だったね」
『あの人は心から悪いと思っちゃいねぇよ。誠意ある謝罪を夏木十蔵に求めるだけ無駄』
夜の街に背を向けて二人は警視庁本部の建物内に入る。ロビーからエレベーターホールに向かうまでにも感じた複数の視線に、おそらく愁も気付いている。
ここは警察の中枢部、あらゆる場所で美夜と愁に対する監視の目が光っていた。
「でも会見を観た滝本は泣いてた。誠意がなくても夏木十蔵に頭を下げさせた滝本をネットの住民は英雄と称賛してる」
『馬鹿馬鹿しいな』
「そうね。馬鹿馬鹿しい」
10年を費やした復讐の成功の瞬間を滝本航大は泣いて喜んでいた。
美夜には生まれ故郷への思い入れも地元愛もない。悪夢の記憶しかない埼玉の地元を離れたくて、彼女は東京に逃れてきた。
犯罪者の十字架を背負ってまで、夏木十蔵から館山を取り戻そうとした滝本の気持ちは理解に苦しむ。
犯した罪は許されないが、滝本を含む反対派メンバーの捨て身の立てこもり事件は世論を味方につけた。現状、夏木コーポレーションと夏木十蔵に味方する者はいない。
『立てこもりの動画が出回ったタイミングで会社の株価が下がり始めた。取引先もうちからの引き上げを検討してるようだ。このままだと、いずれ夏木コーポレーションは沈む』
「倒産してくれた方が良いと思ってる?」
『真面目に働いてる社員達には悪いが、夏木十蔵の権力の象徴が崩れるなら俺はせいせいする』
監視の視線を避けてようやく二人きりになれた場所はエレベーターの中。しかしエレベーター内部に取り付けられた防犯カメラの瞳が美夜と愁を睨み付けていた。
「舞ちゃんの様子はどう?」
『一晩病院泊まって今は家で寝てる。いじめの件でも騒がれてるからな。しばらくは外に出せねぇよ』
夏木十蔵は会見で舞のいじめ問題への言及を避けた。
立てこもりの犯人グループに加担した大橋雪枝の行動も問題とされ、舞と雪枝への非難だけでなく、雪枝の父親が勤めるハウジング会社もSNSや匿名掲示板を中心に槍玉《やりだま》に挙げられている。