〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 交わした数だけ傷の痛みも増すのに、愁はキスを止めない。

『嫌なのは……俺が……死ぬこと……?』

情欲に濡れた唇を結んで彼女は頷いた。苦笑いの愁が美夜の身体を抱き寄せる。

『馬鹿だな……ほんと……』
「うん。馬鹿だよね……」

 血染めの手袋を脱ぎ捨てた美夜の左手薬指には、愁に贈られた鈴蘭の指輪が太陽の光を浴びて輝いている。
彼女は愁の左手首に手錠の輪を嵌めた。手錠の反対の輪は、美夜の右手首と繋がった。

愁と繋がる罪の鎖は警察官と女の狭間。
どこにも行かない。どこにも行けない。

『……お前は……苦しまずに……先に逝って……待ってろ……』

 愁の手元に戻ってきた愛銃《ワルサー》は最後の一発をその身に宿している。これは二人で選んだラストシーン。

『向こうに……先に逝っても……俺を待ってる間に……浮気するなよ……』
「どうしようかな。愁よりいい男いるかもね」
『……その浮気相手……殺すか……』
「独占欲強いなぁ。心配しなくてもちゃんと待ってる」

 今、彼女は心から幸せを感じて笑えている。
両親の愛が希薄な家庭環境。
“松本美夜”の人生を奪い続ける幼なじみの佳苗。
佳苗を殺したかった松本美夜。
見殺しにした松本美夜。

 こんな自分にも多くの人が側にいてくれた。
祖母や猫のちゃちゃ丸がいてくれた。
気の置けない友人達もいてくれた。

優しくしてくれる馴染みの店のシェフとバリスタの夫妻がいてくれた。
心配してくれる上司や同僚がいてくれた。
信頼できる唯一無二の相棒がいてくれた。

だけど愛を注いでくれる人に、同じだけの愛を注げない自分が、美夜は嫌いだった。
愛されることを怖がって愛することを拒絶した。

 木崎愁は“松本美夜”も“神田美夜”も受け入れてくれた人。
彼女が初めて愛した、たったひとりの男。

ただ赦《ゆる》されたかっただけなんだ。
この世に存在していることも人を殺したいと思った感情も、愛してはいけない人を愛したことも、赦されたかっただけなんだ。

 トリガーに添えた愁の右指が優しく動いた刹那、木々に降り積もった雪が片翼《かたよく》の羽根のように、はらり、ひらり、舞い落ちる。

空っぽになった拳銃は、ベンチに肩を並べた動かない男と女に寄り添って、赤く染めた黒い身体を銀白色の海に沈めた。

 静謐《せいひつ》な風が孔雀青の水面を揺らす。
木々から舞い降りた片翼の羽根は罪の赤を隠すこの世の白。


 ──殺してくれて……ありがとう。



Act4.END
→エピローグに続く
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