〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
トイレを出ると、廊下に機嫌の悪い九条大河が仁王立ちしていた。
廊下は一本道。その先を行くにはどうしても九条の横を通過するしかなく、そこを退《ど》く気配のない彼に美夜は呆れの眼差しを送る。
「女子トイレの前で待ち伏せしないでよ。変態?」
『うるせぇ。捜査から外されたのに、やけにあっさりしてるな』
「木崎愁がもしもジョーカーなら、あの男と関わりがある私が捜査本部にいると情報漏洩の危険があるからね。当然の措置でしょう?」
会議の前に上野一課長から捜査離脱の決定は聞いていた。上野の決定に異議はない。
「心配しないで。何かあれば懲戒処分だもの。軽率な行動はしない」
『お前の“心配しないで”がアテにならないことを、俺はこの半年間で学んだ』
九条の横をすり抜けようとしたが、今日の彼は甘くなかった。片腕を強く引き寄せられた美夜の身体は、九条の両腕に包み込まれる。
『昨日、俺達が夏木コーポレーションに行った後で、木崎と二人で会ったんだろ?』
「それはバディとしての尋問《じんもん》? それともプライベートな質問?」
『半分は尋問、半分プライベートな質問』
抱き締める力に反して九条の声は優しい。この抱擁はバディとしてか男としてか、恋に疎い美夜でも、九条の秘めた気持ちが彼のぬくもりを通して伝わってきた。
彼の心臓の音が聴こえる。九条の大きな手で髪を撫でられると少しだけ、ほんの少しだけ心の奥が甘く騒いだ。
ごめん、と心で呟いて美夜は九条のぬくもりを吸った。愁とは違って煙草の匂いがしないスーツは、九条を体現する清潔な香りだ。
何もかもが愁とは違う男のぬくもりを感じて生じた、安心と違和感の真逆の感情。
「昨日、夜に会った」
『だと思った。お前とアイツが普通の恋人なら、俺も幸せになれよって言えるけどさ……』
「そもそも普通の恋人が何なのか、私にはよくわからない。だけどこんなに人を恋しいと思ったのは木崎さんが初めてなの。あの人じゃないとダメだった」
九条とだったら普通の恋人になれたのかもわからない。彼が決定的な一言を言わないでいてくれるのは、恋人ではなくバディでいたいから……そんな勝手な解釈も九条に失礼だ。
抱き締める力が緩まった隙に美夜は九条から離れて距離をとる。
乱れた髪を手で撫で付け、一纏《ひとまと》めにしてバレッタで留めた。この赤いバレッタは、九条に貰った誕生日プレゼント。
『それ使ってくれてるんだな』
「物は使ってこそだからね。有り難く使ってる」
先ほどの抱擁の後でどうしたらいいかわからず、二人は視線を合わせられない。けれどバディの一線を越えたくない想いは共通していた。
恋人じゃなくバディでいたい。美夜の勝手な解釈が、今は二人に逃げ道を用意してくれる。
『俺がジョーカーを逮捕すればお前は怒るか?』
「……ジョーカーの正体によっては怒るかも」
赤いバレッタの女は一本道の終わりで足を止めた。
「ジョーカーを逮捕するのは私だから。他の刑事に手錠はかけさせない」
分かれ道は二つ。右側に行けば幸福、左側に行けば破滅。
彼女はどちらの道を選択する?
廊下は一本道。その先を行くにはどうしても九条の横を通過するしかなく、そこを退《ど》く気配のない彼に美夜は呆れの眼差しを送る。
「女子トイレの前で待ち伏せしないでよ。変態?」
『うるせぇ。捜査から外されたのに、やけにあっさりしてるな』
「木崎愁がもしもジョーカーなら、あの男と関わりがある私が捜査本部にいると情報漏洩の危険があるからね。当然の措置でしょう?」
会議の前に上野一課長から捜査離脱の決定は聞いていた。上野の決定に異議はない。
「心配しないで。何かあれば懲戒処分だもの。軽率な行動はしない」
『お前の“心配しないで”がアテにならないことを、俺はこの半年間で学んだ』
九条の横をすり抜けようとしたが、今日の彼は甘くなかった。片腕を強く引き寄せられた美夜の身体は、九条の両腕に包み込まれる。
『昨日、俺達が夏木コーポレーションに行った後で、木崎と二人で会ったんだろ?』
「それはバディとしての尋問《じんもん》? それともプライベートな質問?」
『半分は尋問、半分プライベートな質問』
抱き締める力に反して九条の声は優しい。この抱擁はバディとしてか男としてか、恋に疎い美夜でも、九条の秘めた気持ちが彼のぬくもりを通して伝わってきた。
彼の心臓の音が聴こえる。九条の大きな手で髪を撫でられると少しだけ、ほんの少しだけ心の奥が甘く騒いだ。
ごめん、と心で呟いて美夜は九条のぬくもりを吸った。愁とは違って煙草の匂いがしないスーツは、九条を体現する清潔な香りだ。
何もかもが愁とは違う男のぬくもりを感じて生じた、安心と違和感の真逆の感情。
「昨日、夜に会った」
『だと思った。お前とアイツが普通の恋人なら、俺も幸せになれよって言えるけどさ……』
「そもそも普通の恋人が何なのか、私にはよくわからない。だけどこんなに人を恋しいと思ったのは木崎さんが初めてなの。あの人じゃないとダメだった」
九条とだったら普通の恋人になれたのかもわからない。彼が決定的な一言を言わないでいてくれるのは、恋人ではなくバディでいたいから……そんな勝手な解釈も九条に失礼だ。
抱き締める力が緩まった隙に美夜は九条から離れて距離をとる。
乱れた髪を手で撫で付け、一纏《ひとまと》めにしてバレッタで留めた。この赤いバレッタは、九条に貰った誕生日プレゼント。
『それ使ってくれてるんだな』
「物は使ってこそだからね。有り難く使ってる」
先ほどの抱擁の後でどうしたらいいかわからず、二人は視線を合わせられない。けれどバディの一線を越えたくない想いは共通していた。
恋人じゃなくバディでいたい。美夜の勝手な解釈が、今は二人に逃げ道を用意してくれる。
『俺がジョーカーを逮捕すればお前は怒るか?』
「……ジョーカーの正体によっては怒るかも」
赤いバレッタの女は一本道の終わりで足を止めた。
「ジョーカーを逮捕するのは私だから。他の刑事に手錠はかけさせない」
分かれ道は二つ。右側に行けば幸福、左側に行けば破滅。
彼女はどちらの道を選択する?