〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 ──“神様って不公平よねー。あたしもあんたみたいな顔に産まれたかった”──


 他人から美人だと称賛されても、羨望の眼差しを浴びても、佳苗が欲しがったこの顔が美夜は大嫌いだった。

「今、自分がこんなことしてるのが信じられないけど、セックスも嫌ってた。高校の時、佳苗と祖父がしてるところ見ちゃったの。私に見られていると気付いた佳苗はわざと大きな声で喘いで……その光景が今もフラッシュバックして、セックスは汚いものだって、嫌悪してた」
『綺麗ではないな。身体の交わりなんか汚ねぇことしかしない』
「ほんと、綺麗ではないよね』

 全身から匂い立つ汗と唾液と精子の臭いをボディシートで拭いながら、美夜は苦笑した。

畳に転がる愛液と精液にまみれたティッシュの残骸。体液の臭いを纏う素っ裸の男と女。
百円ショップのアルミの灰皿に積み上がる煙草の死骸。飲み干された酒の空き缶。

 大学時代、友人の付き添いで吉祥寺の映画館に赴いて鑑賞したB級シネマのワンシーンに、確かこんな光景があった。
自堕落の末路のような欲望の脱け殻が散乱するこの部屋には、綺麗なものはひとつもない。綺麗な人間もいなかった。

「10年前のあの日に明智が佳苗を殺さなければ、私が佳苗を殺していたんじゃないかって思う。私が佳苗を見つけた時はまだ息があったの。すぐに救急車を呼べば助かったかもしれない」

 美夜の話に無言で耳を傾ける愁は、吸殻で埋め尽くされた灰皿に短い煙草を捨てた。煙草を手放した愁の手が美夜に伸び、彼女は彼の内側に誘《いざな》われる。

「でも私は救急車を呼ばなかった。佳苗の身体が完全に動かなくなるまで……あの子が死ぬ瞬間を何もしないで見届けた」

美夜は愁の肩に小さな頭を預けた。目を閉じれば鮮明に甦る10年前のあの瞬間。
佳苗の命の灯火が春の雨に打たれて消されていく、静かで穏やかな一瞬はやっと手に入れた美夜の楽園だ。

「佳苗の葬儀で皆泣いてた。佳苗の親も親戚も学校の教師や同級生も皆、佳苗が明智と援助交際してたって知ってるのに表では佳苗を悪く言わない。皆、“殺されて可哀想だね”って言うのよ。だけど佳苗の親がいない場所では、教師も同級生も援助交際して殺された佳苗を蔑《さげす》む発言をしていた。手のひら返しが露骨で、滑稽だったな」

 援助交際の末に殺害された被害者に対する世間の後ろ指は10年前も今も変わらない。
棺の前で彼らが流した涙は本音? 建前?
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